万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その472)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(8)―万葉集 巻十四 三三五〇

●歌は、「筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも」である。

 

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奈良市神功4丁目 万葉の小径(8)万葉歌碑(作者未詳 くは)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(8)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆筑波祢乃 尓比具波波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母

               (作者未詳 巻十四 三三五〇)

   或本歌日 多良知祢能 又云 安麻多氣保思母

 

≪書き下し≫筑波嶺(つくはね)の新桑繭(にひぐはまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)しあやに着(き)欲(ほ)しも

   或本の歌には「たらちねの」といふ。また「あまた着(き)欲しも」といふ。

 

(訳)筑波嶺一帯の、新桑で飼った繭の着物はあり、それはそれですばらしいけれど、やっぱり、あなたのお召がむしょうに着たい。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)新桑繭(読み)にいぐわまよ :新しい桑の葉で育った繭。今年の蚕の繭。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)みけし【御衣】名詞:お召し物。▽貴人の衣服の尊敬語。 ※「み」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あやに【奇に】副詞:むやみに。ひどく。(学研)

  

 新しい桑の葉で育った蚕から採った高価な絹の衣服よりも、あなたの衣服を身に着けたい、「信州信濃の新そばよりも、わたしゃあなたのそばがよい」といったノリである。

 こう見ていくと「相聞歌」となるのであるが、この歌は、巻十四の巻頭五首の一首である。

 万葉集目録には、三三五〇、三三五一歌は、「常陸国の雑歌二首」となっているが、現万葉集の本文には「雑歌」という文字がないのである。

 改めて「雑歌」を調べてみる。➡雑歌 分類文芸:和歌集の部立(ぶだ)ての一つ。『万葉集』では、「相聞(そうもん)」「挽歌(ばんか)」と並ぶ部立てで、それらに属さない歌を集めて巻頭に置いてある。『古今和歌集』に始まる勅撰(ちよくせん)和歌集では、部立ての最後に置かれ、他の部立てに入らない歌を収めている。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 巻十四は、大半が相聞歌(二百三十八首中、百九十六首、構成比82%)であり、勘国歌の巻頭五首と未勘国歌の十七首が「雑歌」である。

 この常陸国の二首は、相聞的であり、上総、下総、信濃の三首は「雑歌」である。万葉集編纂者の意図がどこにあるのか不明であるが、公的な場での歌、例えば結婚式で詠われた歌ではないか等の説もある。確かに、「新桑繭(にひぐはまよ)の衣(きぬ)」や「君が御衣」という文言からは、東歌的庶民の生活感から離れた感覚が強いのも否定できない。こういった点からは「公式的」な色彩が強く、「相聞」的要素があるものの「雑歌」に分類されたとも考えられるのである。 

 

 「クワは落葉高木で、四月に新しい葉を出す。その葉を食べた蚕が作った繭(春蚕の繭)から取り出した絹糸で織った着物を新桑繭(にひぐはまよ)の衣という。万葉集には三首の桑の歌があるが、食用になる桑の実を歌ったものもなく、独特の桑の香りを歌ったものもない。絹を取り出すための養蚕の歴史は古く、雄略紀六年の条には、天皇が后妃に命じて蚕を飼うことをすすめる記事があり、継体紀(けいたいき)元年の条には、天皇が自ら農業をし、后妃が自ら蚕を飼ったという記事がある。もちろん万葉でも、かひこ、かふこ、あるいは桑子(くはご)とまで呼ばれて親しまれていた。

 桑の中でも、山野に自生する桑は、柘(つみ)とも呼ばれた。柘では、吉野川に流れる柘の枝の話、いわゆる柘枝伝(しゃしでん)が名高い。それは、中国思想を地盤として吉野川の辺に生まれた伝説で、吉野の漁師である味稲(うましね)が、川を流れてくる柘の枝が梁(やな)に打ち上げられたのを拾ったところ、枝が美しい女に変わったという話である。このような伝説が生じるほど桑や柘は、古代の人に親しまれた木であった。」

                         (万葉の小径 くはの歌碑)

 

  御衣(みけし)は衣の最上の敬語である。御(み)は敬語、衣(けし)は動詞「けす」の名詞形である。「けす」は「着る」の敬意ある動詞である。着物が着たいというのは、その人の霊魂を欲しいという意味である。恋愛結婚のしるしとして、相手に衣を与えるのである。

 筑波山の嬥歌会(かがひ)での歌といわれる。嬥歌会(かがひ)は神を祭る伝統であり、青年男女の出合いの場であり、恋の実現の場であったといわれる。

 巻十四東歌二三八首、すべて五七五七七で整っている。東歌は民謡であるとか、嬥歌会(かがひ)での歌といわれているが、すべてが三十一音に定型化されていることが、民謡等とかけ離れていることを物語っている。

 東歌という言い方は、都人の都意識がなせるものである。歌の内容は都と文化的にはかけ離れたものではあるが、歌として都的要素が強いものとなっている。東歌そのものも「鄙の都化」されたものと考えることもできよう。都と東国との文化的交流ならびに東国の都文化の吸収力の高さを物語っているのではないか。

 

万葉集には、「桑」が詠み込まれているのは三首である。うち一首は「桑子(くわこ)」となっており、植物でなく「蚕」のことを詠っているのである。

 

一三五七歌(桑)、三〇八六歌(蚕)ともにみておこう。

 

◆足乳根乃 母之其業 桑尚 願者衣尓 著常云物乎

               (作者未詳 巻七 一三五七)

 

≪書き下し≫たらちねの母がその業(な)る桑(くは)すらに願(ねが)へば衣(きぬ)に着るといふものを。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

(訳)母が生業(なりわい)として育てている桑の木でさえ、ひたすらお願いすれば着物として着られるというのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

◆中ゝ二 人跡不在者 桑子尓毛 成益物乎 玉之緒許

               (作者未詳 巻十二 三〇八六)

 

≪書き下し≫なかなかに人とあらずば桑子(くわこ)にもならましものを玉の緒ばかり

 

(訳)なまじっか人の身なんかではなくて、いっそのこと蚕にでもなりたい。玉の緒のはかない命をつなぐだけのありさまで。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)なかなかに 副詞:①なまじ。なまじっか。中途半端に。②いっそのこと。かえって。むしろ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くはこ【桑子】名詞:蚕の別名(学研) はかない命のたとえ。

(注)玉の緒ばかり:恋の苦しさにわずかに魂をつなぎとめている状態を「玉の緒」に見立てた表現。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の恋歌」 堀内民一 著 (創元社

★「万葉集東歌論」 加藤静雄 著 (桜楓社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「万葉の小径 くはの歌碑」