万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その479)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(15)―万葉集 巻三 三七九

●歌は、「ひさかたの天の原より生れ来たる神の命奥山の賢木の枝に白香付け木綿取り付けて斎瓮を斎ひ掘り据ゑ竹玉を繁に貫き垂れ鹿じもの膝析き伏してたわや女の襲取り懸けかくだにも我れは祈ひなむ君に逢はじかも」である。

 

f:id:tom101010:20200504205149j:plain

奈良市神功4丁目 万葉の小径(15)万葉歌碑(大伴坂上郎女 さかき)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(15)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝析伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 君尓不相可聞

                (大伴坂上郎女 巻三 三七九)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 生(あ)れ来(き)たる 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝(えだ)に 白香(しらか)付け 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿(しし)じもの 膝(膝)折り伏して たわや女(め)の 襲(おすひ)取り懸(か)け かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも

 

(訳)高天原の神のみ代から現われて生を継いで来た先祖の神よ。奥山の賢木の枝に、白香(しらか)を付け木綿(ゆう)を取り付けて、斎瓮(いわいべ)をいみ清めて堀り据え、竹玉を緒(お)にいっぱい貫き垂らし、鹿のように膝を折り曲げて神の前にひれ伏し、たおやめである私が襲(おすい)を肩に掛け、こんなにまでして私は懸命にお祈りをしましょう。それなのに、我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらか【白香】名詞:麻や楮(こうぞ)などの繊維を細かく裂き、さらして白髪のようにして束ねたもの。神事に使った。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい。(学研)

(注)たかだま【竹玉・竹珠】名詞:細い竹を短く輪切りにして、ひもを通したもの。神事に用いる。(学研)

(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)おすひ【襲】名詞:上代上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの。主に神事の折の、女性の祭服。(学研)

(注)だにも 分類連語:①…だけでも。②…さえも。 ※なりたち副助詞「だに」+係助詞「も」

(注)君:ここでは、亡夫宿奈麻呂

 

 題詞は、「大伴坂上郎女祭神歌一首并短歌」<大伴坂上郎女、神を祭る歌一首并せて短歌>である。 

 

 

 「サカキは、常緑高木。厚い葉には瑞々しいつやがあるので、上代から今に至るまで神前に供えられることが多い。サカキの名の由来も、あるいは「栄え木」がつづまったものかという。この歌は、祭神歌であって、天平五年に大伴氏を代表して、大伴の氏神をお祭りした時の歌である。坂上郎女は、一族の家刀自(いえとじ:大伴一族をとりしきる主婦)として大伴家の先祖の神々に祈っている。天の忍日命(おしひのみこと)に始まる大伴家の先祖に、榊の枝にしらか(不明。一説に白髪とする)と白い木綿をつけて祈り、祈りの場は、瓮(かめ)を据え、竹を輪切りにしたものを紐に通して上から吊るし、自分はおすひ(長い上衣か)をかけてとり行うのである。」(万葉の小径 さかきの歌碑)

 

 「反歌」(三八〇歌)もみてみよう。

 

◆木綿疉 手取持而 如此谷母 吾波乞甞 君尓不相鴨

               (大伴坂上郎女 巻三 三八〇)

 

≪書き下し≫木綿畳(ゆふたたみ)手に取り持ちて手にとりもちてかくだにも我(わ)れは祈(こ)ひなむ君に逢はじかも

 

(訳)木綿畳を手に掲げ持って神の前に捧(ささ)げ、私はこんなにまでしてお祈りしましょう。なのに、それでも我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(同上)

(注)ゆふたたみ【木綿畳】名詞:「木綿(ゆふ)」を折り畳むこと。また、その畳んだもの。神事に用いる。「ゆふだたみ」とも。(学研)

 

左注は、「右歌者 以天平五年冬十一月供祭大伴氏神之時 聊作此歌 故日祭神歌」<右の歌は、天平の五年の冬の十一月をもちて、大伴の氏(うじ)の神を供祭(まつ)る時に、いささかにこの歌を作る。故(ゆゑ)に神を祭る歌といふ>である。

 

 大伴坂上郎女は、大伴家持の叔母で姑でもあり、万葉集の代表的女性歌人長歌、短歌合わせて八十四首が収録されている。特に「相聞歌」では突出している。「斉明天皇など、二,三の皇族作家に雑歌の多い人がいるが、女性とはいえ、公的な地位にあった彼女たちにおいて、それは当然ともいえよう。異彩を放つ大伴坂上郎女すら、やはり相聞歌の方が(雑歌に比し)はるかに多い。」「女性にとって、相聞に生きることがその生活の中心であった。(中略)男にすがって必死に生きなければならなかった女性の立場を、よく伝えている。」(「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著より抜粋)

 

万葉集にあって、「さかき」を詠んだ歌はこの一首だけである。坂上郎女は、一族の家刀自(いえとじ:大伴一族をとりしきる主婦)として大伴家の先祖の神々に祈っている時に詠った歌である。歌に詠まれている「君」については祖先の神なのか、亡夫か等諸説があるが、当時の祭礼をうかがい知ることができる貴重な歌でもある。

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「國文學 第23巻5号」万葉集の詩と歴史 (學燈社

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙書房

★「万葉の恋歌」 堀内民一 著 (創元社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉の小径 さかきの歌碑」