万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その480)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(16)―万葉集 巻六 一〇〇九

●歌は、「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木」である。

 

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奈良市神功4丁目 万葉の小径(16)(葛木王)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(16)である。

 

●歌をみていこう。

 

◆橘者 實左倍花左倍 其葉左倍 枝尓霜雖降 益常葉之樹

               (聖武天皇 巻六 一〇〇九)

 

≪書き下し≫橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉(とこは)の樹

 

(訳)橘の木は、実も花もめでたく、そしてその葉さえ、冬、枝に霜が降っても、ますます栄えるめでたい木であるぞ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)いや常葉の木:いよいよ茂り栄える常緑の樹。(伊藤脚注)

 

 

 題詞は、「冬十一月左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首」<冬の十一月に、左大弁(さだいべん)葛城王等(かづらきのおほきみたち)、姓橘の氏(たちばなのうぢ)を賜はる時の御製歌一首>である。

 

 左注は、「右冬十一月九日 従三位葛城王従四位上佐為王等 辞皇族之高名賜外家之橘姓已訖 於時太上天皇ゝ后共在于皇后宮以為肆宴而即御製賀橘之歌并賜御酒宿祢等也 或云 此歌一首太上天皇御歌 但天皇ゝ后御歌各有一首者其歌遺落未得探求焉 今檢案内 八年十一月九日葛城王等願橘宿祢之姓上表 以十七日依表乞賜橘宿祢」<右は、冬の十一月の九日に、従三位葛城王従四位上佐為王等(さゐのおほきみたち)、皇族の高き名を辞(いな)び、外家(ぐわいか)の橘の姓を賜はること已訖(をは)りぬ。その時に、太上天皇(おほきすめらのみこと)・皇后(おほきさき)、ともに皇后の宮に在(いま)して、肆宴(とよのあかり)をなし、すなはち橘を賀(ほ)く歌を御製(つく)らし、并(あは)せて御酒(みき)を宿禰等(すくねたち)に賜ふ。或(ある)いは「この歌一首は太上天皇の御歌。ただし、天皇・皇后の御歌おのもおのも一首あり」といふ。その歌遺(う)せ落(お)ちて、いまだ探(たづ)ね求むること得ず。今案内(あんない)に検(ただ)すに、「八年の十一月の九日に、葛城王等、橘宿禰の姓を願ひて表(へう)を上(たてまつ)る。十七日をもちて、表の乞(ねがひ)によりて橘宿禰を賜ふ」。と>

 左注の意味は、「右の歌は、冬11月9日、従三位葛城王橘諸兄)、従四位上佐為王(橘佐為)等、皇族の高名ある地位を辞して、外家之橘の姓を賜わる。このとき、太上天皇(たいじょうてんのう: 元正天皇)、皇后が共に皇后宮においでになり、宴を催されて橘を祝う歌をお作りになり、併(あわ)せて橘宿祢(たちばなのすくね)らに御酒を賜わる。また、この歌は太上天皇の歌とも云われている。但し、聖武天皇と皇后の歌がそれぞれ一首あったとのこと。その歌は無くなっており、探し求めることができない。今、調べてみると、天平八年十一月九日に葛城王(かつらぎのおおきみ)たちが橘宿祢(たちばなのすくね)の姓を申請し、一七日に橘宿祢を賜わったとある。」

(注)佐為王:橘諸兄の弟。橘宿禰佐為となる。天平九年八月没。(伊藤脚注)

(注)外家:母方の家。葛城王らの母、県犬養宿禰三千代は、和銅元年(708年)橘宿禰の姓を下賜された。(伊藤脚注)

 (注)だじょうてんのう【太上天皇】〘名〙:退位した天皇をいう尊称。文武天皇元年(六九七)に譲位した持統天皇に対して用いたのに始まる。だいじょうてんのう。だじょうてんのう。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)ここは、元正天皇

(注)皇后:ここでは、光明皇后藤原不比等の娘。(伊藤脚注)

(注)とよのあかり【豊の明かり】名詞:①酒を飲んで顔が赤らむこと。②宴会。特に、宮中の宴会。③「とよのあかりのせちゑ」に同じ。 ⇒「とよ」は接頭語。「あかり」は顔が赤らむの意。(学研)ここでは②の意

(注)案内:先例を書きとめた公式記録。(伊藤脚注)

 

 

 「今日、タチバナといえばヤブコウジ科の常緑低木であるカラタチバナを指すが、万葉のタチバナは、コミカンを初めとするみかん科の常緑高木のことである。コミカンは、ホンミカンともキシュウミカンとも呼ばれ、五月下旬に芳香をただよわす白い花を咲かせ、その実は食用になる。同じくみかん科のタチバナは、食用とはならないので、実も花も葉も素晴らしいという歌の意には、コミカンがもっとも適している。それは、垂仁天皇の病が急な時、田道間守(たじまもり)が常世の国から持ち帰った「時じくの香の木の実」(いつも芳しい木の実)であるから、たぢまもりの名に因んで、タチバナというと言われている

 橘は万葉集に約七〇回も歌われ、特に橘の花が歌われる時は、花橘と表現される、ホトトギスがこの花橘の繁みで鳴きとよもす※ので、しばしば両者が組み合わされている。一般に万葉人は、視覚や聴覚あるいは触覚に較べて、嗅覚が一番劣っていると言われ、芳香を放つ梅の花でさえ、わずかに一首に梅が香が詠まれているに過ぎないのに、花橘が「橘のにほへる香」「橘の下吹く風の香ぐはしき」と二度も香が詠まれるのは、その匂いを強烈に感じたからである。」 (万葉の小径 たちばなの歌碑)

 ※なきとよもす:鳴き響もす 鳴き声をあたりにひびかせる

 

 聖武天皇葛城王らに、橘姓を賜った際に、植物の「橘」にあやかって褒め讃えた歌である。(左記にあるように、この歌は太上天皇(先帝 元正天皇)の歌とも云われているが、歌碑にあるとおり聖武天皇としている)

 万葉集で、「たちばな」は、萩、松、梅に次いで六十八首が詠まれている。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★万葉の小径 たちばなの歌碑

 

※20240106一部改訂