万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その488)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(24)―万葉集 巻二 一一一

●歌は、「いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く」である。

 

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奈良市神功4丁目 万葉の小径(24)万葉歌碑(弓削皇子 ゆずるは)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(24)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 鳴濟遊久

               (弓削皇子 巻二 一一一)

 

≪書き下し≫いにしへに恋ふる鳥かも弓絃葉(ゆずるは)の御井(みゐ)の上(うへ)より 鳴き渡り行く

 

(訳)古(いにしえ)に恋い焦がれる鳥なのでありましょうか、鳥が弓絃葉の御井(みい)の上を鳴きながら大和の方へ飛び渡って行きます。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)古(いにしえ)に恋い焦がれる鳥:時鳥を懐古の悲鳥と見る中国の故事による。

  ※故事➡ホトトギスの異称のうち「杜宇」「蜀魂」「不如帰」は、中国の故事や伝説にもとづく。長江流域に蜀という傾いた国(秦以前にあった古蜀)があり、そこに杜宇という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の氾濫を治めるのを得意とする男に帝位を譲り、望帝のほうは山中に隠棲した。望帝杜宇は死ぬと、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるため、杜宇の化身のホトトギスは鋭く鳴くようになったと言う。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 何よりも帰るのがいちばん)と鳴きながら血を吐いた、血を吐くまで鳴いた、などと言い、ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

ユズリハは、今日ではユズリハと呼ぶのが普通であるが、万葉の頃には「ゆずるは」と呼んでいた。本州中部より西の山野に生育する木で、約二〇センチの長さになる葉に特色がある。初夏、大判の古葉と新葉が、いかにも目立って交代するので、その様子からゆずりはというと言われている。

 弓削皇子は持統女帝の供人ととして吉野にいる。持統にとって吉野は壬申の乱(六七二)前夜、約八か月主人天武天皇とともに立てこもった思い出の土地である。乱の平定後、約二〇年の後訪れた吉野で、一行の者すべてに共通する昔を思う心であったにちがいない、その懐古の情を込めて、弓削皇子は今鳴いている鳥が昔をしきりに思い出させることよと都にいる額田王に歌を贈った。

 ホトトギス万葉集中もっとも多く歌われている鳥で、約一六〇首の歌がある。夏の卯の花、橘、藤などとともに歌われ、一般には白いイメージの中で鳴く鳥であるが、高木のユズリハとともに詠われるのは、実に稀なことである。」(万葉の小径 ゆずるはの歌碑)

 

 

 この歌の題詞は、「幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首」<吉野の宮に幸(いでま)す時に、弓削皇子(ゆげのみこ)の額田王(ぬかたのおほきみ)に賜与(おく)る歌一首>である。

 

 天武天皇第六皇子の弓削皇子が、持統女帝吉野行幸に従い、行幸に老年のため参加できなかった額田王に贈った歌である。旅の夜明けにホトトギスの声を聞いて、ふと額田王のことが思い出されたのである。額田王の魂が我々と一緒についてきたと皇子は考えたのであろう。

 

 弓削皇子の歌に対して額田王は、次の歌で答えている。

 

題詞は、「額田王奉和歌一首 従倭京進入」<(額田王、和(こた)へ奉る歌一首 倭の京より進(たてまつ)り入る>である。

 

◆古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾念流碁騰 

                   (額田王 巻二 一一二)

 

≪書き下し≫いにしへに恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我(あ)が思(も)へるごと

 

(訳)古に恋い焦がれて飛び渡るというその鳥はほととぎすなのですね。その鳥はひょっとしたら鳴いたかもしれませんね。私が去(い)にし方(かた)を一途に思いつづけているように。(同上)

(注)けだし【蓋し】副詞:①〔下に疑問の語を伴って〕ひょっとすると。あるいは。②〔下に仮定の表現を伴って〕もしかして。万一。③おおかた。多分。大体。(学研) ※ここでは①の意

 

このように、ホトトギスは自分の生魂だと認めて、正面から「古に恋ふらむ鳥は時鳥」と歌ったのである。昔を恋したって鳴いている鳥は、(私の魂の)時鳥ですよ。私が先の天皇を慕っているように、鳴いていませんでしたか。と皇子の歌に和(あわ)せたのである。

 

「弓絃葉(ゆずるは)」は、松、裏白(うらじろ)、橙(だいだい)などとともに正月飾りに使われることが多い。絶えることのない世代の継承と子孫繁栄を願う気持ちが込められている。万葉集には二首収録されている。もう一首の方もみてみよう。

 

◆安杼毛敝可 阿自久麻夜末乃 由豆流波乃 布敷麻留等伎尓 可是布可受可母

                (作者未詳 巻十四 三五七二)

 

≪書き下し≫あど思(も)へか阿自久麻山の弓絃葉(ゆずるは)のふふまる時に風吹かずかも

 

(訳)いったいどういう気でじっとしているんだ。阿自久麻山の弓絃葉(ゆずるは)がまだ蕾(つぼみ)の時に、風が吹かないなんていうことがあるものかよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)あど 副詞:どのように。どうして。(学研)

(注)もふ【思ふ】他動詞:思う。 ※「おもふ」の変化した語。(学研)

(注)ふふむ【含む】自動詞:花や葉がふくらんで、まだ開ききらないでいる。つぼみのままである。(学研)

(注)弓絃葉(ゆずるは)のふふまる時に➡女が一人前でない間は、の譬え

(注)風吹かずかも➡他の男が言いよってこないとでも(思っているのか)、の譬え

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「大和万葉―その歌の風土」 堀内民一 著 (創元社

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉の小径 ゆずるはの歌碑」