万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その489)―奈良市神功4丁目 万葉の小径(25)―万葉集 巻五 七九八

●歌は、「妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」である。

 

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奈良市神功4丁目 万葉の小径(25)万葉歌碑(山上憶良 あふち)

●歌碑は、奈良市神功4丁目 万葉の小径(25)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陁飛那久尓

                   (山上憶良 巻五 七九八)

 

≪書き下し≫妹(いも)が見し棟(あふち)の花は散りぬべし我(わ)が泣く涙(なみた)いまだ干(ひ)なくに

 

(訳)妻が好んで見た棟(おうち)の花は、いくら奈良でももう散ってしまうにちがいない。。妻を悲しんで泣く私の涙はまだ乾きもしないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 

 「棟(センダン)は、万葉集では四首に歌われ、安布知などと書かれ、すべて「あふち」という。今日でも、関西では「あふち」「おうち」などと呼ばれている。ただし、栴檀(せんだん)は双葉より芳し、で知られている栴檀(センダン)の木とは、まったく別のものである。万葉の「あふち」(センダン)は落葉高木で、初夏に2センチほどの雪の結晶のような形をしたうっすらと紫色をした花を無数につける。その花が地面に散り敷いた時は、一面に白く見えるほどである。

 この歌に詠まれた神亀五年(七二八)、作者山上憶良は六九才と推定されるが、棟の花の挽歌も、実は憶良自身の妻の死を歌ったものではないようだ。妻が亡くなって、悲しみに沈んでいた旅人に代わって、憶良が、まるで自分の妻の死を悲しむかのように歌ったものであろう。ただ、山上憶良は、どんな代作でもする歌人ではなかった。この場合の旅人のように、相手が歌を作れる状況にない時、その悲惨な気持ちを代作する歌人であった。」                       (万葉の小径 あふちの歌碑)

 

  大宰帥大伴旅人は、憶良より三歳年下であるが、大宰府に赴任してまもなく、神亀五年、妻大伴郎女を失ったのである。

 

 

 万葉集巻五は特異な巻といわれる。大伴旅人山上憶良に関わる歌が中心となっている。しかも、年次は神亀五年(728年)から天平五年(733年)という短い期間に集約されている。また、大宰府を場とするものが多く、漢文の手紙、漢文の序、漢詩とともに歌があるという他の巻にない特徴を持っているのである。

 巻五は、歌は一字一音の仮名で書かれている。前述したように、漢文の手紙、漢文の序、漢詩とともに歌があるので、「仮名書記」をしたと考えられるのである。

 七九三歌「凶問(きょうもん)に報(こた)ふる歌」に続く、漢文と漢詩そして「日本挽歌」と題する歌(七九四から七九九)からなる「歌群」が、巻五の特徴を物語っている。

 

七九三歌から七九九歌まで、すべてみてみよう。

 

 七九三歌の標題は、「大宰帥大伴卿報凶問歌一首」<大宰帥(だざいのそち)大伴卿おほとものまへつきみ)、凶問(きょうもん)に報(こた)ふる歌一首>である。

(注)凶問(読み)きょうもん:〘名〙 凶事の知らせ。死去の知らせ。凶音。一説に、凶事を慰問すること。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 漢文の序は、「禍故重疊 凶問累集 永懐崩心之悲 獨流断腸之泣 但依兩君大助傾命纔継耳  筆不盡言 古今所歎」<禍故(くわこ)重畳(ちようでふ)し、凶問累集(るいじふ)す。永(ひたふる)に崩心(ほうしん)の悲しびを懐(むだ)き、独(もは)ら断腸(だんちゃう)の泣(なみた)を流す。ただ、両君の大助(たいじょ)によりて、傾命(けいめい)をわづかに継げらくのみ。 筆の言を尽さぬは、古今歎くところ>である。

 

(漢文の序の訳)不幸が重なり、悪い報(しらせ)が続きます。ひたすら崩心の悲しみに沈み、ひとり断腸の涙を流しています。ただただ、両君のこの上ないお力添えによって、いくばくもない余命をようやく繋ぎ留めているばかりです。 筆では言いたいことも尽くせないのは、昔も今も一様に嘆くところです。(同上)

 

◆余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理

                 (大伴旅人 巻五 七九三)

 

≪書き下し≫世(よ)のなかは空(むな)しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

 

(訳)世の中とは空しいものだと思い知るにつけ、さらにいっそう深い悲しみがこみあげてきてしまうのです。(同上)

(注)上二句は「世間空」の翻意

 

神亀五年六月二十三日<神亀(じんき)五年六月二十三日>

 

 漢文の序は、

「盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来二鼠競走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖 偕老違於要期獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩、無由再見 嗚呼哀哉

愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来厭離此穢土 本願託生彼浄刹」

 

≪漢文の序の書き下し≫けだし聞く、四生(ししやう)の起滅(きめつ)は夢(いめ)のみな空(むな)しきがごとく、三界(さんがい)の漂流(へうる)は環(わ)の息(とど)まらぬがごとし。このゆゑに、維摩大士(ゆいまだいじ)も方丈(はうじやう)に在(あ)りて染疾(ぜんしつ)の患(うれへ)を懐(むだ)くことあり、釈迦(しゃか)能仁(のうにん)は、双林(さうりん)に坐(ざ)して泥洹(ないをん)の苦しびを免(まぬか)れたまふことなし、と。故(そゑ)に知りぬ、二聖(にしやう)の至極(しごく)すらに力負(りきふ)の尋(たづ)ね至ることを払(はら)ふことあたはず、三千世界に誰(た)れかよく黒闇(こくあん)の捜(たづ)ね来(きた)ることを逃(のが)れむ、といふことを。二鼠(にそ)競(きほ)ひ走りて、度目(ともく)の鳥旦(あした)に飛ぶ、四蛇(しだ)争(いそ)ひ侵(をか)して、過隙(くわげき)の駒夕(ゆふへ)に走る。ああ痛きかも。紅顏(こうがん)は三従(さんじう)とともに長逝(ちやうせい)す、素質(そしつ)は四徳(しとく)とともに永滅(えいめつ)す。何ぞ図(はか)りきや、偕老(かいらう)は要期(えうご)に違(たが)ひ、独飛(どくひ)して半路(はんろ)に生(い)かむとは。蘭室(らんしつ)には屏風(へいふう)いたづらに張り、断腸(だんちゆう)の哀(かな)しびいよよ痛し、枕頭(しんとう)には明鏡(めいきゃう)空(むな)しく懸(か)かり、染筠 (ぜんゐん)の涙(なみた)いよよ落つ。泉門(せんもん)ひとたび掩(と)ざされて、また見るに由(よし)なし。ああ哀(かな)しきかも。

 

愛河(あいが)の波浪はすでにして滅ぶ、苦海(くがい)の煩悩(ぼんなう)もまた結ぼほることなし。従来(もとより)この穢土(ゑど)を厭離(えんり)す、本願(ほんぐわん)生(しやう)をその浄刹(じやうせつ)に託(よ)せむ。

(注)四生(ししょう)〘仏〙: 迷いの世界の生物をその生まれ方によって分けたもの。胎生・卵生・湿生・化生(けしよう)の四種。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)三界(さんがい)〘仏〙: 心をもつものの存在する欲界・色界・無色界の三つの世界。仏以外の全世界。(三省堂

(注)維摩(読み)ゆいま:大乗仏教経典の一つである『維摩経』の主人公の名。維摩詰 (きつ) ともいう。大乗仏教の空思想の立場に立って部派仏教の修行者を批判する在家仏教者の理想像として描かれている。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典)

(注)方丈(読み)ほうじょう:1丈 (約 3m) 四方の部屋の意で,禅宗寺院の住持や長老の居室をさす。『維摩経』に,維摩居士の室が1丈四方の広さであったという故事に由来する。転じて住職をも意味する。さらに一般的に師の尊称として用いられた。(ブリタニカ)

(注)能仁(読み)のうにん:能忍とも書かれ釈尊を意味する。能仁寂黙 (じゃくもく) とは,サンスクリット語 Śākyamuniの訳語で,聖者を意味する muniを mauna (沈黙の意) と結びつけた,いわば通俗語源解釈に立つ訳語で同じく釈尊をさす。(ブリタニカ)

(注)双林(読み)そうりん : 沙羅双樹(さらそうじゅ)の林。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)泥洹(読み)ないおん:⇒ 涅槃ねはん(コトバンク 大辞林 第三版)

(注)力負(りきふ):力ありて負い行く者。死の魔手。

(注)黒闇(読み)コクアン: くらやみ。暗黒。また、仏教で、迷いの闇。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)二鼠(読み)ニソ:仏語。白・黒の2匹のネズミ。昼夜・日月などにたとえる(コトバンク デジタル大辞泉

(注)四蛇(読み)シダ:天地や肉体を形成している地・水・火・風の4要素を、4匹の毒蛇にたとえた語。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)紅顔:麗しい顔色。「素質」(白い肌)とともに老妻への哀切を深める文飾。

(注)三従(読み)サンジウ《「儀礼」喪服から》昔、婦人の守るべきものとされた三つの事柄。結婚前には父に、結婚後は夫に、夫の死後は子に従うということ(コトバンク デジタル大辞泉

(注)四徳(読み)シトク: 《「礼記」昏義から》婦人のもつべき四つの徳。婦徳・婦言・婦功・婦容。四行。四教。(コトバンク デジタル大辞泉

(注)偕老(読み)カイロウ:《老いを偕(とも)にする意》夫婦が、年をとるまで仲よく一緒に暮らすこと(コトバンク デジタル大辞泉

(注)独飛:連れを失った鳥が独り飛ぶこと。

(注)染筠 (ぜんゐん)の涙:青竹の肌をも染める涙

(注)愛河:愛欲を川に喩えた仏教語

(注)苦海:俗世の苦悩を海に喩えた仏教語

(注)穢土(ゑど):穢れた地上。人間世界

(注)厭離(読み)エンリ:仏語。けがれた現世を嫌い離れること。おんり(コトバンク デジタル大辞泉

(注)浄刹(読み)ジョウセツ:① 清浄な国土。浄土。② 清浄な寺院。また、その境内。(コトバンク デジタル大辞泉

 

 

(漢文の序の訳)聞くところによれば、万物の生死は夢がすべてはかないのと似ており、全世界の流転は輪が繋がって終わることがないのに似ている。こういうわけで、維摩大士も方丈の室(しつ)で病気の憂いを抱くことがあったし、釈迦能仁も沙羅双樹の林で死滅の苦しみから逃れることができなかった、とのことである。かくして知ることができる。この無上の二聖人でさえも、死の魔手の訪れを払いのけることはできず、この全世界の間、死神が尋ねてくるのをかわすことは誰にもできないということが。この世では、昼と夜とが先を争って進み、時は、朝に飛ぶ鳥が飛ぶ鳥が眼前を横切るように一瞬にして過ぎてしまうし、人体を構成する地水火風が互いにせめぎあって、身は、夕べに走る駒が隙間を通り過ぎるように瞬間にして消えてしまうのである。ああ、せつない。こうして世の中の理(ことわり)のままに、妻の麗(うるわ)しい顔色は三従の婦徳とともに永遠に消え行き、その白い肌は四徳の婦道とともに永遠に飛び去ってしまった。誰が思い設けたことか、夫婦共白髪の契りは空しむも果たされず、まるではぐれ鳥のように人生半ばにして独りわびしく取り残されようとは。かぐわしい閨(ねや)には屏風(びょうぶ)が空しく張られたままで、腸もちぎれるばかりの悲しみはいよいよ深まるばかり、枕元には明鏡が空しく懸ったままで、青竹の皮をも染める涙がいよいよ流れ落ちる。しかし、黄泉(よみ)の門がいったん閉ざされたからには、もう二度と見る手立てはない。ああ、悲しい。

いとしい妻はすでに死んでしまって、身を襲う煩悩も結ばれることなくただ揺れ動くばかり。私は前々からこの穢(けが)れた地上から逃れたいと思っていた。乞い願わくは、仏の本願にすがって、妻のいるかの極楽浄土に命を寄せたいものだ。(同上)

 

次の題詞は、「日本挽歌一首」<日本挽歌(にほんばんか)一首>である。

 

◆大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫國尓 泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陁尓母伊摩陁夜周米受 年月母 伊摩他阿良祢婆 許ゝ呂由母 於母波奴阿比陁尓 宇知那毗枳 許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓 石木乎母 刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎 宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可 尓保鳥能 布多利那良毗為 加多良比斯 許ゝ呂曽牟企弖 伊弊社可利伊摩須

                 (山上憶良 巻五 七九四)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国に 泣く子なす 慕(した)ひ来(き)まして 息(いき)だにも いまだ休めず 年月(としつき)も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間(あひだ)に うち靡(なび)き 臥(こ)やしぬれ 言はむすべ 為(せ)むすべ知らに 石木(いはき)をも 問(と)ひ放(さ)け知らず 家(いへ)ならば かたちはあらむを 恨(うら)めしき 妹(いも)の命(みこと)の 我(あ)れをばも いかにせよとか にほ鳥(どり)の ふたり並び居(ゐ) 語らひし 心背(そむ)きて 家離(ざか)りいます

 

(訳)都遠く離れた大君の政庁だからと、この筑紫の国に、泣く子のようにむりやり付いて来て、息すら休める間もなく年月もいくらも経たないのに、思いもかけぬ間(ま)にぐったりと臥(ふ)してしまわれたので、どう言手だてもわからず、せめて庭の岩や木に問いかけて心を晴らそうとするがそれもかなわず、途方にくれるばかりだ。ああ、あのまま奈良の家にいたなら、しゃんとしていられたろうに、恨めしい妻だが、この私にどうせよという気なのか、かいつぶりのように二人並んで夫婦の語らいを交わしたその心に背いて、家を離れて行ってしまわれた。(同上)

(注)しらぬいの ( 枕詞 ):地名「筑紫(つくし)」にかかる。  ※上代の枕詞「しらぬい」に「の」が付いて五音になったもの。(三省堂

 

 

反歌

 

◆伊弊尓由伎弖 伊可尓可阿我世武 摩久良豆久 都摩夜左夫斯久 於母保由倍斯母

               (山上憶良 巻五 七九五)

 

≪書き下し≫家に行(ゆ)きていかにか我(あ)がせむ枕付(まくらづ)く妻屋(つまや)寂(さぶ)しく思ほゆべしも

 

(訳)あの奈良の家に帰って、何としたら私はよいのか。二人して寝た妻屋がさぞさびしく思われることだろう。(同上)

(注)まくらづく【枕付く】分類枕詞:枕が並んでくっついている意から、夫婦の寝室の意の「妻屋(つまや)」にかかる。(学研)

 

◆伴之伎与之 加久乃未可良尓 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左

               (山上憶良 巻五 七九六)

 

≪書き下し≫はしきよしかくのみからに慕(した)ひ来(こ)し妹(いも)が心のすべもすべなさ

 

(訳)ああ、遠い夷(ひな)の地、筑紫で死ぬ定めだったのに、むりやり私に付いて来た妻の、その心根が何とも痛ましくてならない。(同上)

(注)はしきよし>はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。

参考愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 ※なりたち形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」(学研)

 

◆久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎

               (山上憶良 巻五 七九七)

 

≪書き下し≫悔しかもかく知らませばあをによし国内(くぬち)ことごと見せましものを

 

(訳)ああ残念だ。ここ筑紫の異郷でこんなはかない身になるとあらかじめ知っていたなら、故郷奈良の山や野をくまなく見せておくのだったのに。(同上)

 

◆大野山 紀利多知和多流 和何那宜久 於伎蘇乃可是尓 紀利多知和多流

               (山上憶良 巻五 七九九)

 

≪書き下し≫大野山(おほのやま)霧(きり)立ちわたる我(わ)が嘆くおきその風に霧立ち渡る

 

(訳)大野山に今しも霧が立ちこめている。ああ、私の嘆く息吹(いぶき)の風で霧が一面に立ちこめている。(同上)

(注)大野山:大宰府背後にある四王子山

(注)おきその風:息潚(おきうそ)の意か。嘆息は霧になると考えられた。

 

神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良上<神亀(じんき)五年七月二十一日 筑前国守(つくしのみちのくちのくにつかみ)山上憶良 上>

(注)上:奉るの意

 

「あふち」は懐旧の情を誘うといわれる。「逢ふ路」の意とも。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「太陽 №168」 特集・万葉集 (平凡社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典」

★「コトバンク デジタル大辞泉

★「万葉の小径 あふちの歌碑」