●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹さきくさの」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑 (30)にある。
●歌をみていこう。
◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹
(柿本朝臣人麿歌集 巻十 一八九五)
≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)
(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。
(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。
参考(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
―その528―
●歌は、「五月山卯の花月夜ほととぎす聞けども飽かずまた鳴かぬかも」である。
●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(31)にある。
●歌をみていこう。
(作者未詳 巻十 一九五三)
≪書き下し≫五月山(さつきやま)卯(う)の花月夜(づくよ)ほととぎす聞けども飽かずまた鳴くぬかも
(訳)五月の山に卯の花が咲いている月の美しい夜、こんな夜の時鳥は、いくら聞いても聞き飽きることがない。もう一度鳴いてくれないものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
月夜の情景を美しく詠っているが、月夜には男女の逢瀬が考えられる。そういった充実した心情が研ぎ澄まされた歌になったと考えられる。
逢瀬に関する月夜の歌をみてみよう。
◆吾背子之 振放見乍 将嘆 清月夜尓 雲莫田名引
(作者未詳 巻十一 二六六九)
≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)が振(ふ)り放(さ)け見つつ嘆くらむ清き月夜(つくよ)に雲なたなびき
(訳)あの方がはるかに仰ぎ見ながら、私を偲んで今頃溜息(ためいき)をついているに違いない。この清らかな月夜に、雲よ、たなびかないでおくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
◆真素鏡 清月夜之 湯徒去者 念者不止 戀社益
(作者未詳 巻十一 二六七〇)
≪書き下し≫まそ鏡清き月夜のゆつりなば思ひはやまず恋こそまさめ
(訳)澄んだ鏡のように清らかな月の照らすこの夜空が暗くなってしまったなら、胸の思いは紛れずに苦しみがいっそうつのってこように・・・(同上)
(注)まそかがみ【真澄鏡】分類枕詞:鏡の性質・使い方などから、「見る」「清し」「照る」「磨(と)ぐ」「掛く」「向かふ」「蓋(ふた)」「床(とこ)」「面影(おもかげ)」「影」などに、「見る」ことから「み」を含む地名「敏馬(みぬめ)」「南淵山(みなぶちやま)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)「ゆつる」は、「いうつる」
もう一首みておこう。
◆闇夜有者 宇倍毛不来座 梅花 開月夜尓 伊而麻左自常屋
(紀女郎 巻八 一四五二)
≪書き下し≫闇(やみ)ならばうべも来(き)まさじ梅の花咲ける月夜(つくよ)に出(い)でまさじとや
(訳)闇夜ならばおいでにならないのもごもっともなことです。が、梅の花の咲いているこんな月夜の晩にも、お出ましにならないというのですか。(同上二)
(注)うべも【宜も】分類連語:まことにもっともなことに。ほんとうに。なるほど。道理で。 ※なりたち副詞「うべ」+係助詞「も」(学研)
(注)とや 分類連語:①〔文中の場合〕…と…か。…というのか。 ※「と」で受ける内容について疑問の意を表す。②〔文末の場合〕(ア)…とかいうことだ。 ※伝聞あるいは不確実な内容であることを表す。(イ)…というのだな。…というのか。 ※相手に問い返したり確認したりする意を表す。 参考②(ア)は説話などの末尾に用いられる。「とや言ふ」の「言ふ」が省略された形。 ※なりたち格助詞「と」+係助詞「や」(学研)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代の恋愛生活 万葉集の恋歌を読む」 古橋信孝 著 (NHKブックス)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」