万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その538,539,540)―奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(41,42,43)―万葉集 巻十六 三八三二、三八三四、三八三六

―その538―

●歌は、「からたちの茨刈り除け倉建てむ尿遠くまれ櫛造る刀自」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(41)万葉歌碑(忌部首 からたち)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(41)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆枳 棘原苅除曽氣 倉将立 尿遠麻礼 櫛造刀自

               (忌部首 巻十六 三八三二)

 

≪書き下し≫からたちの茨(うばら)刈り除(そ)け倉(くら)建てむ屎(くそ)遠くまれ櫛(くし)造る刀自(とじ)

 

(訳)枳(からたち)の痛い茨(いばら)、そいつをきれいに刈り取って米倉を建てようと思う。屎(くそ)は遠くでやってくれよ。櫛作りのおばさんよ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)まる【放る】他動詞:(大小便を)する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)とじ【刀自】名詞:①主婦。「とうじ」とも。②…様。…君。▽夫人の敬称。③宮中の「内侍所(ないしどころ)」「御廚子所(みづしどころ)」「台盤所(だいばんどころ)」などに勤めて雑役に従う女官。 ※「刀自」は万葉仮名に基づく表記。(学研)

 

 題詞は、「忌部首詠數種物歌一首 名忘失也」<忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠む歌一首 名は、忘失(まうしつ)せり>である。

 

 万葉集に詠まれた「からたち」はこの一首のみである。中国において、カラタチは、橘と比較して、品位に欠け、鑑賞価値のない柑橘類とされてきたため、我が国においても江戸時代まではこの考え方が一般的であった。

 

 枕草子の「名おそろしきもの」として、「青淵。谷の洞。鰭板(はたいた)。鉄(くろがね)。土塊(つちくれ)。雷(いかづち)は名のみにもあらず、いみじうおそろし。疾風(はやち)。不祥雲。矛星(ほこぼし)。肘笠雨。荒野(あらの)ら。強盗(がうだう)、またよろづにおそろし。らんそう、おほかたおそろし。かなもち、またよろづにおそろし。生霊(いきすだま)。蛇(くちなわ)いちご。鬼わらび。鬼ところ。荊(むばら)。枳殻(からたち)。炒炭(いりずみ)。牛鬼。碇(いかり)、名よりも見るはおそろし。」とあるように、「枳殻(からたち)」があげられている。

 

正直、このような歌が、万葉集に収録されていることに驚くと同時に、遊び心への寛容性がまた、万葉集の魅力の一つになりうるのである。

 

 

―その539―

●歌は、「梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(42)万葉歌碑(作者未詳 なつめ)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(42)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲

               (作者未詳 巻十六 三八三四)

 

≪書き下し≫梨棗(なしなつめ)黍(きみ)に粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛(くず)の 後(のち)も逢(あ)はむと 葵(あふひ)花咲く

 

(訳)梨(なし)、棗(なつめ)、黍(きび)、それに粟(あわ)と次々に実っても、早々に離れた君と今は逢えないけれど、延び続ける葛(くず)のようにのちにでも逢うことができようと、葵(あおい 逢う日)の花が咲いている。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

植物の名前にかけた言葉遊びが隠されている。「黍(きみ)」は、「君(きみ)」に、「粟(あは)」は「逢(あ)ふ」に、そして「葵(あふひ)」には、「逢(あ)ふ日(ひ)」の意味が込められているのである。

 

ナツメは、落葉低木または小高木で、「夏芽でその芽立ちがおそく、初夏に入ってようやく芽を出す特性を以って名付けた」(牧野新日本植物図鑑)という。万葉集に収録されているナツメを歌う歌は、三八三〇、三八三四歌の二首で、三八三〇歌は、玉掃(たまはばき)・室(むろ)・棗(なつめ)の三種の植物がもう一首は、梨、棗、黍(きび)、粟、葛、葵の六種の植物が一度に詠まれている。しかしどちらもナツメを中心に歌った歌ではない。

 

 三八三〇歌もみてみよう。

 

◆玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 與棗本 可吉将掃為

               (長意吉麿 巻一六 三八三〇)

 

≪書き下し≫玉掃(たまはばき) 刈(か)り来(こ)鎌麿(かままろ)むろの木と棗(なつめ)が本(もと)とかき掃(は)かむため

 

(訳)箒にする玉掃(たまばはき)を刈って来い、鎌麻呂よ。むろの木と棗の木の根本を掃除するために。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

 

題詞は、「詠玉掃鎌天木香棗歌」<玉掃(たまばはき)、鎌(かま)、天木香(むろ)、棗(なつめ)を詠む歌>である。この互いに無関係の四つのものを、ある関連をつけて即座に歌うのが条件であった。

 

このような歌は、平安時代には、物名歌(ぶつめいか)と呼ばれるジャンルを形成していることになる。万葉の時代の歌は、そのはしりと見られている。

作者の長意吉麿は、正しくは長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)といい、忌寸(いみき)という姓から渡来系の人と見られる。

 

(注)物名歌(読み)ぶつめいか:和歌の分類の一つ。「もののな」の歌,隠題 (かくしだい) の歌ともいう。事物の名を歌の意味とは無関係に詠み込んだ遊戯的な和歌。動植物名,地名,食品名などが多い。物名は1つに限らず,十二支を2首の歌に詠み入れた例 (『拾遺集』) もあり,また「をみなへし」を折句にした例 (『古今集』) など特異なものもある。その萌芽は『万葉集』巻十六の長忌寸意吉麻呂 (ながのいみきおきまろ) の歌にみられる。平安時代に入って和歌が宮廷貴族社会に浸透するにつれて盛んになり,『宇多院物名歌合』が催されたり,藤原輔相 (すけみ) のような物名歌に堪能な歌人が出たりした。また『古今集』『拾遺集』『千載集』には「物名」の部立が設けられた。鎌倉時代以降は衰えた。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 

 

―その540―

●歌は、「奈良山の児手柏の両面にかにもかにも佞人が伴」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(43)万葉歌碑(消奈行文大夫 このてがしは)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(43)にある。

                                         

●歌をみていこう。

 

◆奈良山乃 兒手柏之 兩面尓 左毛右毛 ▼人之友

               (消奈行文大夫 巻十六 三八三六)

 ※ ▼は、「イ+妾」となっているが、「佞」が正しい表記である。➡以下、「佞人」と書く。読みは、「こびひと」あるいは「ねぢけびと」➡以下、「こびひと」と書く。

 

≪書き下し≫奈良山(ならやま)の児手柏(このてかしは)の両面(ふたおも)にかにもかくにも佞人(こびひと)が伴(とも)

 

(訳)まるで奈良山にある児手柏(このてかしわ)のように、表の顔と裏の顔とで、あっちにもこっちにもいい顔をして、いずれにしても始末の悪いおべっか使いの輩よ。(同上)

(注)上二句「奈良山乃 兒手柏之」は、「兩面尓」を起こす序。

(注)かにもかくにも 副詞:とにもかくにも。どうであれ。(学研)

(注)ねいじん【佞人】:心がよこしまで人にへつらう人。(weblio辞書 三省堂大辞林 第三版)

 

 題詞は、「謗佞人歌一首」<佞人(ねいじん)を謗(そし)る歌一首>である。

 左注は、「右歌一首博士消奈行文大夫之」<右の歌一首は、博士(はかせ)、消奈行文大夫(せなのかうぶんのまへつきみ)作る>である。

(注)消奈行文:奈良時代の官吏。高倉福信(たかくらのふくしん)の伯父。幼少より学をこのみ明経第二博士となり、養老5年(721)学業優秀として賞された。神亀(じんき)4年従五位下。「万葉集」に1首とられている。また「懐風藻」に従五位下大学助、年62とあり、五言詩2首がのる。武蔵(むさし)高麗郡(埼玉県)出身。(コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

 「カシワ」は、「炊ぐ葉(かしぐは)」で、炊しいだもの、つまり調理した食べ物を盛るために適した木の葉の総称である。今の「柏」は、その中でも、手に入りやすく香りも好まれてカシワの代表格になっていったものと考えられる。落葉樹のブナ科である。今でも干物などを盛り付けるヒノキ科のコナノテカシワがある。こちらは、両面同じで裏表の区別がつかない。

 三八三六歌は、ヒノキ科のコナノテカシワを喩えに用いて、「表の顔と裏の顔とで、あっちにもこっちにもいい顔をして、いずれにしても始末の悪いおべっか使いの輩よ。」と批判しているのである。

 

 

●「その538」の三八三二歌、「その539」の三八三〇、三八三四歌、「その540」の三八三六歌が収録されている万葉集巻十六の巻頭には「有由縁幷雑歌」とあり、他の巻と比べても特異な位置づけにある。大きく分けてA~Fの6つの歌群が収録されている。

 

 Aグループ:題詞が他の巻と異なり物語的な内容をもつ歌物語の類(三七八六~三八〇五歌)

 Bグル―プ:同じく歌物語的ではあるが、左注が物語的に述べる類(三八〇六~三八一五歌)

 Ⅽグループ:いろいろな物を詠みこむように題を与えられたのに応じた類(三八二四~三八三四歌、三八五五~三八五六歌)

 Dグループ:「嗤う歌」という題詞をもつ類(三八四〇~三八四七歌、三八五三~三八五四歌)

 Eグループ:国名を題詞に掲げる歌の類(三八七六~三八八四歌)

 Fグループ:その他の歌の類(三八八五~三八八九歌➡「『乞食者詠二首』(三八八五、三八八六歌)と『怕物歌三首』(三八八七~三八八九歌)の五首」他AからEグループに属さないと考えられる歌の類

(注)「怕(おそ)ろしき物」:伊藤 博氏が「万葉集 三」(角川ソフィア文庫)の脚注で、「畏怖の対象となる物を題材とする歌。天上・海上・地上に関する歌が組み合わされている。『物』は『霊』の意」と書かれている。

 

上述の三八三〇、三八三二、三八三四歌は、「Cグループ」に、三八三六歌は、「Fグループ」に属している。

 

この種の多様なジャンルの歌も収録しているところにも、万葉集万葉集たる所以があるように思える。万葉集編者の強い思いが伝わって来る。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二・編 (學燈社

★「万葉の小径歌碑 なつめ」

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林 第三版」

★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」

★「コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plus」