万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その548)―奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(51)―万葉集 巻二十 四四〇八

●歌は、「・・・ははそ葉の母の命はみ裳の裾摘み上げて掻き撫でちちの実の父の命は・・・」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(51)万葉歌碑(大伴家持 ちち)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(51)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「陳防人悲別之情歌一首幷短歌」<防人が悲別の情(こころ)を陳(の)ぶる歌一首幷(あは)せて短歌>である。

 

◆大王乃 麻氣乃麻尓ゝゝ 嶋守尓 和我多知久礼婆 波ゝ蘇婆能 波ゝ能美許等波 美母乃須蘇 都美安氣可伎奈埿 知ゝ能未乃 知ゝ能美許等波 多久頭努能 之良比氣乃宇倍由 奈美太多利 奈氣伎乃多婆久 可胡自母乃 多太比等里之氐 安佐刀埿乃 可奈之伎吾子 安良多麻乃 等之能乎奈我久 安比美受波 古非之久安流倍之 今日太尓母 許等騰比勢武等 乎之美都々 可奈之備麻勢婆 若草之 都麻母古騰母毛 乎知己知尓 左波尓可久美為 春鳥乃 己恵乃佐麻欲比 之路多倍乃 蘇埿奈伎奴良之 多豆佐波里 和可礼加弖尓等 比伎等騰米 之多比之毛能乎 天皇乃 美許等可之古美 多麻保己乃 美知尓出立 乎可之佐伎 伊多牟流其等尓 与呂頭多妣 可弊里見之都追 波呂ゝゝ尓 和可礼之久礼婆 於毛布蘇良 夜須久母安良受 古布流蘇良 久流之伎毛乃乎 宇都世美乃 与能比等奈礼婆 多麻伎波流 伊能知母之良受 海原乃 可之古伎美知乎 之麻豆多比 伊己藝和多利弖 安里米具利 和我久流麻埿尓 多比良氣久 於夜波伊麻佐祢 都ゝ美奈久 都麻波麻多世等 須美乃延能 安我須賣可未尓 奴佐麻都利 伊能里麻乎之弖 奈尓波都尓 船乎宇氣須恵 夜蘇加奴伎 可古等登能倍弖 安佐婢良伎 和波己藝埿奴等 伊弊尓都氣己曽

                 (大伴家持 巻二十 四四〇八)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに 島守(そまもり)に 我が立(た)ち来(く)れば ははそ葉(ば)の 母の命(みこと)は み裳(も)の裾(すそ) 摘(つ)み上(あ)げ掻(か)き撫(な)で ちちの実(み)の 父の命(みこと)は 栲(たく)づのの 白(しら)ひげの上(うへ)ゆ 涙垂(なみだた)り 嘆きのたばく 鹿子(かこ)じもの ただひとりして 朝戸出(あさとで)の 愛(かな)しき我(あ)が子 あらたまの 年の緒(を)長く 相(あひ)見ずは 恋(こひ)しくあるべし 今日(けふ)だにも 言(こと)どひせむと 惜(を)しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲(かく)み居(ゐ) 春鳥(はるとり)の 声のさまよひ 白栲(しろたへ)の 袖(そで)泣き濡(ぬ)らし たづさはり 別れかてにと 引き留(とど)め 慕ひしものを 大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み 玉桙(たまぼこ)の 道に出で立ち 岡(おか)の崎(さき) い廻(た)むるごとに 万(よろづ)たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来(く)れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命(いのち)も知らず 海原(うなはら)の 畏(かしこ)き道を 島伝(づた)ひ い漕(こ)ぎ渡りて あり廻(めぐ)り 我が来るまでに 平(たひら)けく 親(おや)はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉(すみのゑ)の 我(あ)が統(す)め神(かみ)に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 祈(いの)り申(まを)して 難波津(なにはづ)に 船を浮け据(す)ゑ 八十(やそ)楫(か)貫(ぬ)き 水手(かこ)ととのへて 朝開(あさびら)き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ

 

(訳)大君の仰せのままに、島守として私が家を出て来た時、ははその母の君はみ裳の裾をつまみ上げて私の顔を撫で、ちちの実の父の君は栲づのの白いひげ伝いに涙を流して、こもごも嘆いておっしゃることに、「鹿の子のようにただひとり家を離れて朝立ちして行くいとしい我が子よ、年月久しく逢わなかったら恋しくてやりきれないだろう、せめて今日だけでも存分に話をしよう」と、名残を惜しみながら悲しまれると、妻や子たちもあちらからこちらからいっぱいに私を取り囲んで、春鳥の鳴き騒ぐようにうめき声をあげてせつながり、白い袖を泣き濡らして、手に取り縋って別れるのはつらいと私を引き留め追って来たのに、大君の仰せの恐れ多さに旅路に出で立ち、岡の出鼻を曲がるごとに、いくたびとなく振り返りながら、こんなにはるかに別れて来ると、思う心も安らかでなく、恋い焦がれる心も苦しくてたまらないのだが・・・、生身のこの世の人間である限り、たまきはる命のほども計りがたいとはいえ、どうか、海原の恐ろしい道、その海原の道を島伝いに漕ぎ渡って、旅路から旅路へとめぐり続けて私が無事に帰って来るまで、親は親で幸福でいてほしい、妻は妻で達者でいてほしいと、我が神と縋る住吉の海の神様に幣を捧げてねんごろにお祈りをし、難波津に船を浮かべ、櫂(かい)をびっしり取り付け水手(かこ)を揃えて、朝早く私は漕ぎ出して行ったと、家の者に知らせて下さい。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)しまもり【島守】名詞:島の番人。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ははそばの <柞葉の>:同音の「はは」の繰り返しで「母」にかかる枕詞。「ははそば」とは「ははその葉」のことで、ははそは、コナラおよびそれと似たクヌギの総称。万葉集には藤原宇合の歌に「山科の 石田の小野の ははそ原」とあり(9-1730)、ははその木が多く生えた原があったらしい。「ははそ葉の母の命」は大伴家持の歌2首にみられ(19-4164、20-4408)、「ちちの実の 父の命」と対にしてよまれている。この歌において父母を「父の命」「母の命」といった神名のごとき呼称でよむにあたって冠された語であることが知られる。(万葉神事語事典 國學院大學デジタル・ミュージアム

(注)ちちのみの【ちちの実の】分類枕詞:同音の繰り返しで「父(ちち)」にかかる。「ちちのみの父の命(みこと)」(学研)

(注)たくづのの【栲綱の】分類枕詞:栲(こうぞ)の繊維で作った綱は色が白いことから「白」に、また、その音を含む「新羅(しらぎ)」にかかる。(学研)

(注)のたぶ【宣ぶ】他動詞:「のたうぶ」に同じ。>のたうぶ【宣ぶ】他動詞:おっしゃる。「のたぶ」とも。 ▽「言ふ」の尊敬語。(学研)

(注)-じもの 接尾語:名詞に付いて、「…のようなもの」「…のように」の意を表す。「犬じもの」「鳥じもの」「鴨(かも)じもの」。 ※上代語。(学研)

(注)あさとで【朝戸出】名詞:朝、戸を開けて出て行くこと。(学研)

(注)ことどひ【言問ひ】名詞:言葉を言い交わすこと。語り合うこと。(学研)

(注)をちこち【彼方此方・遠近】名詞:①あちらこちら。②将来と現在(学研)

(注)さはに 【多に】副詞:たくさん。(学研)

(注)はるとりの【春鳥の】( 枕詞 ):春に鳴く鳥のようにの意で、「さまよふ」「音(ね)のみ泣く」「声のさまよふ」にかかる。 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)さまよふ【吟ふ・呻ふ】自動詞:力のない声でうめく。ため息をつく。 ※上代語。(学研)

(注)たづさはる【携はる】自動詞:①手を取り合う。②連れ立つ。③かかわり合う。関係する。(学研)

(注)したふ【慕ふ】他動詞:①(心引かれて)あとを追う。ついて行く。②恋しく思う。愛惜する。慕う。(学研)

(注)はろばろなり【遥遥なり】形容動詞:遠く隔たっている。「はろはろなり」とも。 ※上代語。

(注)そらなり【空なり】形容動詞:①心がうつろだ。上の空だ。②いい加減だ。あてにならない。③〔連用形「そらに」の形で〕物を見ないで。暗記していて。そらんじていて。(学研) ここでは①の意

(注)たひらけし【平らけし】形容詞:穏やかだ。無事だ。(学研)

(注)つつみなし【恙み無し】形容詞:支障がない。無事である。(学研)

(注)かぢ【楫・梶】名詞:櫓(ろ)や櫂(かい)。船をこぐ道具。(学研)

   類語:真楫(まかじ)繁貫(しじぬ)く :船に左右そろった櫂 (かい) をたくさん取り付ける。(goo辞書)

(注)かこ【水手・水夫】名詞:船乗り。水夫。 ※「か」は「かぢ(楫)」の古形、「こ」は人の意。(学研)

 

 

短歌四首もみておこう。

 

◆伊弊婢等乃 伊波倍尓可安良牟 多比良氣久 布奈埿波之奴等 於夜尓麻乎佐祢

               (大伴家持 巻二十 四四〇九)

 

≪書き下し≫家人(いへびと)の斎(いは)へにかあらむ平けく船出(ふなで)はしぬと親に申(まを)さね

 

(訳)家の者みんなが身を浄めて祈ってくれているおかげであろうか、何とか平安に船出はした、と、親に申し伝えて下さい。(同上)

(注)いはふ【斎ふ】他動詞:①けがれを避け、身を清める。忌み慎む。②神としてあがめ祭る。③大切に守る。慎み守る。 ※ 注意「祝う」の古語「祝ふ」もあるが、「斎ふ」とは別語。(学研)

 

◆美蘇良由久 ゝ母ゝ都可比等 比等波伊倍等 伊弊頭刀夜良武 多豆伎之良受母

               (大伴家持 巻二十 四四一〇)

 

≪書き下し≫み空行く雲も使(つかひ)と人は言へど家づと遣(や)らむたづき知らずも

 

(訳)大空を行く雲も使いだと人は言うけれど、家への土産を届ける手立てがわからない。(同上)

(注)いえづと いへ- 【家苞・家裹】:家に持って帰るみやげ。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)たづき【方便】名詞:①手段。手がかり。方法。②ようす。状態。見当。 ※参考:古くは「たどき」ともいった。中世には「たつき」と清音にもなった。(学研)

 

 

◆伊弊都刀尓 可比曽比里弊流 波麻奈美波 伊也之久ゝゝ二 多可久与須礼騰

               (大伴家持 巻二十 四四一一)

 

≪書き下し≫家づとに貝ぞ拾(ひり)へる浜波(はまなみ)はいやしくしくに高く寄すれど

 

(訳)家への土産に私は貝を拾っている。浜辺の波は、あとからあとからしきりに高く寄せて来るけれど。(同上)

(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)

 

 

◆之麻可氣尓 和我布祢波弖氐 都氣也良牟 都可比乎奈美也 古非都ゝ由加牟

               (大伴家持 巻二十 四四一二)

 

≪書き下し≫島蔭(しまかげ)に我が船泊(は)てて告(つ)げ遣(や)らむ使を無みや恋ひつつ行かむ

 

(訳)島陰にわれらの船を泊めたところで、そのことを知らせてやる使いがないので、家恋しさに暮れながら、私はこれからの道のりを行かねばならぬのか。(同上)

 

四四〇八歌の「ちち」については、イヌビワとイチョウの二つの説がある。イヌビワは、葉や枝を折ったり、実を傷つけたりすると白い乳液状のものが出ることから、またイチョウは、その樹が古くなると幹に乳房状の突起が垂れ下がることから、ともに「チチノキ」と呼ばれてきた。有史以前から両者とも日本に自生していたと考えられてきたが、近年の研究で、イチョウ室町時代に中国から渡来したとする説が有力になって来ているそうである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」