万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その549)―奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(52)―万葉集 巻二十 四四三一

●歌は、「笹が葉のさやぐ霜夜に七種着る衣に増せる子ろが肌はも」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(52)万葉歌碑(作者未詳 ささ)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(52)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆佐左賀波乃 佐也久志毛用尓 奈ゝ弁加流 志呂毛尓麻世流 古侶賀波太波毛

               (作者未詳 巻二十 四四三一)

 

≪書き下し≫笹(ささ)が葉のさやぐ霜夜(しもよ)に七種(ななへ)着(か)る衣(ころも)に増(ま)せる子ろが肌(はだ)はも

 

(訳)笹の葉のそよぐこの寒い霜夜に、七重も重ねて着る衣(ころも)、その衣にもまさるあの子の肌は、ああ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)着(か)る:「着(け)る」の東国形

 

「ささ」はタケと同じくイネ科の植物である。違いは成長後、竹の子の皮を落とすかどうかで、落とさないのがササとされている。

 

「ささ」については、國學院大學デジタル・ミュージアムの「万葉神事語事典」に詳しく懸れているので、引用させていただく。

「『ササ』を含む語は、小竹・竹葉・ゆささなどがあり、万葉集に6例、記に1例がある。霜(10-2336、20-4431)、雪(10-2337)、露(14-3382)、霰(記80)など、冬の景物と結びつく例が多い。竹が庭園の景として詠まれるのに対して自然の景とする傾向があるという。もともと笹は日本原産のものがあり山野に多く自生していたが、竹は中国が原産で、庭園に植えるものとして日本に渡ってきたものであったために、そういった区別が歌の世界でも生じたものと考えられる。竹には、呪的な発想を持った伝承や歌が多いが、『ささ』にはそれほどではない。ただし、『竹珠(たかだま)』という語は、おそらくは太い竹を使用したものではなく、『ささ』のような細い竹を使用したものだと思われる。竹珠は呪具であり、そこから『ささ』も、ある神聖な呪力の宿った植物としての意識はあったのではないかと考えられよう。また、この語の特徴として、「音」とのかかわりを考える必要がある。『ささ』の『S音』については、上代人が歌の中では特別な意識を持っていたらしいことは多くの指摘があり、2-133でも『ささ』『さやにさやげども』と連続して使用されている。また、記80では笹葉に霰が打ちつける音である『たしだしに』と『確々(たしだし)に』とを転換して使用しており、音に対する関心があるのは明確である。竹には人の『声』を想起させる観念や男女の出会いを想起させるイメージがあったことが指摘されているが、万葉集『倭には 聞えゆかぬか 大我野の 竹葉刈り敷き 庵せりとは』(9-1677)や『笹の葉は み山もさやにさやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば』(2-133)と言った歌からは、『ささ』にも類したイメージがあったことがわかる。これらは女性のもとに通って帰る、その帰途の風景として選ばれたわけだが、より聴覚的なイメージをもちつつ使用されたものと考えられる」とある。

 

 四四二五から四四三二歌までの歌群の左注は、「右八首昔年防人歌矣 主典刑部少録正七位上磐余伊美吉諸君抄寫贈兵部少輔大伴宿祢家持」<右の八首は、昔年(さきつとし)の防人(さきもり)が歌なり。主典(さくわん)刑部少録(ぎやうぶのせうろく)正七位上磐余伊美吉諸君(いはれのいみきもろきみ)抄写(せうしや)し、兵部少輔大伴宿禰家持に贈る>である。

 

 勝宝七歳(七五七年)二月に、東国から徴集され防人として任についた人たちの歌が、万葉集巻二十に収録されている。防人達が奉った歌は一六六首であるが、「ただし、拙劣の歌は取り載せず」とあり、結局八十四首が収録されたのである。

 

 四四三一歌は、題詞にあるように「昔年(さきつとし)の防人(さきもり)が歌」である。しかし残念ながら年次が特定できず、勝宝七歳(七五七年)より遡るということしかいえない。

 

 

「昔年(さきつとし)の防人(さきもり)が歌」にある次の歌をみてみよう。

 

◆和我世奈乎 都久志波夜利弖 宇都久之美 叡比波登加奈ゝ 阿夜尓可毛祢牟

                (作者未詳 巻二十 四四二八)

 

≪書き下し≫我が背(せ)なを筑紫(つくし)は遣(や)りて愛(うつく)しみえひは解かななあやにかも寝(ね)む

 

(訳)うちの人、この人を筑紫へ遣ってしまったら、いとしみながら、私の方は紐は解かないままでいたい・・・。ああそれにしても私はただもやもや案じながら独り寝ることになるというのか。(同上)

(注)「筑紫(つくし)は」:「筑紫(つくし)へ」の訛り

(注)「えひ」は「結ひ」の訛り

(注)なな 分類連語:…ないで。…(せ)ずに。 ※活用語の未然形に接続する。上代の東国方言。 ➡なりたち打消の助動詞「ず」の上代の未然形「な」+上代の東国方言の助詞「な」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)あやに【奇に】副詞:①なんとも不思議に。言い表しようがなく。②むやみに。ひどく。(学研)

 

 

四四二二歌をみてみる。

 

◆和我背奈乎 都久之倍夜里弖 宇都久之美 於妣波等可奈ゝ 阿也尓加母祢毛

                (妻服部呰女 巻二十 四四二二)

 

≪書き下し≫我が背(せ)なを筑紫(つくし)へ遣(や)りて愛(うつく)し帯(おび)は解(と)かななあやにかも寝(ね)む

 

(訳)うちの人、この人を筑紫へ遣ってしまったら、いとしみながら、帯は解かないままでいたい・・・。それにしても私はただもやもや案じながら独り寝ることになるというのか。(同上)

 

両歌を並べて見ると極めて酷似していることが分かる。並べて見る。

 

(四四二八歌) 和我世奈乎 都久志波夜利弖 宇都久之美 叡比波登加奈ゝ 阿夜尓可毛祢牟

(四四二二歌) 和我背奈乎 都久之倍夜里弖 宇都久之美 於妣波等可奈ゝ 阿也尓加母祢毛

 

次に、四三五一歌をみてみよう。

 

◆多妣己呂母 夜倍伎可佐祢弖 奈保波太佐牟志 伊母尓志阿良祢婆

                (玉造部國忍 巻二十 四三五一)

 

≪書き下し≫旅衣八重着重ねて寐(い)のれどもなほ肌(はだ)寒し妹(いも)にしあらねば

 

(訳)旅衣、そいつを幾重にも重ね着て寝るのだけれども、やっぱり肌寒くて仕方がない。衣は所詮いとしい子ではないので。(同上)

 

 歌碑(プレート)の四四三一歌と発想は極めて似ているといえよう。時間軸的考察は、ここでは凍結しておく。

万葉集に収録されているのは、「拙劣の歌」ではない。防人の歌である。どの歌も知的センスはすばらしいものがある。発想力、五七五七七にまとめる力、ある意味脱帽である。仮に都人の手に成る部分があったにせよ、元歌の輝きがあったればこそであろう。

 すなおに、歌の心を感じてこそ、万葉歌の味わいが増すというものである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「古代史で楽しむ 万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫

★「國文學 万葉集の詩と歴史」 (學燈社

★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタル・ミュージアム

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」