万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その551)―奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(54)―万葉集 巻十九 四二九一

●歌は、「我がやどのいささ群竹 吹く風の音のかそけきこの夕へかも」である。

 

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奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(54)万葉歌碑(大伴家持 たけ)

●歌碑(プレート)は、奈良市法蓮佐保山 万葉の苑(54)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和我屋度能 伊佐左村竹 布久風能 於等能可蘇氣伎 許能由布敕可母

               (大伴家持 巻十九 四二九一)

 

≪書き下し≫我がやどのい笹(ささ)群竹(むらたけ) 吹く風の音のかそけきこの夕(ゆうへ)かも

 

(訳)我が家の庭の清らかな笹の群竹、その群竹に吹く風の、音の幽(かす)かなるこの夕暮れよ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)いささ 接頭語:ほんの小さな。ほんの少しばかりの。「いささ群竹(むらたけ)」「いささ小川」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かそけし【幽けし】形容詞:かすかだ。ほのかだ。▽程度・状況を表す語であるが、美的なものについて用いる。(学研)

(注)「布久風能 於等能可蘇氣伎」は、家持の気持ちをあらわしている。

(注)「許能」:その環境に浸っていることを示す。

 

  四二九〇、四二九一、四二九二歌の三首が、「春愁三首」とか「春愁絶唱三首」と呼ばれている。これらをみてみよう。

 

四二九〇ならびに四二九一歌の題詞は、「廿三日依興作歌二首」<二十三日に、興に依りて作る歌二首>とある。

 

◆春野尓 霞多奈▼伎 宇良悲 許能暮影尓 鸎奈久母

                 (大伴家持 巻十九 四二九〇)

  • ▼は「田+比」➡「多奈▼伎」=たなびき

 

≪書き下し≫春の野に霞(かすみ)たなびきうら悲(がな)しこの夕影(ゆふかげ)にうぐひす鳴くも

 

(訳)春の野に霞がたなびいて、何となしに物悲しい、この夕暮れのほのかな光の中で、鴬が鳴いている。(同上)

(注)春たけなわの夕暮れ時につのるうら悲しさが主題。

(注)うらがなし【うら悲し】形容詞:何とはなしに悲しい。もの悲しい。 ※「うら」:心の意。(学研)

(注)ゆふかげ【夕影】名詞:①夕暮れどきの光。夕日の光。 [反対語] 朝影(あさかげ)。②夕暮れどきの光を受けた姿・形。(学研)ここでは①の意

 

四二九二歌をみてみよう。

 

題詞は、「廿五日作歌一首」<二十五日に作る歌一首>である。

 

◆宇良ゝゝ尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比登里志於母倍婆

               (大伴家持 巻十九 四二九二)

 

≪書き下し≫うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思えば

 

(訳)おんぼりと照っている春の光の中に、ひばりがつーん、つーんと舞い上がって、やたら心が沈む。ひとり物思いに耽(ふけ)っていると。(同上)

(注)うらうら(と・に)副詞:のどか(に)。うららか(に)。(学研)

(注)ひとりし思えば:伊藤 博氏は脚注で、「三首の春愁の拠って来る根源を示す表現。人間存在そのものの孤独感を自覚した言葉で、『ひとり』に『思う』を連ねる言い方は、集中この一例のみ」と書かれている。

 

左注は、「春日遅ゝ鶬鶊正啼 悽惆之意非歌難撥耳 仍作此歌式展締緒 但此巻中不偁作者名字徒録年月所處縁起者 皆大伴宿祢家持裁作歌詞也」<春日遅々(ちち)にして、鶬鶊(さうかう)正(ただ)に啼(な)く。悽惆(せいちう)の意、歌にあらずしては撥(はら)ひかたきのみ。よりて、この歌を作り、もちて締緒(ていしよ)を展(の)ぶ。ただし、この巻の中に作者の名字(な)を偁(い)はずして、ただ、年月・所処(しよしよ)、縁起(えんぎ)のもを録(しる)せるは、皆大伴宿禰家持が裁作(つく)る歌詞(うた)なり。>である。

(注)ちち【遅遅】 形動タリ:①物事がすらすらと進まず、時間がかかるさま。 ②日が長くのどかなさま。(学研)ここでは②の意 (weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)鶬鶊(読み)そうこう〘名〙: 鳥「うぐいす(鶯)」の異名。日本では古くはヒバリをいったとされる。 ※万葉(8C後)一九・四二九二・左注「春日遅々鶬鶊正啼」[補注]万葉の例は、直前の歌が「うらうらに照れる春日にひばりあがり心悲しも独りし思へば」なので、ヒバリの意に用いたと考えられている。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

左注の「悽惆(せいちう)」については、検索しても明快な答えがフィットしてこないが、巻十五「遣新羅使等の古歌」の、三六四四から三六五一歌八首の題詞に、「・・・艱難(かんなん)を怛(いた)みし、悽惆(かな)しびて作る・・・」とあり、「悽(読み)セイ」を単独で検索すると、「いたましく思う。『悽惨・悽悽』(コトバンク デジタル大辞泉)とあり、また、「惆」を単独で検索すると、chóu (文語文[昔の書き言葉]) 気落ちする,悲しむ。(weblio日中中日辞典 白水社 中国語辞典)とあることから「心の奥底まで届く悲しみ」「失意のどん底」といった感覚ではないかと思われる。

 また、「締緒を展ぶ」については、「【締(め)緒】しめおを:結んで、固定するためのひも。笠(かさ)についているひもなど。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)」といった解説があることから、歌を作って心を穏やかにするといった意味になるのではと思われる。

 

四二九二歌と左注に関して、中西 進氏は、その著「古代史で楽しむ万葉集」(角川ソフィア文庫)の中で次のように述べられている。

 「うらうらと照春日のゆえに心が悲しいという詩情はかつて何びとも所有しなかったものであろう。しかもそれは『独り物思いに沈むと』いっている。沈みゆく心には、まぶしい春日が逆に暗いのである。この逆説的な感傷は、しかし近代人ならたやすく理解できるはずである。ひとり、家持の孤独感はこうして古代に稀有な感傷の詩をうみだしたのだった。鹿も家持もこの歌につけ加えて、このうらぶれた気持は歌でなければ撥(はら)いがたい、だからこの歌を作って鬱積した心をのべたのだ、といっている。無意識にせよ、家持の孤独を強いた現実は、ここに一つの美学を樹立したことになる。」

 

 万葉集大伴家持がはるか遠くに霞んでいったそんな気になる。再度、一歩、一歩近づいていくよう日々の積み上げをしていこうと思う

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著(角川ソフィア文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「weblio日中中日辞典 白水社 中国語辞典」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典