万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その555)―城陽市久世 久世神社参道入口(JR踏切側)―万葉集 巻七 一二八六、巻九 一六九四、巻九 一七〇七

●歌は、

「山背の久世の社の草な手折りそ我が時と立ち栄ゆとも草な手折りそ」、

「栲領巾の鷺坂山の白つつじ我れににほはに妹に示さむ」

「山背の久世の鷺坂神代より春は萌りつつ秋は散りけり」

の三歌である。

 

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城陽市久世 久世神社参道入口(JR踏切側)万葉歌碑

●歌碑は、城陽市久世 久世神社参道入口(JR踏切側)にある。

 

●歌を順にみていこう。

 

◆開木代 来背社 草勿手折 己時 立雖榮 草勿手折

              (作者未詳 巻七 一二八六)

 

≪書き下し≫山背(やましろ)の久世(くせ)の社(やしろ)の草な手折(たおり)そ 我(わ)が時と立ち栄(さか)ゆとも草な手折(たおり)そ

 

(訳)山背の久世の社(やしろ)の草、この草は手折ってはくれるな。たとえ我が世の盛りとばかり立ち栄えていても、社の草だけは手折ってくれるな。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)久世:京都府城陽市久世

(注)久世の社の草:人妻の譬え ➡人妻に手を出すことは禁忌とされた。

(注)たちさかゆ【立ち栄ゆ】自動詞:①(草木が)盛んに生い茂る。②栄えて時めく。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 この歌は、「旋頭歌」である。

 旋頭歌とは、「5・7・7・5・7・7の6句形式の歌。片歌を繰り返した形である。上代に多く,記紀歌謡にみられ,《万葉集》にも60余首があるが,平安時代になるとほとんど姿を消し,《古今和歌集》《千載和歌集》などに数首あるにすぎない。〈旋頭〉は頭句にかえるの意で,5・7・7の3句を繰り返す詩形の意であろうという。」(コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア)

 

 

◆細比礼乃 鷺坂山 白管自 吾尓尼保波尼 妹尓示

              (作者未詳 巻九 一六九四)

 

≪書き下し≫栲領巾の鷺坂山の白つつじ我(わ)れににほはに妹(いも)に示(しめ)さむ

 

(訳)栲領巾のように白い鳥、鷺の名の鷺坂山の白つつじの花よ、お前の汚れのない色を私に染め付けておくれ。帰ってあの子に見せてやろう。(同上)

(注)たくひれの【栲領巾の】分類枕詞:「たくひれ」の色が白いことから、「白(しら)」「鷺(さぎ)」に、また、首に掛けるところから、「懸(か)く」にかかる。(学研)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研)ここでは②の意

 

◆山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散来

              (柿本人麻呂歌集 巻九 一七〇七)

 

≪書き下し≫山背(やましろ)の久世の鷺坂神代(かみよ)より春は萌(は)りつつ秋は散りけり

 

(訳)山背の久世の鷺坂、この坂では、遠い神代の昔から、春には木々が芽吹き、秋には散ってきたのだな。(同上)

(注)はる【張る】自動詞:①(氷が)はる。一面に広がる。②(芽が)ふくらむ。出る。芽ぐむ。(学研) ここでは②の意

 

 一六九四、一七〇七歌は、ともに題詞は、「鷺坂作歌一首」<鷺坂にして作る歌一首>である。巻九には、もう一首、同じ題詞の歌がある。これもみてみよう。

 

◆白鳥 鷺坂山 松影 宿而往奈 夜毛深往乎

               (作者未詳 巻九 一六八七)

 

≪書き下し≫白鳥(しらとり)の鷺坂山(さぎさかやま)の松蔭(まつかげ)に宿(やど)りて行かな夜(よ)も更(ふ)けゆくを

 

(訳)白鳥の鷺坂山の松、この人待ち顔の松の木蔭で一夜の宿を取って行こう。夜も更けて行くことだし。(同上)

(注)しらとりの【白鳥の】分類枕詞:白鳥が飛ぶことから地名「飛羽山(とばやま)」に、また、鷺(さぎ)が白い鳥であることから同音を含む地名「鷺坂山(さぎさかやま)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)「松」に男を待つ意を懸け、家の妻を匂わしたものか。

巻九には、「鷺坂作歌一首」のように同じ題詞の歌が三首あったり、「湯獻舎人皇子歌二首」として、「一六八三、一六八四歌」・「一七〇四、一七〇五歌」が、「獻弓削皇子歌三首」・「獻弓削皇子歌一首」、「名木川作歌二首」・「名木川作歌三首」、「泉河邊間人宿祢作歌二首」・「泉河作歌一首」・「泉河邊作歌一首」などといった似通った題詞が見られる。

 なぜこのような散発的な収録になったのかは、わからないが、巻九の総歌数は一四八首で、内柿本人麻呂歌集歌が三〇首、笠金村歌集歌が五首、田辺福麻呂歌集歌が一五首、高橋虫麻呂歌集歌が八首等、歌集歌が六割を超えており(歌集歌かどうかの判断によっては八割超え)、個人の名を冠した歌集を中心に構成されたものであることに違いはないと思われる。歌集名が明確ではないが、歌集を主体に編纂されたものと解釈することはできると思われる。しかし、一本化はされていないのは謎と言えば謎である。

 

 2019年9月5日に久世神社の横「鷺坂」にある、同一七〇七歌の歌碑を撮影に来たことがあった。その時も同神社境内のこれら三首の歌碑を探したのであるが見つけることができなかったのである。先達のブログの写真を手掛かりに再挑戦したのである。写真をみて石碑がポツンと立っているという先入観で境内をあちこち探したが見つからなかった。参道を逆にJRの踏切の方に歩いて行くと、神社への寄進者の名碑がたくさん並んでいる。その端(踏切側)に、三首の歌の碑を見つけたのである。このようなところに歌が彫りこまれていることを知っておられる先達に頭が下がる思いであった。

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鷺坂万葉歌碑(柿本人麻呂歌集 巻九 一七〇七)



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集をどう読むか―歌の「発見」と漢字世界」 神野志隆光 著 「東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 株式会社平凡社百科事典マイペディア