―その556―
●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」である。
●歌碑は、神戸市垂水区平磯 平磯緑地(1)にある。
●歌をみていこう。この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その28)」で紹介しているので、さわりだけみておこう。
◆石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨
(志貴皇子 巻二 一四一八)
≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うへ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも
(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)たるみ【垂水】名詞:滝。(学研)
この歌は、万葉集巻八の巻頭歌である。
題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>とある。
志貴皇子は天智天皇の皇子で、後に我が子が光仁天皇として即位したので、天皇の称号が贈られて、春日宮天皇、あるいは田原天皇とも呼ばれている。
巻八を現在の形にまとめたのは大伴家持といわれている。奈良朝の終わりごろ光仁天皇の時代であり、天皇に献上したとも言われている。この巻頭が、光仁天皇の父である志貴皇子の「懽(よろこび)」の歌で飾られているのである。
「地名あれこれ」(KOBE垂水区HP)に「『垂水』というのは『垂れ水』-『滝』ということで、東垂水から塩屋へ続く道路の北側に、水の滴りが絶えることがなかったところが、昭和になっても4か所(駒捨の滝、琵琶の滝、恩地(おんぢ)の滝、白滝)あったとされています。今では跡形もありませんが、この滝が地名の由来になったものと推測されます。」とある。
―その557―
●歌は、「石走る垂水の水のはしきやし君に恋ふらく我が心から」である。
●歌碑は、神戸市垂水区平磯 平磯緑地(2)にある。
●歌をみていこう。
◆石走 垂水之水能 早敷八師 君尓戀良 吾情柄
(作者未詳 巻十二 三〇二五)
≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の水のはしきやし君に恋ふらく我(わ)が心から
(訳)岩の上に逆巻き落ちる滝の水のように、はしき―いとしいあなたに恋い焦がれるこの苦しさも、他の誰でもない、私の心のせいです。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)はしきやし【愛しきやし】分類連語:ああ、いとおしい。ああ、なつかしい。ああ、いたわしい。「はしきよし」「はしけやし」とも。 ※上代語。 参考➡愛惜や追慕の気持ちをこめて感動詞的に用い、愛惜や悲哀の情を表す「ああ」「あわれ」の意となる場合もある。「はしきやし」「はしきよし」「はしけやし」のうち、「はしけやし」が最も古くから用いられている。 なりたち形容詞「は(愛)し」の連体形+間投助詞「やし」
―その558―
●歌は、「命をし幸くよけむと石走る垂水の水をむすびて飲みつ」である。
●歌碑は、神戸市垂水区平磯 平磯緑地(3)にある。
●歌をみていこう
◆命 幸久吉 石流 垂水ゝ乎 結飲都
(作者未詳 巻七 一一四二)
≪書き下し≫命(いのち)をし幸(さき)くよけむと石走(いはばし)る垂水(たるみ)の水を結びて飲みつ
(訳)我が命がすこやかで無事であれかしと、激しく飛び散る滝の水、その水を両手ですくってぐいぐいと飲んだよ、私は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
「HYOGO!ナビ(兵庫県公式観光サイト)」によると、「平磯緑地は神戸市垂水区平磯緑地の西端にある展望広場です。東に大阪湾、西には明石海峡大橋、その南には淡路島が見渡せます。恋人岬とも呼ばれベンチや遊歩道にハートが描かれています。駐車場、テニスコート、フットサルコート、垂水スポーツガーデン多目的グラウンド、平磯芝生広場などがあります。
また、万葉集ゆかりの地として万葉歌碑の道には、垂水、明石地域について詠まれた歌碑が6つあります。」とある。
「垂水」を詠んだ歌は、万葉集では、紹介した一四一八、三〇二五、一一四二歌の三首が収録されている。これらの歌碑は、「垂水」という地名にあやかってこの平磯緑地の「萬葉歌碑の道」に設置されたのであろう。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「地名あれこれ」(KOBE垂水区HP)
★「HYOGO!ナビ」(兵庫県公式観光サイト)