●歌は、「須磨の海女の塩焼き衣の藤衣間遠にしあればいまだ着なれず」である。
●歌碑は、神戸市垂水区平磯 平磯緑地(4)にある。
●歌をみていこう。
◆須麻乃海人之 塩焼衣乃 藤服 間遠之有者 未著穢
(大網公人主 巻三 四一三)
≪書き下し≫須磨(すま)の海女(あま)の塩焼(しほや)き衣(きぬ)の藤衣(ふぢころも)間遠(まどほ)にしあればいまだ着なれず
(訳)須磨の海女が塩を焼く時に着る服の藤の衣(ころも)、その衣はごわごわしていて、時々身に着けるだけだから、まだいっこうにしっくりこない。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)須磨:神戸市須磨区一帯
(注)しほやきぎぬ【塩焼き衣】名詞:海水を煮て塩を作る人が着る粗末な衣。「しほやきごろも」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)ふぢごろも【藤衣】名詞:①ふじやくずなどの外皮の繊維で織った布の衣類。織り目が粗く、肌触りが硬い。貧しい者の衣服とされた。②喪服。「藤」とも。 ※「藤の衣(ころも)」とも。(学研)ここでは①の意
(注)間遠(読み)マドオ[形動]:① 間隔が、時間的または空間的に離れているさま。② 織り目や編み目、結び目が粗いさま。(学研)ここでは②の意
題詞は、「大網公人主宴吟歌一首」<大網公人主(おほあみのきみひとぬし)が宴吟(えんぎん)の歌一首>である。
「衣(ころも)」については、國學院大學デジタル・ミュージアム「万葉神事語事典」に次のような記述がある。
衣(ころも)とは、「身を包むものの総称。動物の場合は、皮膚・殻・繭の類にも用い(「夏虫の蛾(ひむし)の虚呂望(ころも)」仁徳紀)、人間であれば、着物・衣服のことを指す。上代では、上着を指すキヌに対し、下着を意味することが多いようである。万葉集では、麻衣・韓衣・斑の衣・塩焼き衣などが多く詠まれている。常陸国風土記に『衣袖漬(ころもでひたち)の国』と、倭武天皇が御衣の袖を泉に垂らしたという故事からくる地名起源説話がある。衣服の袖を指す衣手は、万葉集でも多く用いられており、『私の衣手にあなたを大切に留めておきましょう』(4-708)とあるように、人の魂が宿るものとして神聖視されていた。また、身体に密着する下衣(下着)は、狭野弟上娘子が中臣宅守に贈った歌(15-3751)に、『下衣を再び逢う日まで持っていて下さい』とあり、再会を願って下着を贈る習俗があった。大伴家持が坂上大嬢に贈った歌(4-747)からは、女性から贈られた形見の下衣を、再び逢う日まで身につけていようとしたことや、遣新羅使人の歌(15-3585)からも、衣の紐を解かないことで、旅中の操を守る約束としたことも分かる。女性の愛情が込められた衣は、心変わりすることなく再会を約束する呪具の役割を果たすものでもあった。」
衣を深く知るために、この解説にある四首もみてみよう。
◆復毛将相 因毛有奴可 白細之 我衣手二 齋留目六
(粟田女娘子 巻四 七〇八)
≪書き下し≫またも逢はむよしもあらぬか白栲(しろたへ)の我(わ)が衣手(ころもで)に斎(いは)い留めむ
(訳)再度お逢いするきっかけでもないものでしょうか。お逢いできたら、今度はあなたを私の着物の袖の中に、大切につなぎとめておきましょう。(同上)
(注)よし【由】名詞:①理由。いわれ。わけ。②口実。言い訳。③手段。方法。手だて。④事情。いきさつ。⑤趣旨。⑥縁。ゆかり。⑦情趣。風情。⑧そぶり。ふり。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)斎い留めむ:神を祭るようにかしずいて、あなたを着物の袖につなぎとめよう。
題詞は、「粟田女娘子贈大伴宿祢家持歌二首」<粟田女娘子(あはたのをとめ)、大伴宿禰家持に贈る歌二首>である。
◆之呂多倍能 安我之多其呂母 宇思奈波受 毛弖礼和我世故 多太尓安布麻呂尓
(狭野弟上娘子 巻十五 三七五一)
≪書き下し≫白栲(しろたへ)の我(わ)が下衣(したごろも)失はず持てれ我(わ)が背子(せこ)直(ただ)に逢ふまでに
(訳)まっ白な私の下衣、この衣も、肌身離さず持っていてくださいね、あなた。じかにお逢いできるその日までずっと。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)したごろも【下衣】名詞:下に着る衣。下着。(学研)
この歌は、狭野弟上娘子(さののおとかみのをとめ)が中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)に贈った歌のうちの一首である。
◆吾妹兒之 形見乃衣 下著而 直相左右者 吾将脱八方
(大伴家持 巻四 七四七)
≪書き下し≫我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)の衣(ころも)下に着て直(ただ)に逢ふまでは我(わ)れ脱(ぬ)かめやも
(訳)あなたが形見にくれたこの衣、これを肌身(はだみ)にしっかりつけて、じかに逢うまではどうして脱いだりするものか、この私というものが。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
この歌は、大伴家持が坂上大嬢に贈った十五首のうちの一首である。
◆和伎母故我 之多尓毛伎余等 於久理多流 許呂母能比毛乎 安礼等可米也母
(遣新羅使人等 巻十五 三五八五)
≪書き下し≫我妹子が下(した)にも着よと贈りたる衣の紐(ひも)を我(あ)れ解(と)かめやも
(訳)いとしいあなたが肌身離さず身の守りにと贈ってくれたのだもの、この着物の紐を、私としたことが解いたりなどけっしてしません。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
下に着るとは、下着にして肌に着けることであり、いったん身に着けたものは、その人の魂が宿っているので、与える側もめったな人に贈らない。このような衣を身に着けるとは、いつも一緒にいるのと同じことになるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「古代の恋愛生活」 古橋信孝 著 (NHKブックス)
★「万葉神事語事典」 (國學院大學デジタル・ミュージアムHP)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」