万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その570,571,572)―西宮市西田町西田公園万葉植物苑(4,5,6)―万葉集 巻二 八九、巻八 一四八五、巻三 二七七

―その570-

●歌は、「居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも」である。

 

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西宮市西田町西田公園万葉植物苑(4)(古歌集)

●歌碑は、西宮市西田町西田公園万葉植物苑(4)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆居明而 君乎者将待 奴婆珠能 吾黒髪尓 霜者零騰文

                (古歌集 巻二 八九)

 

≪書き下し≫居(ゐ)明(あ)かして君をば待たむぬばたまの我(わ)が黒髪に霜は降るとも

 

(訳)このまま佇(たたず)みつづけて我が君のお出(いで)を待とう。この私の黒髪に霜は白々と降りつづけようとも。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゐあかす【居明かす】他動詞:起きたまま夜を明かす。徹夜する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ぬばたまの【射干玉の・野干玉の】分類枕詞:①「ぬばたま」の実が黒いところから、「黒し」「黒髪」など黒いものにかかり、さらに、「黒」の連想から「髪」「夜(よ)・(よる)」などにかかる。②「夜」の連想から「月」「夢」にかかる。(学研)

 

 「ぬばたま」は、黒い玉の意で、ヒオウギの花が結実した黒い実をいう。ヒオウギは、アヤメ科の多年草で、アヤメのように刀形の葉が扇状に広がり、昔の檜扇に似ているのでこの名がつけられたという。万葉集では六十二首収録されているが、すべて枕詞としてであり、花そのものを詠ったのは一首もない。

 

 題詞は、「或本歌日」<或本の歌に日(い)はく>である。

 左注は、「右一首古歌集中出」<右の一首は、古歌集の中(うち)に出づ>である。

(注)古歌集とは、万葉集の編纂に供された資料を意味する。

 

 巻二の冒頭歌である磐姫皇后の「天皇(すめらみこと)を思(しの)ひて作らす歌四首」、八十五から八十八歌の四首は、一首ずつ別の歌が集められ一つの歌物語的に収録されたものといわれている。

 次の八十七歌の類歌として八十九歌は、収録されていると考えられる。

 

 

◆在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日

               (磐姫皇后 巻二 八七)

 

≪書き下し≫ありつつも君をば待たむうち靡(なび)く我(わ)が黒髪(くろかみ)に霜の置くまでに

 

(訳)やはりこのままいつまでもあの方をお待ちすることにしよう。長々と靡くこの黒髪が白髪に変わるまでも。(同上)

 

 

―その571-

●歌は、「夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らばうつろひなむか」である。

 

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西宮市西田町西田公園万葉植物苑(5)(大伴家持

●歌碑は、西宮市西田町西田公園万葉植物苑(5)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その493)」で紹介している。

 

◆夏儲而 開有波祢受 久方乃 雨打零者 将移香

               (大伴家持 巻八 一四八五)

 

≪書き下し≫夏まけて咲きたるはねずひさかたの雨うち降らばうつろひなむか

 

(訳)夏を待ち受けてやっと咲いたはねず、そのはねずの花は、雨でも降ったら色が褪(あ)せてしまうのではなかろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)まく【設く】他動詞:①前もって用意する。準備する。②前もって考えておく。③時期を待ち受ける。(その季節や時が)至る。 ※上代語。中古以後は「まうく」。ここでは、③の意(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ひさかたの【久方の】分類枕詞:天空に関係のある「天(あま)・(あめ)」「雨」「空」「月」「日」「昼」「雲」「光」などに、また、「都」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研)

(注)うつろふ【移ろふ】自動詞:①移動する。移り住む。②(色が)あせる。さめる。なくなる。③色づく。紅葉する。④(葉・花などが)散る。⑤心変わりする。心移りする。⑥顔色が変わる。青ざめる。⑦変わってゆく。変わり果てる。衰える。 ※「移る」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」からなる「移らふ」が変化した語。(学研)ここでは②の意

 

唐棣(はねず)は、今日のニワウメかと見られている。ニワウメはコウメとも呼ばれ、夏の盛りには、赤く澄んだ実をつけ、食用や薬用となる。ニワウメの名の由来は、庭に植える木で梅に似た花を咲かせるからだという。唐棣については、ニワザクラ、ザクロ、シモクレンなどとする説もある。

唐棣を詠った歌は、万葉集には四首収録されているが、この歌のみが花そのものを詠っているが、これ以外はすべて唐棣色と書かれていて、はねず色が興味の対象となっている。それは赤い色で、褪せやすい色でもあったから、うつろい易い恋心のありようを表すのにふさわしい色であったからである。

 

 

―その572―

●歌は、「早来ても見てましものを山背の多賀の槻群散りにけるかも」である。

 

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西宮市西田町西田公園万葉植物苑(6)(高市黒人

●歌碑は、西宮市西田町西田公園万葉植物苑(6)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その483)」で紹介している。

 

◆速来而母 見手益物乎 山背 高槻村 散去毛奚留鴨

                (高市黒人 巻三 二七七)

 

≪書き下し≫早(はや)来ても見てましものを山背(やましろ)の多賀の槻群(たかのつきむら)散にけるかも

 

(訳)もっと早くやって来て見たらよかったのに。山背の多賀のもみじした欅(けやき)、この欅林(けやきばやし)は、もうすっかり散ってしまっている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

槻(つき)は、ほぼケヤキと見る説が定着している。ケヤキは落葉高木で、他の木よりも抜きんでて高く、ひときわ目立つので、槻には神が宿ると思われていた。また、高木であるので、春の芽吹きや秋の黄葉の美しさも、古代の人の興味をひいていた。実際、ケヤキの新緑の萌木色(もえぎいろ)は鮮やかで、秋の黄褐色の葉も美しく、さらに冬枯れの景色の中で、高い細い枝が天を掃くかのように、すくっと立っている様子は、特に辺りが雪に包まれているときなど、白黒の美これに適うものはない。

 

この歌は、題詞、「高市連黒人羈旅歌八首」<高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が羈旅(きりょ)の歌八首>のうちの一首である。

 

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西田公園万葉植物苑説明案内板


 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」