万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その600,601,602)―西田公園万葉植物苑(35,36,37)―万葉集 巻十九 四一五九、巻六 一〇四二、巻三 三七九

―その600―

●歌は、「磯の上のつままを見れば根を延へて年深くあらし神さびにけり」である。

 

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西田公園万葉植物苑(35)万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、西田公園万葉植物苑(35)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里

              (大伴家持 巻十九 四一五九)

 

≪書き下し≫磯(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深くあらし神(かむ)さびにけり

 

(訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)としふかし【年深し】( 形ク ):何年も経っている。年老いている。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)あらし 分類連語:あるらしい。あるにちがいない。 ※なりたち ラ変動詞「あり」の連体形+推量の助動詞「らし」からなる「あるらし」が変化した形。ラ変動詞「あり」が形容詞化した形とする説もある。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

標題は、「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠并興中所作之歌」<季春三月の九日に、出擧(すいこ)の政(まつりごと)に擬(あた)りて、古江の村(ふるえのむら)に行く道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しょくもく)する詠(うた)、并(あは)せて興(きよう)の中(うち)に作る歌>である。

 

題詞は、「過澁谿埼見巌上樹歌一首  樹名都萬麻」<澁谿(しぶたに)の埼(さき)を過ぎて、巌(いはほ)の上(うへ)の樹(き)を見る歌一首   樹の名はつまま>である。

 

「つまま」については、「高岡市万葉歴史館HP」に、次のように記されている。

「『都麻々』は古くは『トママ』と読まれ、どの木のことか不明とされていました。

江戸時代に、飛騨の国学者が わざわざ越中を訪れ、村人に『つままの木はどれか』と尋ね歩いたところ、村人は誰もが『そんな木は 知らない』と答えたそうです。

近年『つまま』と読まれるようになり、一般的にはタブノキのこととされました。

タブノキは暖地性の常葉木のことですが、地域によってはタモノキと呼ばれてもいます。

高岡の隣り氷見(ひみ)では、神社の神木として古く大きなタブノキが祀られて いたり、確かにタブノキは『神さぶ』巨木となります。しかし、『ツママ』などという木は、この歌以外のどんな文献にも出て来ません。

そこで、本来は『都麻麻都』などのような文字で『つま松(妻待つ)』ではないのだろうかという説も、高岡にはあるのです。」

 

 

―その601―

●歌は、「一つ松幾代か経ぬる吹く風の声の清きは年深みかも」である。

 

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西田公園万葉植物苑(36)万葉歌碑(市原王)

●歌碑は、西田公園万葉植物苑(36)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その263)で紹介している。

 

◆一松 幾代可歴流 吹風乃 聲之清者 年深香聞

                (市原王 巻六 一〇四二)

 

≪書き下し≫一つ松幾代(いくよ)か経(へ)ぬる吹く風の声(おと)の清きは年深みかも

 

(訳)この一本(ひともと)の松は幾代を経ているのであろうか。吹き抜ける風の音がいかにも清らかなのは、幾多の年輪を経ているからなのか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 題詞は、「同月十一日登活道岡集一株松下飲歌二首」<同じ月の十一日に、活道の岡(いくぢのおか)に登り、一株(ひともと)の松の下(した)に集ひて飲む歌二首>である。

(注)活道の岡:京都府相楽郡和束町に「活道が丘公園」がある。

 

 左注は、「右一首市原王作」<右の一首は市原王(いちはらのおほきみ)が作>である。

 

 もう一首の方もみておこう。

 

◆霊剋 壽者不知 松之枝 結情者 長等曽念

                (大伴家持 巻六 一〇四三)

 

≪書き下し≫たまきはる命(いのち)は知らず松が枝(え)を結ぶ心は長くとぞ思ふ

 

(訳)人間の寿命というものは短いものだ。われらが、こうして松の枝を結ぶ心のうちは、ただただ互いに命長かれと願ってのことだ。(同上)

(注)たまきはる【魂きはる】分類枕詞:語義・かかる理由未詳。「内(うち)」や「内」と同音の地名「宇智(うち)」、また、「命(いのち)」「幾世(いくよ)」などにかかる。

 

 左注は、「右一首大伴宿祢家持作」<右の一首は、大伴宿祢家持が作>である。

 

日本では、古来より松の木には特別な感情を持っている。神性を感じ祭には欠かせない存在となっている。万葉集では「松」を歌った歌は八〇首ほど数えられるという。

 

  

―その602―

●歌は、「ひさかたの天の原より生れ来たる神の命奥山の賢木の枝に白香付け木綿取り付けて斎瓮を斎ひ掘り据ゑ竹玉を繁に貫き垂れ鹿じもの膝析き伏してたわや女の襲取り懸けかくだにも我れは祈ひなむ君に逢はじかも」である。

 

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西田公園万葉植物苑(37)万葉歌碑(大伴坂上郎女

●歌碑は、西田公園万葉植物苑(37)にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その291)」で紹介している。

 

◆久堅之 天原従 生来 神之命 奥山乃 賢木之枝尓 白香付 木綿取付而 齊戸乎 忌穿居 竹玉乎 繁尓貫垂 十六自物 膝析伏 手弱女之 押日取懸 如此谷裳 吾者祈奈牟 君尓不相可聞

                (大伴坂上郎女 巻三 三七九)

 

≪書き下し≫ひさかたの 天(あま)の原(はら)より 生(あ)れ来(き)たる 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝(えだ)に 白香(しらか)付け 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ掘り据(す)ゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿(しし)じもの 膝(膝)折り伏して たわや女(め)の 襲(おすひ)取り懸(か)け かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも

 

(訳)高天原の神のみ代から現われて生を継いで来た先祖の神よ。奥山の賢木の枝に、白香(しらか)を付け木綿(ゆう)を取り付けて、斎瓮(いわいべ)をいみ清めて堀り据え、竹玉を緒(お)にいっぱい貫き垂らし、鹿のように膝を折り曲げて神の前にひれ伏し、たおやめである私が襲(おすい)を肩に掛け、こんなにまでして私は懸命にお祈りをしましょう。それなのに、我が君にお逢いできないものなのでしょうか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)しらか【白香】名詞:麻や楮(こうぞ)などの繊維を細かく裂き、さらして白髪のようにして束ねたもの。神事に使った。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ゆふ【木綿】名詞:こうぞの樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細く裂いて糸状にしたもの。神事で、幣帛(へいはく)としてさかきの木などに掛ける。(学研)

(注)いはひべ【斎ひ瓮】名詞:神にささげる酒を入れる神聖な甕(かめ)。土を掘って設置したらしい。(学研)

(注)たかだま【竹玉・竹珠】名詞:細い竹を短く輪切りにして、ひもを通したもの。神事に用いる。(学研)

(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)

(注)ししじもの【鹿じもの・猪じもの】分類枕詞:鹿(しか)や猪(いのしし)のようにの意から「い這(は)ふ」「膝(ひざ)折り伏す」などにかかる。(学研)

(注)おすひ【襲】名詞:上代上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの。主に神事の折の、女性の祭服。(学研)

(注)だにも 分類連語:①…だけでも。②…さえも。 ※なりたち副助詞「だに」+係助詞「も」

(注)君:ここでは、亡夫宿奈麻呂

 

万葉集で、「さかき」を歌った歌はこの歌一首である。郎女が大伴氏の氏神を祭る時に詠ったものと思われる。当時の祭礼の様子がうかがえる貴重な歌である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「高岡市万葉歴史館HP」