万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その611)―明石市魚住町 住吉神社―万葉集 巻六 九三七

●歌は、「行き廻り見とも飽かめや名寸隅の舟瀬の浜にしきる白波」である。

 

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明石市魚住町 住吉神社万葉歌碑(笠金村)

●歌碑は、明石市魚住町 住吉神社にある。

 

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万葉歌碑解説案内板

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住吉神社社殿

●歌をみていこう。

 

◆徃廻 雖見将飽八 名寸隅乃 船瀬之濱尓 四寸流思良名美

              (笠金村 巻六 九三七)

 

≪書き下し≫行き廻(めぐ)り見とも飽かめや名寸隅(なきすみ)の舟瀬(ふなせ)の浜にしきる白浪

 

(訳)行きつ戻りつして、いくら見ても見飽きることがあろうか。名寸隅の舟着き場の浜に次々とうち寄せるこの白波は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゆきめぐる【行き廻る・行き巡る】自動詞:あちらこちらと歩いてまわる。巡り歩く。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)名寸隅:明石市西端の魚住町付近という。

(注)舟瀬:舟着き場

(注)しきる【頻る】自動詞:何度も繰り返す。あとからあとから続く。(学研)

(注)とも 接続助詞《接続》動詞型・形容動詞型活用語の終止形、形容詞型活用語および打消の助動詞「ず」の連用形に付く。①〔逆接の仮定条件〕たとえ…ても。②〔既定の事実を仮定の形で強調〕確かに…ているが。たとえ…でも。

語法(1)上代において、上一段動詞「見る」に付くとき、「見とも」となることがあった。「君が家の池の白波磯(いそ)に寄せしばしば見とも飽かむ君かも」(『万葉集』)〈あなたの家の池の白波が水辺に(しきりに)打ち寄せるように、しばしば会ったとしても飽きるようなあなたであろうか。〉 ※参考 語源については[ア] 格助詞「と」+係助詞「も」、[イ] 接続助詞「と」+係助詞「も」の二説がある。(学研)

 

 長歌(九三五)、反歌(九三六、九三七歌)の題詞は、「三年丙寅秋九月十五日幸於播磨國印南野時笠朝臣金村作歌一首并短歌」<三年丙寅(ひのえとら)の秋の九月十五日に、播磨(はりま)の国の印南野(いなみの)に幸(いでま)す時に、笠朝臣金村が作る歌一首并(あは)せて短歌>である。

(注)三年:神亀三年(726年)

(注)印南野 分類地名:歌枕(うたまくら)。今の兵庫県加古川市から明石市付近。「否(いな)」と掛け詞(ことば)にしたり、「否」を引き出すため、序詞(じよことば)的な使い方をすることもある。稲日野(いなびの)。(学研)

(注)幸:ここでは、聖武天皇の印南野行幸のこと

 

 長歌ともう一首の反歌を見てみよう。

 

◆名寸隅乃 船瀬従所見 淡路嶋 松帆乃浦尓 朝名藝尓 玉藻苅管 暮菜寸二 藻塩焼乍 海末通女 有跡者雖聞 見尓将去 餘四能無者 大夫之 情者梨荷 手弱女乃 念多和美手 俳徊 吾者衣戀流 船梶雄名三

               (笠金村 巻六 九三五)

 

≪書き下し≫名寸隅(なきすみ)の 舟瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島(あはぢしま) 松帆(まつほ)の浦に 朝なぎに 玉藻(たまも)刈りつつ 夕なぎに 藻塩(もしお)焼きつつ 海人娘子(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行(ゆ)かむよしのなければ ますらをの 心はなしに たわや女(め)の 思ひたわみて た徊(もとほ)り 我(あ)れはぞ恋ふる 舟楫(ふなかぢ)をなみ

 

(訳)名寸隅(なきすみ)の舟着き場から見える淡路島の松帆(まつほ)の浦で、朝凪(あさなぎ)の時には玉藻を刈ったり、夕凪(ゆうなぎ)の時には藻塩を焼いたりしている。美しい海人の娘子たちがいるとは聞いているが、その娘子たちを見に行く手だてもないので、ますらおの雄々しい心はなく、たわや女(め)のように思いしおれて、おろおろしながら私はただ恋い焦がれてばかりいる。舟も櫓もないので。(同上)

(注)松帆(まつほ)の浦:淡路島北端付近

(注)もしほ【藻塩】名詞:海藻から採る塩。海水をかけて塩分を多く含ませた海藻を焼き、その灰を水に溶かしてできた上澄みを釜(かま)で煮つめて採る。(学研)

(注)よし【由】名詞:手段。方法。手だて。(学研)

(注)たわやめ【手弱女】名詞:しなやかで優しい女性。「たをやめ」とも。 ※「たわや」は、たわみしなうさまの意の「撓(たわ)」に接尾語「や」が付いたもの。「手弱」は当て字。[反対語] 益荒男(ますらを)。(学研)

(注)おもひたわむ【思ひ撓む】自動詞:気持ちがくじける。(学研)

(注)たもとほる【徘徊る】自動詞:行ったり来たりする。歩き回る。 ※「た」は接頭語。上代語。(学研)

 

反歌二首」のもう一首の九三六歌をみてみよう。

 

◆玉藻苅 海未通女等 見尓将去 船梶毛欲得 浪高友

               (笠金村 巻六 九三六)

 

≪書き下し≫玉藻刈る海人(あま)娘子(をとめ)ども見に行かむ舟楫(ふなかぢ)もがも浪高くとも

 

(訳)玉藻を刈っている海人の娘子たちを見に行く舟や櫓があったらよいのに。波はどんなに高く立っていようとも。(同上)

 

 題詞にあるように、「播磨(はりま)の国の印南野(いなみの)に幸(いでま)す時に、笠朝臣金村が作る歌」であるが、歌の内容からいえば、「行幸従駕の歌」とは思えず、播磨の国の海を隔てた淡路島の松帆の浦の海人娘子に対する恋情を詠んでいるのである。きわめて個人的な思いが前に出た形である。

 巻六は、このように、宮廷歌人が「行幸従駕」の公的な歌に留まらず、「個人的感情の露出」させた歌をも収録しているのである。

 神野志隆光氏は、その著「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」(東京大学出版会)の中で、「私的な領域まで組み込んで(「万葉集」の「歴史」の)世界を構築するうえで、そのように歌われるべきものとしてあった」と見るべきと述べておられる。

 万葉集万葉集たる所以のひとつを垣間見たように思える。

 

 

月照寺住吉神社明石市魚住町)≫

 ほぼ海岸沿いの道を進み、住吉神社の駐車場に車を止める。境内を探し求めるが見つけることができない。しばらくうろついた後、社殿前に戻り、辺りをもう一度見まわす。すると社殿から能舞台、楼門を通して海が見えるではないか。楼門をくぐり、境内を後にして海辺を目指す。参道の左手に、こじんまりした松林があり、その中に歌碑があった。

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住吉神社楼門

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住吉神社境内能舞台

 さらに海辺に近づく。船だまりになっている。歌のロケーションにピッタリである。

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海辺の船溜まり(絵画タッチで撮影)

駐車場にもどるべく、楼門をくぐり能舞台へ。近くに張ってあったポスターに、鳥居が二つ、そして海が見えるすばらしい構図の写真があった。同じような写真を撮りたいと駐車場から公園経由で海辺へと急ぐ。万葉歌碑側の松林の中から同じような構図が現れる。

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二つの鳥居と海

ぶらつくことによって、境内全体の位置取りができたところで次の目的地、曽根天満宮を目指す。

 

住吉神社については、明石観光協会HPによると、「464(雄略8)年4月初卯日に住吉大神を勧請したのが始まりで、海路の神として古来より崇敬を受けてきた神社です。境内には初代明石城主・小笠原忠真が寄進した能舞台や1648(慶安元)年に建立された豪壮な二階造りの楼門など、歴史のある文化財が多数存在します。春にはフジ、初夏にはアジサイが咲く、花の名所でもあります。」と記されている。

 

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鳥居と境内

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著(東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「明石観光協会HP」