万葉歌碑を訪ねて(その618、619)
―その618-
●歌は、「印南野は行き過ぎぬらし天伝ふ日笠の浦に波立てり見ゆ」である。
●歌をみていこう。
◆印南野者 往過奴良之 天傳 日笠浦 波立見 <一云 思賀麻江者 許藝須疑奴良思>
(作者未詳 巻七 一一七八)
≪書き下し≫印南野(いなみの)は行き過ぎぬらし天伝(あまづた)ふ日笠(ひかさ)の浦に波立てり見(み)ゆ <一には「飾磨(しかま)江(え)は漕ぎ過ぎぬらし」といふ>
(訳)印南野はもう通り過ぎてしまったらしい。向こうを見ると、はるか日笠の浦に波がしきりに立っている。<飾磨の入江はもう漕ぎ過ぎたらしい>
(注)印南野(読み)いなみの:明美台地ともいう。兵庫県南部,明石川と加古川およびその支流美嚢 (みの) 川に囲まれた三角状の台地。雌岡 (めこ) 山 (249m) ,雄岡 (おっこ) 山 (241m) などの秩父古生層の小丘のある西方の高位段丘面と,播磨灘沿岸に分布する中位段丘面とに分れる。末端は明石原人やマンモス化石の発見で有名になった比高約 10mの明石累層の海食崖で,播磨灘にのぞむ。水不足で開発が遅れ,河川からの揚水が可能になった江戸時代に水田化された。日本最大の灌漑用ため池密集地域で,県下の穀倉地帯の1つ。第2次世界大戦後は工業化が著しい。(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)飾磨江:姫路市飾磨川河口付近の入江
―その619―
●歌は、「円方の港の洲鳥波立てや妻呼び立てて辺に近づくも」である。
●歌をみていこう。
◆圓方之 湊之渚鳥 浪立也 妻唱立而 邊近著毛
(作者未詳 巻七 一一六二)
≪書き下し≫円方(まとかた)の港(みなと)の洲鳥(すどり)波立てや妻呼び立てて辺(へ)に近(ちか)づくも
(訳)円方(まとかた)の港の洲に群れている鳥、この鳥は、沖の方の波が高くなってきたからか、妻を呼び立てては岸に近づいてくる。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)や 係助詞《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文中にある場合。(受ける文末の活用語は連体形で結ぶ。):〔疑問〕…か。
(注)すどり【州鳥】 州にいる鳥。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)
この歌の「円方(まとかた)」について、伊藤 博氏は「万葉集 二」(角川ソフィア文庫)の脚注で「三重県松阪市東黒部町」と書かれている。
2020年2月14日、三重県松阪市東黒部町の阿弥陀寺を訪れた時に、この歌の歌碑があり、拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その426)」で紹介している。
そこでは、松阪市HP「万葉遺跡 円方(まとかた)」に記載されている次の記事を掲載している。
「概要:東黒部町 中野川流域一帯 『万葉集』巻1・7に集載されている次の二首にちなむ遺跡である。
巻1「二年壬寅 太上天皇幸于参河国時歌」舎人娘子従駕にして作る歌
◎丈夫の得物矢手挿み立ち向ひ射る圓方は見るに清潔けし
巻7「雑歌」羇旅にして作る
◎圓方の湊の渚鳥波立てや妻呼び立てて辺に近づくも
歌に詠む円方は巻7については異論があるものの、巻1の歌に関しては東黒部町内であるとされている。しかし、地名としては残っておらず、垣内田町に服部麻刀方神社跡が名称としてあるのみであり、円方の地点となると不明である。指定もその点、所在地番の指定をせず、中野川流域一帯としているだけである。東黒部町阿弥陀寺境内の一画に万葉歌碑が建つ。」
なぜ、三重県東黒部町ゆかりの歌碑が曽根神社にあるのか、疑問に思った。確かに、松阪市HPには、一一六七歌の「円方(まとかた)」については「異論」がある旨書かれていた。
曽根天満宮の歌碑郡は、ご当地にちなんだものが多いので、調べてみると、「湊神社」の所在地が「兵庫県姫路市的形町的形1249」となっている。このあたり一帯は、遠浅の入江で「まとがたの湊」と言われていたようである。また、山陽電気鉄道本線の駅に、「的形駅(まとがたえき)」がある。所在地は兵庫県姫路市的形町的形小島東である。
機会をみて「湊神社」を訪れて「由緒」などを見てみたいものである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉遺跡 円方(まとかた)」 (松阪市HP)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」