万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その624)―高砂市曽根 曽根天満宮―万葉集 巻七 一一七九

●歌は、「家にして我れは恋ひなむ印南野の浅茅が上に照りし月夜よ」である。

 

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高砂市曽根 曽根天満宮万葉歌碑(作者未詳)<写真左端>

●歌碑は、高砂市曽根 曽根天満宮にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆家尓之弖 吾者将戀名 印南野乃 淺茅之上尓 照之月夜乎

               (作者未詳 巻七 一一七九)

 

≪書き下し≫家にして我(あ)れは恋ひむな印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)が上(うへ)に照りし月夜(つくよ)を

 

(訳)我が家に帰ってから私は懐かしく思い出すことであろうな。昨夜、印南野の浅茅の上に月が皓々(こうこう)と照らしていた光景はまことに見事であったな、と。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)にして 分類連語:…において。…で。…に。▽場所・場合・時などの意を表す。

※なりたち 格助詞「に」+格助詞「して」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)印南野:兵庫県

 

 

一一六一から一二四六歌の大きな歌群の題詞は、「羇旅作」<羇旅作(きりよさく)>である。吉野、山背(やましろ)、摂津以外の羇旅の歌が、旅先のテーマごとに集められている。一一七八から一一九〇歌までの一三首は「山陽道」がテーマに収録されている。そのうち一一七八から一一八〇歌が陸路であり、次の一〇首が海路(瀬戸内)となっている。

 

陸路の三首の歌碑の歌以外をみてみよう。

 

 一一七八歌については、拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その618)」で紹介している。

 

◆印南野者 往過奴良之 天傳 日笠浦 波立見  <一云 思賀麻江者 許藝須疑奴良思>

                 (作者未詳 巻七 一一七八)

 

≪書き下し≫印南野(いなみの)は行き過ぎぬらし天伝(あまづた)ふ日笠(ひかさ)の浦に波立てり見(み)ゆ  <一には「飾磨(しかま)江(え)は漕ぎ過ぎぬらし」といふ>

 

(訳)印南野はもう通り過ぎてしまったらしい。向こうを見ると、はるか日笠の浦に波がしきりに立っている。 <飾磨の入江はもう漕ぎ過ぎたらしい>

(注)あまづたふ【天伝ふ】分類枕詞:空を伝い行く太陽の意から、「日」「入り日」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)日笠の浦:兵庫県高砂市曽根町日笠山南の海岸か。

(注)飾磨江:姫路市飾磨川河口付近の入江

 

 

◆荒礒超 浪乎恐見 淡路嶋 不見哉将過去 幾許近乎

               (作者未詳 巻七 一一八〇)

 

≪書き下し≫荒磯(ありそ)越す波を畏(かしこ)み淡路(あはぢ)島(しま)見ずか過ぎなむここだ近きを

 

(訳)荒磯を越して行く波のおそろしさゆえに、淡路島を見ないで素通りしてしまうのであろうか。こんなに近いところなのに。(同上)

(注)かしこむ【畏む】自動詞:恐れ慎む。(学研)

(注)ここだ【幾許】副詞:①こんなにもたくさん。こうも甚だしく。▽数・量の多いようす。②たいへんに。たいそう。▽程度の甚だしいようす。 ※上代語。(学研) ここでは②の意

 

 先ほど、一一六一から一二四六歌の大きな歌群の題詞は、「羇旅作」<羇旅作(きりよさく)>である。吉野、山背(やましろ)、摂津以外の羇旅の歌であると書いた。

 

万葉集巻七の構成をみてみよう。 巻七は、「雑歌」「譬喩歌」「挽歌」の三部から成り立っている。

「雑歌」の部立の、一一三〇~一一三四歌の歌群の題詞は、「芳野作」であり、一一三五~一一三九歌は、同「山背作」、一一四〇~一一六〇歌は、同「摂津作」となっており、一一六一~一二五〇歌が、同「羇旅作」となっている。

「羇旅作」のうち、一一八七歌の左注は、「右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出」、一二四七~一二五〇歌の左注は、「右四首柿本朝臣人麻呂之歌集出」となっている。

「羇旅作」以外でも、一〇六八歌の左注は、「右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出」、一〇八七~一〇八八歌同「右二首同」、一〇九二~一〇九四歌同「右三首同」というように、題詞歌群のなかに「右〇首柿本朝臣人麻呂之歌集出」と注記されているのである。

 

「譬喩歌」の部立の場合は、一二九六~一三一〇歌の歌群の左注は「右十五首柿本朝臣人麻呂之歌集出」と、ひとまとめになっている。

巻七には、柿本朝臣人麻呂之歌集の歌が三五〇首中、五六首ある。巻九に四四首、巻十、六八首、巻十一、一六一首、巻十二に二七首が収録されており(ほかの巻にも若干数あり)、同歌集を核として構成されていることがうかがい知れるのである。

巻一から巻六までは、作者の知られる歌、従って時代も知られる歌のみが収録されているのである。巻六と巻七の間には、「断層」がある。

巻七から巻十二は、記名歌と無記名歌群が入り混じる様相を呈しており、柿本朝臣人麻呂之歌集を核として構成されているという特徴を有しているのである。巻八は記名歌であるが、(巻十同様)四季分類の構成になっている。

それぞれの巻の構成や特徴については、これまでも触れてきたが、巻十三から巻二十までの概略をみてみよう。

巻十三は大和歌の長歌を、巻十四は東歌で無記名歌である。巻十五は、遣新羅使と宅守と狭野娘子の贈答歌といった長編歌物語的構成になっている。

巻十六は「有縁ある雑歌」で構成され、巻十七~二十は、家持の歌日記的構成となっている。

万葉集二十巻の構成に関しては、いずれ詳細に記すことにしたい。大きな宿題である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」