万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その627,628)―高砂市曽根 曽根天満宮―万葉集 巻三 三〇三、巻六 九四〇

―その627―

●歌は、「名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は」である。

 

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高砂市曽根 曽根天満宮万葉歌碑(柿本人麻呂)<写真中央>

●歌碑は、高砂市曽根 曽根天満宮にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆名細寸 稲見乃海之 奥津浪 千重尓隠奴 山跡嶋根者

               (柿本人麻呂 巻三 三〇三)

 

≪書き下し≫名ぐはしき印南(いなみ)の海(うみ)の沖つ波千重(ちへ)に隠(かく)りぬ大和島根(やまとしまね)は

 

(訳)名も霊妙な印南の海の沖つ波、その波の千重にたつかなたに隠れてしまった。大和の山なみは。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)なぐはし【名細し・名美し】形容詞:名が美しい。よい名である。名高い。「なくはし」とも。 ※「くはし」は、繊細で美しい、すぐれているの意。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)印南の海:播磨灘

(注)ちへ【千重】名詞:幾重もの重なり。(学研)

(注)しまね【島根】名詞:島。島国。 ※「ね」はどっしりと動かないものの意の接尾語。(学研)

 

題詞は、「柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首」<柿本朝臣人麻呂、筑紫(つくし)の国に下(くだ)る時に、海道(うみつぢ)にして作る歌二首>である。

 

もう一首の方もみてみよう。

 

◆大王之 遠乃朝庭跡 蟻通 嶋門乎見者 神代之所念

               (柿本人麻呂 巻三 三〇四)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通(がよ)ふ島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ

 

(訳)我が大王の遠いお役所として、人びとが常に往き来する島門を見ると、この島々が生みなされた神代が偲ばれる。(同上)

(注)とほ 【遠】:形容詞語幹⇒とほし。 ※直接、または格助詞「つ」や「の」を伴って時間的・空間的に隔たっている意を表す。(学研)

(注)ありがよふ【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(学研)

(注)しまと【島門】名詞:島と島との間や島と陸地との間の狭い海峡。(学研)

 

明石海峡を過ぎたあたりで作られた歌であり、三〇三歌は、「大和島根」と故郷大和に対する望郷であり。三〇四歌は、「島門(しまと)を見れば神代(かみよ)し思ほゆ」とその土地への賛美を詠っているのである。

 

 

―その628―

●歌は、「印南野の浅茅押しなべさ寝る夜の日長くしあれば家し偲はゆ」である。

 

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高砂市曽根 曽根天満宮万葉歌碑(山部赤人)<写真右端>

●歌碑は、高砂市曽根 曽根天満宮にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆不欲見野乃 淺茅押靡 左宿夜之 氣長在者 家之小篠生

              (山部赤人 巻六 九四〇)

 

≪書き下し≫印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)押しなべさ寝(ぬ)る夜(よ)の日(け)長くしあれば家し偲はゆ

 

(訳)印南野の浅茅(あさじ)を押し靡(なび)かせて、共寝を願いながら旅寝する夜が幾日も続くので、家の妻のことが偲(しのば)れてならない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)浅茅:丈の低いかや

(注)さぬ【さ寝】自動詞①寝る。②男女が共寝をする。 ※「さ」は接頭語。(学研)

 

九三八(長歌)から九三九、九四〇、九四一歌(反歌)の歌群の題詞は、「山部宿祢赤人作歌一首 并短歌」<山部宿禰赤人が作る歌一首 并せて短歌>である。

 

長歌ならびに他の反歌二首もみてみよう。

 

◆八隅知之 吾大王乃 神随 高所知流 稲見野能 大海乃原笶 荒妙 藤井乃浦尓 鮪釣等 海人船散動 塩焼等 人曽左波尓有 浦乎吉美 宇倍毛釣者為 濱乎吉美 諾毛塩焼 蟻徃来 御覧母知師 清白濱

              (山部赤人 巻六 九三八)

 

≪書き下し≫やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の 神(かむ)ながら 高知(たかし)らせる 印南野(いなみの)の 邑美(おふみ)の原の 荒栲(あらたへ)の 藤井(ふぢゐ)の浦に 鮪(しび)釣ると 海人舟(あまぶね)騒(さわ)き 塩焼くと 人ぞさはにある 浦をよみ うべも釣(つ)りはす 浜をよみ うべも塩焼く あり通(がよ)ひ 見(め)さくもしるし 清き白浜

 

(訳)あまねく天下を支配されるわれらの大君が、神そのままに高々と宮殿をお造りになっている印南野の邑美(おうみ)の原の藤井の浦に、鮪(しび)を釣ろうとして海人の舟が入り乱れ、塩を焼こうとして人がいっぱい浜に集まっている。浦がよいのでなるほどこのように釣りをするのだ。さればこそ、わが大君はこうしてたびたびお通いになって御覧になるのだな。ああ、何と清らかな白浜であろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)たかしる【高知る】他動詞①立派に造り営む。立派に建てる。②立派に治める。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)邑美(おうみ)の原:明石市北西部。大久保町周辺の平野

(注)荒妙の・荒栲の(読み)あらたえの( 枕詞 ):「藤原」「藤井」「藤江」など「藤」のつく地名にかかる。(コトバンク 三省堂大辞林第三版)

(注)藤井の浦:明石市藤江付近

(注)しび【鮪】名詞:魚の名。まぐろの大きなもの。(学研)

(注)さはに【多に】副詞:たくさん。(学研)

(注)うべも【宜も】分類連語:まことにもっともなことに。ほんとうに。なるほど。道理で。 ※なりたち 副詞「うべ」+係助詞「も」(学研)

(注)ありがよふ【有り通ふ】自動詞:いつも通う。通い続ける。 ※「あり」は継続の意の接頭語。(学研)

(注)みさく【見放く】他動詞:①遠くを望み見る。②会って思いを晴らす。(学研)

(注)しるし【著し】形容詞①はっきりわかる。明白である。②〔「…もしるし」の形で〕まさにそのとおりだ。予想どおりだ。(学研)ここでは②の意

 

他の二首もみてみよう。

 

◆奥浪 邊波安美 射去為登 藤江乃浦尓 船曽動流

              (山部赤人 巻六 九三九)

 

≪書き下し≫沖つ波辺(へなみ)波静けみ漁(いざ)りすと藤江(ふじえ)の浦に舟ぞ騒(さわ)ける

 

(訳)沖の波も、岸辺の波も静かなので、魚を捕ろうとして、藤江の浦に舟が賑わい騒いでいる。(同上)

 

 

◆明方 潮干乃道乎 従明日者 下咲異六 家近附者

              (山部赤人 巻六 九四一)

 

≪書き下し≫明石潟(あかしがた)潮干(しほい)の道を明日よりは下笑(したゑ)ましけむ家近づけば

 

(訳)あの明石潟の干潟(ひがた)の道を、明日からは心もはずんでいくことであろう。妻の待つ家がだんだん近づくので。(同上)

(注)明石潟:明石川河口の干潟

(注)したゑまし【下笑まし】形容詞:心の中でうれしく思う。 ◇「したゑましけ」は上代の未然形。(学研)

 

 明石海峡近辺は、陸路も海路も万葉の時代から人の行き来が多かったので当然であるが、残された歌も多く、特に海路での自然との闘いにおける歌は胸打たれる。 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林第三版」