―その632―
●歌は、「燈火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず」である。
●歌をみていこう。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その561)で紹介している。
◆留火之 明大門尓 入日哉 榜将別 家當不見
(柿本人麻呂 巻三 二五四)
≪書き下し≫燈火(ともしび)の明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家(いへ)のあたり見ず
(訳)燈火明(あか)き明石、その明石の海峡にさしかかる日には、故郷からまったく漕ぎ別れてしまうことになるのであろうか。もはや家族の住む大和の山々を見ることもなく。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)ともしびの【灯し火の】分類枕詞:灯火が明るいことから、地名「明石(あかし)」にかかる。(学研)
この歌は、題詞「柿本朝臣人麿羈旅歌八首」<柿本朝臣人麻呂が羈旅(きりょ)の歌八首>の中の一首である。(ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その561)」では全八首紹介している)
―その633―
●歌は、「我が舟は明石の水門に漕ぎ泊てむ沖へな離りさ夜更けにけり」である。
●歌をみていこう。
◆吾舟者 明石之湖尓 榜泊牟 奥方莫放 狭夜深去来
(作者未詳 巻七 一二二九)
≪書き下し≫我(わ)が舟は明石(あかし)の水門(みと)に漕ぎ泊(は)てむ沖へな離(さか)りさ夜更(よふ)けにけり
(訳)われれらの舟は、漕ぎ進めて明石の港で泊めることにしたい。岸辺から離れて沖の方へ行かないようにしてくれ。もう夜も更けてきたことだし。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)みと【水門】名詞:川や海の、水の出入り口。河口・湾口・海峡など。「みなと」とも。 みなと【水門・湊・港】名詞:①川や海の、水の出入り口。河口・湾口・海峡など。「みと」とも。②船のとまる所。船着き場。③行き着く所。 ※「な」は「の」の意の上代の格助詞。水の門(と)(=出入り口)の意。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
伊藤 博氏は脚注で、一二二九から一二三一歌の三首は、「明石の瀬戸から内海を進み、筑紫の港に泊てたことを歌う一群か」と述べておられる。
一二三〇、一二三一歌をみてみよう。
◆千磐破 金之三埼乎 過鞆 吾者不忘 壮鹿之須賣神
(作者未詳 巻七 一二三〇)
≪書き下し≫ちはやぶる鐘(かね)の岬(みさき)を過ぎぬとも我(わ)れは忘れじ志賀(しか)の統(す)め神
(訳)恐ろしい神の荒れ狂う鐘の岬を漕ぎ過ぎてしまったとしても、われらは忘れまいよ。志賀にいます海の守り神の御加護を。(同上)
(注)ちはやぶる【千早振る】分類枕詞:①荒々しい「氏(うぢ)」ということから、地名「宇治(うぢ)」にかかる。「ちはやぶる宇治の」。②荒々しい神ということから、「神」および「神」を含む語、「神」の名、「神社」の名などにかかる。(学研)
(注)鐘の岬:福岡県宗像市鐘﨑。海の難所
(注)志賀の統(す)め神:志賀島志賀神社の神。海神
◆天霧相 日方吹羅之 水莖之 岡水門尓 波立渡
(作者未詳 巻七 一二三一)
≪書き下し≫天霧(あまぎ)らひひかた吹くらし水茎(みずくき)の岡(をか)の港に波立ちわたる
(訳)今にも空がかき曇って日方風(ひかたかぜ)が吹いてくるらしい。岡の港に波が一面に立っている。(同上)
(注)あまぎらふ【天霧らふ】分類連語:空が一面に曇っている。 ※なりたち動詞「あまぎる」の未然形+反復継続の助動詞「ふ」(学研)
(注)ひかた【日方】名詞:東南の風。西南の風。 ※日のある方角から吹く風の意。(学研)
(注)みづくきの【水茎の】分類枕詞:①同音の繰り返しから「水城(みづき)」にかかる。②「岡(をか)」にかかる。かかる理由は未詳。(学研) ここでは②の意
(注)岡の港:「芦屋町観光協会HP(福岡県遠賀郡芦屋町)」の岡湊神社の説明に「『岡湊』は『おかのみなと』と読み、『日本書紀』には『崗之水門』として登場する芦屋の大変古い呼称です。実に1800年の歴史を誇り、『古事記』にもその記載があります。」とある。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」