万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その634,635,636)―高砂市曽根 曽根天満宮―万葉集 巻六 九四一、巻三 二五五、巻三 三二六

―その634―

●歌は、「明石潟潮干の道を明日よりは下笑ましけむ家近づけば」である。

 

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高砂市曽根 曽根天満宮万葉歌碑(山部赤人)<写真左端>


●歌碑は、高砂市曽根 曽根天満宮にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、題詞、「山部宿祢赤人作歌一首 并短歌」<山部宿禰赤人が作る歌一首 并せて短歌>、九三八(長歌)から九三九、九四〇、九四一歌(反歌)の歌群の一首である。この歌群も歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その628)」で紹介している。

 

◆明方 潮干乃道乎 従明日者 下咲異六 家近附者

              (山部赤人 巻六 九四一)

 

≪書き下し≫明石潟(あかしがた)潮干(しほい)の道を明日よりは下笑(したゑ)ましけむ家近づけば

 

(訳)あの明石潟の干潟(ひがた)の道を、明日からは心もはずんでいくことであろう。妻の待つ家がだんだん近づくので。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)明石潟:明石川河口の干潟

(注)したゑまし【下笑まし】形容詞:心の中でうれしく思う。 ◇「したゑましけ」は上代の未然形。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 

―その635―

●歌は、「天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」である。

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高砂市曽根 曽根天満宮万葉歌碑(柿本人麻呂)<写真中央>


 

●歌碑は、高砂市曽根 曽根天満宮にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、題詞「柿本朝臣人麿羈旅歌八首」<柿本朝臣人麻呂が羈旅(きりょ)の歌八首>の中の一首である。(ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その561)」では全八首紹介している)

 

◆天離 夷之長道従 戀来者 自明門 倭嶋所見  一本云家門當見由

               (柿本人麻呂 巻三 二五五)

 

≪書き下し≫天離(あまざか)る鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ恋ひ来れば明石(あかし)の門(と)より大和島(やまとしま)見ゆ  一本には「家のあたり見ゆ」といふ。

 

(訳)天離る鄙の長い道のりを、ひたすら都恋しさに上って来ると、明石の海峡から大和の山々が見える。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)明石の門(読み)あかしのと:明石海峡のこと。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

 

 

―その636―

●歌は、「見わたせば明石の浦に燭す火の穂にぞ出でぬる妹に恋ふらく」である。

 

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高砂市曽根 曽根天満宮万葉歌碑(門部王)<写真右端>

●歌碑は、高砂市曽根 曽根天満宮にる。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「門部王在難波見漁父燭光作歌一首  後賜姓大原真人氏也」<門部王(かどへのおほきみ)、難波(なには)に在(あ)りて、海人(あま)の燭光(ともしび)を見て作る歌一首  後に姓大原真人氏の氏を賜はる>である。

 

◆見渡者 明石之浦尓 焼火乃 保尓曽出流 妹尓戀久

              (門部王 巻三 三二六)

 

≪書き下し≫見わたせば明石(あかし)の浦に燭(とも)す火(ひ)の穂(ほ)にぞ出でぬる妹(いも)に恋ふらく

 

(訳)遠く見渡すと、明石の浦に海人(あま)の燭(とも)す火が見える、このちらつく漁火(いさりび)のようにおもてに出てしまった。あの人に恋い焦がれる思いが。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ほにいづ【穂に出づ】分類連語:①穂が出る。②表に現れ出る。人目につくようになる。▽多く①の意にかけて用いる。 ※なりたち名詞「ほ」+格助詞「に」+動詞「いづ」(学研)

(注)上三句は実景の序。「穂に出づ」を起こす。

 

門部王(かどへのおほきみ)は、奈良時代歌人で、六人部王(むとべのおほきみ)らとともに風流侍従とよばれ,「万葉集」には歌が五首(三一〇、三二六、三七一、五三六、一〇一三歌)収録されている。天平(てんぴょう)十一(739年)兄の高安王とともに大原真人の氏姓をあたえられる。長皇子の孫にあたるか。

(注)風流侍従:特別な職階で、学者等ではないが文化的貢献を任としていたと思われる。

 

 他の四首をみてみよう。

 

 題詞は、「門部王詠東市之樹作歌一首  後賜姓大原真人氏也」<門部王(かどべのおほきみ)、詠東(ひがし)の市(いち)の樹(き)を詠(よ)みて作る歌一首  後に姓大原真人(おほはらのまひと)の氏を賜はる>とある。

 

◆東 市之殖木乃 木足左右 不相久美 宇倍戀尓家利

               (門部王 巻三 三一〇)

 

≪書き下し≫ 東(ひむがし)の市(いち)の植木(うゑき)の木垂(こだ)るまで逢(あ)はず久しみうべ恋ひにけり

 

(訳)東の市の並木の枝がこんなに垂れ下がるようになるまで、あなたに久しく逢っていないものだから、こんなに恋しくなるのも当然だ。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)こだる【木垂る】自動詞:木が茂って枝が垂れ下がる。 ※参考 一説に、「木足る」で、枝葉が十分に茂る意とする。(学研)

(注)うべ【宜・諾】副詞:なるほど。もっともなことに。▽肯定の意を表す。 ※中古以降「むべ」とも表記する。(学研)

 

 大和には、海石榴市(つばいち)や軽市(かるのいち)があったが、都ができることにより官市も設けられることになった。平城京には東市と西市があった。歌垣(うたがき)が行われたことでも知られる。

東(ひむがし)の市は、 左京八条三坊、現在の杏町、西九条町のあたりといわれている。一方西市は、西市 は右京八条二坊にあったという。現在、大和郡山市北郡山町79に「平城京西市跡の碑」がある。

(注)海石榴市:奈良県桜井市に所在した古代の市。「つばきのいち」とも称し、海柘榴市、椿市とも記した。

(注)軽市:畝傍山南東,現在の橿原市大軽町にあった市場。

 

 門部王が出雲守であった時に佐保川を思い出しながら詠んだ歌がある。

 題詞は、「出雲守門部王思京歌一首  後賜姓大原真人氏也」<出雲守(いづものかみ)門部王(かどへのおほきみ)、京を思(しの)ふ歌一首  後に姓大原真人(おほはらのまひと)の氏を賜はる>とある。

 

◆飫海乃 河原之乳鳥 汝鳴者 吾佐保河乃 所念國

               (門部王 巻三 三七一)

 

≪書き下し≫意宇(おう)の海の川原(かはら)の千鳥汝(な)が鳴けば我(わ)が佐保川の思ほゆらくに

 

(訳)意宇(おう)の海まで続く川原の千鳥よ、お前が鳴くと、わが故郷の佐保川がしきりに思いだされる。(同上)

(注)おう(意宇)島根県(出雲國)にあった群といわれている。

(注)意宇(おう)の海:現在の島根県の中海か。

(注)-らく 接尾語:〔上一段動詞の未然形、上二段・下二段・カ変・サ変・ナ変動詞の終止形や、助動詞「つ」「ぬ」「ゆ」「しむ」などの終止形に付いて〕①…すること。▽上に接する活用語を名詞化する。②…ことよ。▽文末に用いて、詠嘆の意を表す。 ※上代語。⇒く(接尾語)(学研)

 

続いて、五三六歌をみてみよう。

 

題詞は、「門部王戀歌一首」<門部王(かどへのおほきみ)が恋の歌一首>である。

 

◆飫宇能海之 塩干乃鹵之 片念尓 思哉将去 道之永手呼

               (門部王 巻四 五三六)

 

≪書き下し≫意宇(おう)の海の潮干の潟(かた)の片思(かたもひ)に思ひや行かむ道の長手(ながて)を

 

(訳)意宇の海の潮干のではないが、思いにあの子のことを思いつめながら辿(たど)ることになるのか。長い長いこの道のりを。(同上)

(注)ながぢ【長道】名詞:長い道のり。遠路。長手(ながて)。「ながち」とも。(学研)

 

左注は、「右門部王任出雲守時娶部内娘子也 未有幾時 既絶徃来 累月之後更起愛心 仍作此歌贈致娘子」<右は、門部王、出雲守に任(ま)けらゆる時に、部内の娘子(をとめ)を娶(めと)る。いまだ幾時(いくだ)もあらねば、 すでに徃来を絶つ。月を累(かさ)ねて後に、さらに愛(うつく)しぶる心を起す。よりて、この歌を作りて娘子に贈り致す>である。

 

最後の一〇一三歌をみてみよう。

 

題詞は、「九年丁丑春正月橘少卿幷諸大夫等集弾正尹門部王家宴歌二首」<九年丁丑(ひのとうし)の春の正月に、橘少卿、幷(あは)せて諸大夫等(まへつきみたち)、弾正尹だんじやうのかみ)門部王が家に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌二首>である。

 

◆豫 公来座武跡 知麻世婆 門尓屋戸尓毛 珠敷益乎

              (門部王 巻六 一〇一三)

 

≪書き下し≫あらかじめ君来まさむと知らませば門(かど)にやどにも玉敷かまし

 

(訳)前もってあなた方がおいで下さるとわかっていたなら、門にも庭にも玉を敷きつめておくのだったのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)たましく【玉敷く】分類連語:玉を敷き並べる。(学研)

(注)玉敷かましを:用意の足りなかったことを謙遜する慣用句

 

左注は、「右一首主人門部王 後賜姓大原真人氏也」<右の一首は主人(あるじ)門部王 後には姓大原真人の氏を賜はる>である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「別冊國文學 万葉集必携」 稲岡耕二 編 (學燈社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」