万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その637)―加古川市稲美町 国安天満宮―万葉集 巻七 一一七九

●歌は、「家にして我れは恋ひなむ印南野の浅茅が上に照りし月夜よ」である。

 

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加古川市稲美町 国安天満宮万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、加古川市稲美町 国安天満宮にある。

 

●歌をみていこう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その624)」で紹介している。

 

◆家尓之弖 吾者将戀名 印南野乃 淺茅之上尓 照之月夜乎

               (作者未詳 巻七 一一七九)

 

≪書き下し≫家にして我(あ)れは恋ひむな印南野(いなみの)の浅茅(あさぢ)が上(うへ)に照りし月夜(つくよ)を

 

(訳)我が家に帰ってから私は懐かしく思い出すことであろうな。昨夜、印南野の浅茅の上に月が皓々(こうこう)と照らしていた光景はまことに見事であったな、と。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)にして 分類連語:…において。…で。…に。▽場所・場合・時などの意を表す。

※なりたち 格助詞「に」+格助詞「して」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)印南野:兵庫県

 

 一一六一から一二四六歌の大きな歌群の題詞は、「羇旅作」<羇旅作(きりよさく)>である。吉野、山背(やましろ)、摂津以外の羇旅の歌が、旅先のテーマごとに集められている。一一七八から一一九〇歌までの十三首は「山陽道」がテーマに収録されている。そのうち一一七八から一一八〇歌の三首が陸路であり、次の一〇首が海路(瀬戸内)となっている。

 

 陸路の三首について、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その624)」で紹介している。

 

 これまでにブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて」でとりあげた、印南野、稲美野、印南国原などを詠った歌をまとめてみよう。(ブログナンバーは直近のもの)

 

◆香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見にこし印南国原中大兄皇子 1-14 ブログ622)

稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ(柿本人麻呂 3-253 ブログ632)

◆名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は(柿本人麻呂    3-303 ブログ627)

印南野の浅茅押しなべさ寝る夜の日長くしあれば家し偲はゆ(山部赤人 6-940 ブログ628)

印南野は行き過ぎぬらし天伝ふ日笠の浦に波立てり見ゆ(作者未詳    7-1178 ブログ618)

◆家にして我れは恋ひなむ印南野の浅茅が上に照りし月夜よ(作者未詳 7-1179 ブログ624)

◆後れ居て我けはや恋ひなむ印南野秋萩見つつ去なむ子ゆゑに(阿倍大夫 9-1772 ブログ625)

◆我妹子が形見に見むを印南都麻白波高み外にかも見む(遣新羅使人    15-3596 ブログ623)

印南野の赤ら柏は時はあれど君を我が思ふ時はさねなし(安宿王 20-4301 ブログ621)

 

 

 

≪曽根天満宮➡国安天満宮

 ご当地ゆかりの万葉歌を満喫したところで、曽根天満宮を出発、加古川バイパス国道2号線をすすみ、西明石バイパス付近で左折、県道514号線を走る。しばらく走ると、右手の大きな池が見えて来る。天満大池である。

10月の「秋季例大祭」の神輿渡御では神事として五穀豊穣を願って、神輿が天満大池に投げ込まれるそうである。

 交差点「天満神社前」を左折、神社の裏側の駐車場に車を停める。駐車場側から境内にはいると、右手に歌碑があった。 

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正面鳥居と社殿

 社殿に向かうと「臥牛」が祀られている。 

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国安天満宮の臥牛

牛については、北野天満宮のHPに、「菅原道真公が丑年生まれであったことと、大宰府でご生涯を閉じられた際、道真公の御遺骸をお運びする途中で車を引く牛が座り込んで動かなくなって、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しています。この伝説から神牛は臥牛(伏した牛)の姿であらわされています」とある。

 

国安天満宮の社伝によると、「由緒」は、「元は王子権現や隣接する天満大池を神格化した池大明神を祭神としていたが、菅原道真大宰府に向かう途上に当地で休息をしたという伝承から道真を主祭神とする天満宮になった」と伝えられているそうである。

 

 境内をぶらぶらし、交差点「天満神社前」側の鳥居の方へ向かう、傍に「天満神社」と書かれた神社名碑があった。

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天満神社」名碑

 また、境内入口付近に、菅原道真の「東風(こち)吹かば匂(にほ)ひおこせよ梅の花主(あるじ)なしとて春を忘るな」の歌碑があった。

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道真の歌碑

(注)こちふかば…分類和歌:出典拾遺集 雑春・菅原道真(すがはらのみちざね)

[訳] 春になって東風が吹いたなら、その風に託して配所の大宰府(だざいふ)へ香りを送ってくれ、梅の花よ。主人のこの私がいないからといって、咲く春を忘れるな。

鑑賞詞書(ことばがき)に「流され侍(はべ)りける時、家の梅の花を見侍りて」とあるように、大宰府に左遷されるとき、日ごろ愛していた梅の木に別れを告げた歌である。その後、この梅は大宰府の道真のもとへ飛んで行ったといい、これが「飛び梅」の伝説である。この歌は、道真失脚の事情とともに『大鏡』時平(ときひら)伝にも見える。第五句が「春な忘れそ」となっているが、この場合には願望の意が加わるので、「春を忘れてくれるなよ」と訳す。(学研)

   

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鳥居と境内


                    

さあ、次は稲美中央公園である。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「北野天満宮HP」

★「天満神社 (稲美町)」 (フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』