―その648―
●歌は、「恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ」である。
●歌をみていこう。
◆古非思家波 素弖毛布良武乎 牟射志野乃 宇家良我波奈乃 伊呂尓豆奈由米
(作者未詳 巻十四 三三七六)
≪書き下し≫恋(こひ)しけば袖(そで)も振らむを武蔵野(むざしの)のうけらが花の色に出(づ)なゆめ
(訳)恋しかったら私は袖でも振りましょうものを。しかし、あなたは、武蔵野のおけらの花の色のように、おもてに出す。そんなことをしてはいけませんよ。けっして。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)
(注)うけら【朮】名詞:草花の名。おけら。山野に自生し、秋に白や薄紅の花をつける。根は薬用。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
「うけら」の現在名のオケラで頭に浮かぶのが、「おけら参り」である。コトバンク「百科事典マイペディア」によると、「京都八坂神社の行事。大晦日(おおみそか)から元日の朝にかけて神前に供えた削掛と薬草のオケラをたいて邪気を払い,参拝者はこの白朮火(おけらび)を吉兆縄に移して持ち帰り,元日の雑煮を煮たり,神棚や仏壇の灯明をともしたりする。」とある。
「うけら」は、万葉集では三首詠まれている。三三七六歌の「或る本の歌」をもカウントすると四首となる。
この四首すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その340)」に紹介している。
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―その649―
●歌は、「初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒」である。
●歌をみていこう。
◆始春乃 波都祢乃家布能 多麻婆波伎 手尓等流可良尓 由良久多麻能乎
(大伴家持 巻二十 四四九三)
≪書き下し≫初春(はつはる)の初子(はつね)の今日(けふ)の玉箒(たまばはき)手に取るからに揺(ゆ)らく玉の緒
(訳)春先駆けての、この初春の初子の今日の玉箒、ああ手に取るやいなやゆらゆらと音をたてる、この玉の緒よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)ゆらく【揺らく】自動詞:(玉や鈴が)揺れて触れ合って、音を立てる。 ※後に「ゆらぐ」とも。(学研) ※※「揺らく」は、動きと音の両方をいう。
題詞は、「二年春正月三日召侍従竪子王臣等令侍於内裏之東屋垣下即賜玉箒肆宴 于時内相藤原朝臣奉勅宣 諸王卿等随堪任意作歌并賦詩 仍應 詔旨各陳心緒作歌賦詩 未得諸人之賦詩并作歌也」<二年の春の正月の三日に、侍従、豎子(じゆし)、王臣等(ら)を召し、内裏(うち)の東(ひがし)の屋(や)の垣下(かきもと)に侍(さもら)はしめ、すなわち玉箒(たまばはき)を賜ひて肆宴(しえん)したまふ。時に、内相藤原朝臣、勅(みことのり)を奉じ宣(の)りたまはく、「諸王(しよわう)卿(きやう)等(ら)、堪(かん)のまにま意のまにまに歌を作り、并(あは)せて詩を賦(ふ)せ」とのりたまふ。よりて詔旨(みことのり)に応え、おのもおのも心緒(おもひ)を陳(の)べ、歌を作り詩を賦(ふ)す。 いまだ諸人の賦したる詩、并せて作れる歌を得ず>である。
(注)二年:天平宝字二年(758年)
(注)じじゅう【侍従】名詞:天皇に近侍し、補佐および雑務に奉仕する官。「中務省(なかつかさしやう)」に所属し、定員八名。そのうち三名は少納言の兼任。のちには数が増える。中国風に「拾遺(しふゐ)」ともいう。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)じゅし【豎子・孺子】①未熟者。青二才。②子供。わらべ。:未冠の少年で宮廷に奉仕する者。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)
(注)かきもと【垣下】名詞:宮中や公卿(くぎよう)の家で催される饗宴(きようえん)で、正客の相手として、ともにもてなしを受ける人。また、その人の座る席。相伴(しようばん)をする人。「かいもと」とも。(学研)
(注)たまばはき【玉箒】名詞:①ほうきにする木・草。今の高野箒(こうやぼうき)とも、箒草(ほうきぐさ)ともいう。②正月の初子(はつね)の日に、蚕室(さんしつ)を掃くのに用いた、玉を飾った儀礼用のほうき。(学研)
(注)まにま【随・随意】名詞:他の人の意志や、物事の成り行きに従うこと。まま。※形式名詞と考えられる。連体修飾語を受けて副詞的に用いられる。(学研)
左注は、「右一首右中辨大伴宿祢家持作 但依大蔵政不堪奏之也」<右の一首は、右中弁大伴宿禰家持作る。ただし、大蔵の政(めつりごと)によりて、奏し堪(あ)へず>
(注)大蔵の政によりて、奏し堪へず:右中弁として大蔵省の激務に追われていたため、予め作っておいたが奏上しえなかったことをいう。
玉箒(たまばはき)は、メドハギ、ホウキグサなどの説があるがコウヤボウキが定説。
―その650―
●歌は、「み吉野の青根が峰の蘿席誰れか織りけむ経緯なしに」である。
●歌をみていこう。
◆三芳野之 青根我峯之 蘿席 誰将織 経緯無二
(作者未詳 巻七 一一二〇)
≪書き下し≫み吉野の青根(あをね)が峰(みね)の蘿席(こけむしろ)誰(た)れか織(お)りけむ経緯(たてぬき)なしに
(訳)み吉野の青根が岳(たけ)の蘿(こけ)の莚(むしろ)は、いったい誰が織りあげた
のであろう。縦糸や横糸の区別もなしに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)青根が峰:大峰山脈北部、奈良県吉野郡吉野町の吉野山最南端にある標高858mの山。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
(注)むしろ【筵・蓆・席】名詞:①藺(い)・藁(わら)・蒲(がま)・竹などで編んで作った敷物の総称。②(会合などの)場所。座席。席。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
➡「蘿席」(こけむしろ):密生する蘿を莚に喩えた
(注)たてぬき【経緯】名詞:機(はた)の縦糸と横糸。(学研)
題詞は、「詠蘿」<蘿(こけ)を詠む>である。
万葉集には「こけ」と見られるのは、題詞に一つ、詠んだ歌は十一首収録されている。
この歌碑の歌が「蘿席(こけむしろ)」であり、他の十首は、すべて「こけむす」である。
歌のみみてみよう。
◆巻二 一一三 額田王 (題詞に「蘿生(こけむ)す松が枝」とある)
※題詞は、「吉野より蘿生(こけむ)す松が枝(え)を折り取りて遣(おく)る時に、額田王が奉(たてまつ)り入るる歌一首」である。
み吉野の玉松が枝(え)ははしきかも君が御言(みこと)を持ちて通(かよ)はく
◆巻二 二二八 河辺宮人(かはへのみやひと)
妹(いも)が名は千代(ちよ)に流れむ姫島の小松(こまつ)がうれに蘿生(こけむ)すまでに
◆巻三 二五九 鴨君足人(かものきみたりひと)
いつの間(ま)も神(かむ)さびけるか香具山(かぐやま)の桙杉(ほこすぎ)の本(もと)に苔生(こけむ)すまでに
◆巻六 九六二 葛井連広成(ふぢゐのむらじひろなり)
奥山の岩に苔生(こけむ)し畏(かしこ)くも問ひたまふかも思ひあへなくに
◆巻七 一一二〇 作者不詳
み吉野の青根(あをね)が峰(みね)の蘿席(こけむしろ)誰(た)れか織(お)りけむ経緯(たてぬき)なしに
◆巻七 一二一四 作者未詳
安太(あだ)へ行く小為手(をすて)の山の真木)まき)の葉も久しく見ねば蘿生(こけむ)しにけり
◆巻七 一三三四 作者未詳
奥山の岩に苔生(こけむ)し畏(かしこ)けど思ふ心をいかにかもせむ
◆巻十一 二五一六 作者未詳
敷栲(しきたへ)の枕は人に言(こと)とへやその枕には苔生(こけむ)しにたり
◆巻十一 二六三〇 作者未詳
結(ゆ)へる紐解(と)かむ日遠み敷栲(しきたへ)の我(わ)が木枕(こまくら)は苔生(こけむ)しにけり
◆巻十一 二七五〇 作者未詳
我妹子(わぎもこ)に逢はず久しもうましもの阿部橘(あへたちばな)の苔生(こけむ)すまでに
◆巻十三 三二二七 作者未詳(長歌)
・・・水脈(みを)早み生(む)しためかたき石枕(いしまくら)苔生(こけむ)すまでに・・・
◆巻十三 三二二八 作者未詳
神なびのみもろの山に斎(いは)ふ杉(すぎ)思ひ過ぎめや苔生(こけむ)すまでに
苔生すという、年月の重みを感じさせる情景は、神々しささえ感じさせるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「コトバンク 百科事典マイペディア」