万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その660,661,662)―加古川市稲美町 中央公園万葉の森―万葉集 巻十四 三四四四、巻九 一七四二、巻二 八九、

―その660―

●歌は、「伎波都久の岡の茎韮我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね」である。

 

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稲美町 中央公園万葉の森万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その322)」で紹介している。

 

◆伎波都久乃 乎加能久君美良 和礼都賣杼 故尓毛美多奈布 西奈等都麻佐祢

                  (作者未詳 巻十四 三四四四)

 

≪書き下し≫伎波都久(きはつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)我(わ)れ摘めど籠(こ)にも満(み)たなふ背(せ)なと摘まさね

 

(訳)伎波都久(きわつく)の岡(おか)の茎韮(くくみら)、この韮(にら)を私はせっせと摘むんだけれど、ちっとも籠(かご)にいっぱいにならないわ。それじゃあ、あんたのいい人とお摘みなさいな。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)茎韮(くくみら):ユリ科のニラの古名。コミラ、フタモジの異名もある。中国の南西部が原産地。昔から滋養分の多い強精食品として知られる。

(注)なふ 助動詞特殊型《接続》動詞の未然形に付く:〔打消〕…ない。…ぬ。

 

 上四句と結句が二人の女が唱和する形になっている。韮摘みの歌と思われる。

 

 巻十四は、三三四八から三五七七歌まで全部で二三〇首(「或本歌日」「一本歌日」として一首全体を異伝歌として収録したものを加えると二三八首)で構成されている。

 国名が編纂者によって判明していた「勘国歌」は、遠江(とおとうみ)国、駿河(するが)、伊豆、相模(さがみ)、武蔵(むさし)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、常陸(ひたち)、信濃(しなの)、上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、陸奥(むつ)、計十二国の九十首と、判明していない国、「未勘国歌」百四十首とに分けて収録されている。

 歌碑の歌のように、働く場、生活に密着した場での歌、素朴で生き生きとした歌いぶり、「方言」などもそのままに地方の、その土のにおいを感じさせる歌が多いのである。

 民謡的、歌謡的内容をもちながら、「一字一音」で定型短歌となっているところに、何か「加工」された感が否めないが、もとの雰囲気は十二分に読み取ることができるのである。

 万葉集にあって、「東歌」として、一巻をなすのも、万葉集万葉集たる所以であろう。

 

 

 

―その661―

●歌は、「しなでる片足羽川のさ丹塗りの大橋の上ゆ紅の赤裳裾引き山藍もち摺れる衣着て・・・」である。

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稲美町 中央公園万葉の森万葉歌碑(高橋虫麻呂


 

●歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森にある。

                           

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その346)」で紹介している。

 

◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

                 (高橋虫麻呂 巻九 一七四二)

 

≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

 

(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)「しなでる」は片足羽川の「片」にかかる枕詞とされ、どのような意味かは不明です。(「歌の解説と万葉集柏原市HP)

(注)「片足羽川」は「カタアスハガハ」とも読み、ここでは「カタシハガハ」と読んでいます。これを石川と考える説もありますが、通説通りに大和川のことで間違いないようです。(同上)

(注)さにぬり【さ丹塗り】名詞:赤色に塗ること。また、赤く塗ったもの。※「さ」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)くれないの【紅の】[枕]① 色の美しく、浅い意から、「色」「あさ」にかかる。② 紅花の汁の染料を「うつし」といい、また、紅を水に振り出して染め、灰汁(あく)で洗う意から、「うつし」「ふりいづ」「飽く」などにかかる。

(注)やまあい【山藍】:トウダイグサ科多年草。山中の林内に生える。茎は四稜あり、高さ約40センチメートル。葉は対生し、卵状長楕円形。雌雄異株。春から夏、葉腋ようえきに長い花穂をつける。古くは葉を藍染めの染料とした。(コトバンク 三省堂大辞林 第三版)

(注)わかくさの【若草の】分類枕詞:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かしのみの【橿の実の】の解説:[枕]樫の実、すなわちどんぐりは一つずつなるところから、「ひとり」「ひとつ」にかかる。(goo辞書)

 

 この歌の題詞は、「見河内大橋獨去娘子歌一首并短歌」<河内(かふち)の大橋を独り行く娘子(をとめ)を見る歌一首并(あは)せて短歌>である。

 

 ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その 346)」では、短歌も紹介している。

 ➡ こちら

 

 

 

―その662―

●歌は、「居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降るとも」である。

 

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稲美町 中央公園万葉の森万葉歌碑(古歌集)

●歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その570)で紹介している。

 

◆居明而 君乎者将待 奴婆珠能 吾黒髪尓 霜者零騰文

                (古歌集 巻二 八九)

 

≪書き下し≫居(ゐ)明(あ)かして君をば待たむぬばたまの我(わ)が黒髪に霜は降るとも

 

(訳)このまま佇(たたず)みつづけて我が君のお出(いで)を待とう。この私の黒髪に霜は白々と降りつづけようとも。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)ゐあかす【居明かす】他動詞:起きたまま夜を明かす。徹夜する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ぬばたまの【射干玉の・野干玉の】分類枕詞:①「ぬばたま」の実が黒いところから、「黒し」「黒髪」など黒いものにかかり、さらに、「黒」の連想から「髪」「夜(よ)・(よる)」などにかかる。②「夜」の連想から「月」「夢」にかかる。(学研)

 

 「ぬばたま」は、黒い玉の意で、ヒオウギの花が結実した黒い実をいう。ヒオウギは、アヤメ科の多年草で、アヤメのように刀形の葉が扇状に広がり、昔の檜扇に似ているのでこの名がつけられたという。万葉集では六十二首収録されているが、すべて枕詞としてであり、花そのものを詠ったのは一首もない。

 

 題詞は、「或本歌日」<或本の歌に日(い)はく>である。

 左注は、「右一首古歌集中出」<右の一首は、古歌集の中(うち)に出づ>である。

(注)古歌集とは、万葉集の編纂に供された資料を意味する。

 

 巻二の冒頭歌である磐姫皇后の「天皇(すめらみこと)を思(しの)ひて作らす歌四首」、八十五から八十八歌の四首は、一首ずつ別の歌が集められ一つの歌物語的に収録されたものといわれている。

 

この四首をみてみよう。

 

 八五歌は、巻第二の巻頭歌である。

 部立ては「相聞」である。

 

 標題は、「難波高津宮御宇天皇代 大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇」<難波(なには)の高津(たかつ)の宮(みや)に天(あめ)の下(した)知(し)らしめす天皇(すめらみこと)の代(みよ) 大鷦鷯天皇(おほさぎのすめらみこと)、 謚(おくりな)して仁徳天皇(にんとくてんわう)という>である。

 

 題詞は、「磐姫皇后思天皇御作歌四首」<磐姫皇后(いはひめのおほきさき)、天皇(すめらみこと)を思(しの)ひて作 (つく)らす歌四首>である。

 

◆君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 待尓可将待

               (磐姫皇后 巻二 八五)

 

≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山(やま)尋(たづ)ね迎へか行かむ待ちにか待たむ

 

(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。山を踏みわけてお迎えに行こうか。それともこのままじっと待ちつづけようか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「尋ぬ」は男の行為、「待つ」は女の行為。「尋(たづ)ね迎へか行かむ」のフレーズからも、磐姫皇后は情熱家であり嫉妬深い方であったと思われるのである。

 

左注は、「右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉」<右の一首の歌は、山上憶良臣(やまのうえのおくらのおみ)が類聚歌林(るいじうかりん)に載(の)す>である。

 

◆如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物呼

                (磐姫皇后 巻二 八六)

 

≪書き下し≫かくばかり恋ひつつあらずは高山(たかやま)の岩根(いはね)しまきて死なましものを

 

(訳)これほどまでにあの方に恋い焦がれてなんかおらずにいっそのこと、お迎えに出て険しい山の岩を枕にして死んでしまった方がましだ。(同上)

 

◆在管裳 君乎者将待 打靡 吾黒髪尓 霜乃置萬代日

               (磐姫皇后 巻二 八七)

 

≪書き下し≫ありつつも君をば待たむうち靡(なび)く我が黒髪(くろかみ)に霜の置くまでに

 

(訳)やはりこのままいつまでもあの方をお待ちすることにしよう。長々と靡くこの黒髪が白髪に変わるまでも。(同上)

 

◆秋田之 穂上尓霧相 朝霞 何時邊乃方二 我戀将息

               (磐姫皇后 巻二 八八)

 

≪書き下し≫秋の田の穂の上(うへ)に霧(き)らふ朝霞(あさかすみ)いつへの方(かた)に我(あ)が恋やまむ

 

(訳)秋の田の稲穂の上に立ちこめる朝霞ではないが、いつになったらこの思いは消え去ることか。この霧のように胸のうちはなかなか晴れそうにない。(同上)

 

 八五から八八歌までの四首が連作になっている。仁徳天皇の皇后の歌となれば、万葉集最古の歌となるのであるが、四つの歌を集めてきて、「連作」としたといわれている。一つの歌物語としてまとめ上げているのである。

 天皇と皇后という地位の人の恋愛感情のストーリーをこのような形で収録することに驚かされもする。またそこに万葉集とはと考えさせられるのである。

 

 この四首に続いて、この四首の連作の収録にあたり供された資料からの「古歌」である歌碑の八九歌が収録されているのである。

 さらに、連作の校異として「古事記の歌」である九〇歌が収録されているのである。

 

 九〇歌の序文や左注は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(番外200513)」に書いているので参考にしていただければと思います。

 ➡ こちら

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「万葉集東歌論」 加藤静雄 著 (桜楓社)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂大辞林 第三版」

★「goo辞書」

★「歌の解説と万葉集柏原市HP