万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その663,664,665)―加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森―万葉集 巻三 三三四、巻四 六六九、巻十九 四二九一

―その663―

●歌は、「忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため」である。

 

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稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(大伴旅人

●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為

               (大伴旅人 巻三 三三四)

 

≪書き下し≫忘れ草我(わ)が紐(ひも)に付(つ)く香具山の古(ふ)りにし里を忘れむがため

 

(訳)忘れ草、憂いを忘れるこの草を私の下紐に付けました。香具山のあのふるさと明日香の里を、いっそのこと忘れてしまうために。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

 

 この歌については、「忘れてしまうため」と「忘れてしまわないため」の二通りの解釈がなされてきた。しかし、万葉びとが詠っている「わすれ草」とは、中国の「忘憂草(しなかんぞう)」のことで、効用として、憂さを忘れさせるとされていた。断ち切り難い恋の思いをすっきり忘れさせてくれるものとして受け入れられてきたのである。

 

三二八から三三七歌までの歌群は、小野老が従五位上になったことを契機に大宰府で宴席が設けられ、その折の歌といわれている。そのうちの、題詞「帥大伴卿が歌五首」の一首である。この歌群の歌すべてを、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その506)」で紹介しているので参考にしていただければと思います。

➡ こちら506

 

筑紫歌壇の歌に流れてしまい、「忘れ草」となってしまったが、次の歌をみてみよう。

「わすれ草」とは名ばかりで、効き目がない、「醜(しこ)の醜草(しこくさ)」と、ケチョンケチョンにけなしているのである。笑える歌である。万葉びとのこのセンスに感動。

 

◆萱草 垣毛繁森 雖殖有 鬼乃志許草 猶戀尓家利

               (作者未詳 巻十二 三〇六二)

 

≪書き下し≫忘れ草垣もしみみに植ゑたれど醜(しこ)の醜草(しこくさ)なほ恋ひにけり

 

(訳)忘れ草、憂いを払うというその草を垣根も溢れるほどに植えたけれど、なんというろくでなし草だ、やっぱり恋い焦がれてしまうではないか。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)しみみに【繁みみに・茂みみに】副詞:すきまなくびっしりと。「しみに」とも。※「しみしみに」の変化した語。

 

「わすれ草」は万葉集に五首収録されている。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その334)」で紹介している。

 ➡ こちら334

 

 

―その664―

●歌は、「あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ」である。

 

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稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(春日王

●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみてみよう。

 

◆足引之 山橘乃 色丹出与 語言継而 相事毛将有

                                   (春日王    巻四 六六九)

 

≪書き下し≫あしひきの山橘(やまたちばな)の色に出でよ語らひ継(つ)ぎて逢ふこともあらむ

 

(訳)山陰にくっきりと赤いやぶこうじの実のように、いっそお気持ちを面(おもて)に出してください。そうしたら誰か思いやりのある人が互いの消息を聞き語り伝えて、晴れてお逢いすることもありましょう。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「足引之 山橘乃」は序、「色丹出与」を起こす。

 

題詞は、「春日王歌一首 志貴皇子之子母日多紀皇女也」<春日王(かすがのおほきみ)が歌一首 志貴皇子の子、母は多紀皇女といふ>である。

(注)多紀皇女は、天武天皇の娘

 

 「やまたちばな」を詠んだ歌は、万葉集には五首収録されている。他の四首もみてみよう。

 

◆紫 絲乎曽吾搓 足檜之 山橘乎 将貫跡念而

               (作者未詳 巻七 一三四〇)

 

≪書き下し≫紫(むらさき)の糸をぞ我(わ)が搓(よ)るあしひきの山橘(やまたちばな)を貫(ぬ)かむと思ひて

 

(訳)紫色の糸を、私は今一生懸命搓り合わせている。山橘の実、あの赤い実をこれに通そうと思って。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)「山橘を貫(ぬ)く」とは、男と結ばれることの譬え

 

◆足引乃 山橘之 色出而 吾戀公者 人目難為名

                                  (作者未詳 巻十一 二七六七)

 

≪書き下し≫あしひきの山橘(やまたちばな)の色に出(い)でて我(あ)は恋ひなむ人目難(かた)みすな

 

(訳)山の木蔭の、藪柑子(やぶこうじ)のまっ赤な実のように、私は恋心をあたりかまわず顔に出してしまいそうだ。なのに、あなたが人目を気にするなんて・・・。まわりのことなんか気にしないでくれ。(伊藤 博 著 「万葉集 三」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「足引乃 山橘之」は、「色出」を起こす。

(注)なむ 分類連語:①…てしまおう。必ず…しよう。▽強い意志を表す。②…てしまうだろう。きっと…するだろう。確かに…だろう。▽強い推量を表す。③…ことができるだろう。…できそうだ。▽実現の可能性を推量する。④…するのがきっとよい。…ほうがよい。…すべきだ。▽適当・当然の意を強調する。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典) ここでは③の意

(注)人目難(かた)みすな:だからあなたも人目を憚るな。

 

 

◆此雪之 消遺時尓 去来歸奈 山橘之 實光毛将見

                                    (大伴家持 巻十九 四二二六)

 

≪書き下し≫この雪の消殘(けのこ)る時にいざ行かな山橘(やまたちばな)の実(み)の照るも見む

 

(訳)この雪がまだ消えてしまわないうちに、さあ行こう。山橘の実が雪に照り輝いているさまを見よう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)やまたちばな【山橘】名詞:やぶこうじ(=木の名)の別名。冬、赤い実をつける。(学研)

 

 題詞は、「雪日作歌一首」<雪の日に作る歌一首>である。

 

 左注は、「右一首十二月大伴宿祢家持作之」<右の一首は、十二月に大伴宿禰家持作る>である。

 

◆氣能己里能 由伎尓安倍弖流 安之比奇乃 夜麻多知波奈乎 都刀尓通弥許奈

              (大伴家持 巻二十 四四七一)

 

≪書き下し≫消残(けのこ)りの雪にあへ照るあしひきの山橘(やまたちばな)をつとに摘(つ)み来(こ)な

 

(訳)幸いに消えずに残っている白い雪に映えて、ひとしお赤々と照る山橘、その山橘の実を、家づとにするため行って摘んでこよう。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)つと【苞・苞苴】名詞:①食品などをわらで包んだもの。わらづと。②贈り物にする土地の産物。みやげ。(学研) ここでは②の意

 

題詞は、「冬十一月五日夜小雷起鳴雪落覆庭忽懐感憐聊作短歌一首」<冬の十一月の五日の夜(よ)に、小雷起(おこ)りて鳴り、雪落(ふ)りて庭を覆(おほ)ふ。たちまちに感憐(かんれん)を懐(いだ)き、いささかに作る短歌一首>である。

 

左注は、「右一首兵部少輔大伴宿祢家持」<右の一首は、兵部少輔大伴宿禰家持>である。

 

 

 

―その665―

●歌は、「我がやどのいささ群竹 吹く風の音のかそけきこの夕へかも」である。

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稲美町 稲美中央公園万葉の森万葉歌碑(大伴家持


 

●歌碑は、加古郡稲美町 稲美中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆和我屋度能 伊佐左村竹 布久風能 於等能可蘇氣伎 許能由布敕可母

               (大伴家持 巻十九 四二九一)

 

≪書き下し≫我がやどのい笹(ささ)群竹(むらたけ) 吹く風の音のかそけきこの夕(ゆうへ)かも

 

(訳)我が家の庭の清らかな笹の群竹、その群竹に吹く風の、音の幽(かす)かなるこの夕暮れよ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)いささ 接頭語:ほんの小さな。ほんの少しばかりの。「いささ群竹(むらたけ)」「いささ小川」(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)かそけし【幽けし】形容詞:かすかだ。ほのかだ。▽程度・状況を表す語であるが、美的なものについて用いる。(学研)

(注)「布久風能 於等能可蘇氣伎」は、家持の気持ちをあらわしている。

(注)「許能」:その環境に浸っていることを示す。

 

  四二九〇、四二九一、四二九三歌の三首が、「春愁三首」とか「春愁絶唱三首」と呼ばれている。この三首に関して、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その551)」で詳しく紹介しているので、そちらもご覧ください。

  ➡ こちら551

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一から四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

 

※20230208加古郡稲美町に訂正