万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その683、番外)―加古川市稲美町 中央公園万葉の森―万葉集 巻二 一三三、巻五 梅花の歌三十二首幷せて序

―その683―

●歌は、「笹の葉はみ山もさやにさやけども我は妹思ふ別れ来ぬれば」である。

 

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稲美町 中央公園万葉の森万葉歌碑(柿本人麻呂

●歌碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆

               (柿本人麻呂 巻二 一三三)

 

≪書き下し≫笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我(わ)れは妹思ふ別れ来(き)ぬれば

 

(訳)笹の葉はみ山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私はただ一筋にあの子のことを思う。別れて来てしまったので。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「笹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども」は、高角山の裏側を都に向かう折りの、神秘的な山のそよめき

 

この歌は、題詞、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首幷短歌」<柿本朝臣人麻呂、石見(いはみ)の国より妻に別れて上(のぼ)り来(く)る時の歌二首并(あは)せて短歌>である。

 

一三一歌(長歌)、一三二、一三三歌(反歌二首)一三四歌(或る本の反歌に曰く)の歌群と、一三五歌(長歌)一三六、一三七歌(反歌二首)の歌群である。

 さらに、「或る本の歌一首幷せて短歌」の、一三八歌(長歌)、一三九歌(反歌)の三群から成り立っており、「石見相聞歌」と呼ばれる大きな歌群である。

 

石見の国を旅立つにあたり、国境あたりの山での感慨であり、周囲のささの葉のざわめきに対して、残してきた妻をひたすら思う沈潜した気持ちとの対比が、より妻を思う気持ちを強く感じさせているのである。

 

 「石見相聞歌」うちの長歌(一三一歌)、反歌二首のうちのもう一首(一三二歌)ならびに「或る本の反歌に曰く」の一三四歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その307)」で紹介している。

 ➡ こちら307

 

―その番外―

●「梅花の歌三二首幷せて序」の序文である。

 

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稲美町 中央公園万葉の森(「梅花三十二首幷せて序」の序文)

●序文の碑は、加古川市稲美町 中央公園万葉の森にある。

 

●序文をみていこう。

 

 題詞は、「梅花歌卅二首并序」<梅花(ばいくわ)の歌三十二首幷(あわ)せて序>である。

 

◆(序文)天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧 鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 促膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠

 

≪序の書き下し≫天平二年の正月の十三日に、師老(そちらう)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会(うたげ)を申(の)ぶ。時に、初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前(きやうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(くゆ)らす。しかのみにあらず、曙(あした)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて盖(きぬがさ)を傾(かたぶ)く、夕(ゆふへ)の岫(くき)に露結び、鳥は縠(うすもの)に封(と)ぢらえて林に迷(まと)ふ。庭には舞ふ新蝶(しんてふ)あり、空には帰る故雁(こがん)あり。ここに、天(あめ)を蓋(やね)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝(ひざ)を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言(げん)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(きん)を煙霞(えんか)の外(そと)に開く。淡然(たんぜん)自(みづか)ら放(ゆる)し、快然(くわいぜん)自ら足る。もし翰苑(かんゑん)にあらずは、何をもちてか情(こころ)を攄(の)べむ。詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す、古今それ何ぞ異(こと)ならむ。よろしく園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して、いささかに短詠(たんえい)を成すべし。

 

(訳)天平二年正月十三日、師の老の邸宅に集まって宴会をくりひろげた。折しも、初春の佳(よ)き月で、気は清く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる。梅は佳人の鏡前の白粉(おしろい)のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香のように匂っている。そればかりか、明け方の峰には雲が往き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋(きぬがさ)をさしかけたようであり、夕方の山洞(やまほら)には霧が湧き起り、鳥は霧の帳(とばり)に閉じ込められながら林に飛び交うている。庭には春生まれた蝶がひらひら舞い、空には秋来た雁が帰って行く。そこで一同、天を屋根とし地を座席とし、膝を近づけて盃(さかずき)をめぐらせる。一座の者みな恍惚(こうこつ)として言を忘れ、雲霞(うんか)の彼方(かなた)に向かって胸襟を開く。心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。ああ、文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。漢詩にも落梅の作がある。昔も今も何の違いがあろうぞ。さあ、この園梅を題として、しばし倭(やまと)の歌を詠むがよい。(伊藤 博 著 「万葉集 一」角川ソフィア文庫より)

(注)天平二年:西暦七三〇年

(注)くき(岫):①山のほら穴。②山の峰。

(注)翰苑(かんえん):①文章や手紙 ②「翰林院」に同じ。 ③中国、唐初の類書。張楚金の撰。日本に蕃夷部一巻が現存。

(注)詩に落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)す:漢詩にも好んで落梅の作を詠んでいる。

(注)園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して:この庭園の梅を題として。

 

 この序文が原典となって「令和」に決まったのであるが、稲美中央公園万葉の森の園内には、令和と決まる以前から万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文「時に初春の令月にして気淑よく風和ぐ梅は鏡前の粉を開き蘭は珮後の香を薫くんず」の序文碑(陶板プレート)があったという。そして、令和元年5月1日に新しい「序文の碑」が設置されたという。

 万葉の森の序文碑では、花のテーマは「蘭」となっていた。印南野の地、稲美中央公園でこのような「序文」がとりあげられていたのも万葉集の何かがそうさせたのかもしれない。

 

 当時のことを伝える記事を転載させていただく。2019年4月3日付の「神戸新聞NEXT」には次のように書かれている。

「(タイトル)令和ゆかりの地、兵庫にも点在 『庭園の歌碑から元号』」

「 新元号『令和』の典拠となったのが日本最古とされる歌集『万葉集』だったことを受け、ゆかりの地に注目が集まっている。万葉集には古代人が航路として行き交った瀬戸内海沿いで詠まれた歌が多く収められ、兵庫県内にも関連する場所や歌碑が点在する。広く知られていなかったところもあるが、関係者は『地域の魅力に目を向ける契機に』と期待を寄せる。

 『令和』の出典は、万葉集巻5の一節。梅見をする宴会で詠まれた32首の和歌の前にある漢文の序文から取られた。歌人大伴旅人(おおとものたびと)の漢文とされる。

 万葉集で複数の地名が登場する兵庫県稲美町。同町の『いなみ野万葉の森』には、新元号『令和』の典拠となった歌碑がある。同町は新元号の発表を受け、2日に案内板を立てた。

 庭園には、ほかにも万葉集の歌をしたためた石碑が数十本、設置されている。普段は静かな庭園だが、この日は通常の2倍を上回る100人以上が来園。テレビ局の取材なども訪れ、来場者は興味津々で歌碑を眺めた。園の運営に関わるNPO法人『いなみ野万葉の森の会』の鷲野隆夫理事長(79)は『園内で紹介している歌から、元号が生まれるとは』と驚いた様子だった。」

 

惜しむらくは、序文のプレートの序文の作者名とおぼしきところに「大伴池主」となっている。これもまたご愛嬌かもしれない。

 

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稲美町 中央公園万葉の森 序文の新碑

 係の人が、「序文のプレートでは、『令和』と横に並んで読める」と語っておられたというのを何かで読んだ記憶があるが、新碑もちゃんと横に並べて詠めるように演出されている。

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稲美町 中央公園万葉の森 (「令和」の碑)



 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「神戸新聞NEXT(2019年4月3日付)」