●歌は、「あぢさはふ 妹が目離れて 敷栲の 枕もまかず 桜皮巻き 作れる船に 真楫貫き 我が漕ぎ来れば 淡路の 野島も過ぎ 印南都麻 唐荷)の島の 島の際ゆ 我家を見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎたむる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々 隈も置かず 思ひぞ我が来る 旅の日長み」、
「玉藻刈る唐荷の島に島廻する鵜にしもあれや家思はずあらむ」、
「島隠り我が漕ぎ来れば羨しかも大和へ上るま熊野の船」、
「風吹けば波か立たむとさもらひに都太の細江に浦隠り居り」である。
(所在地の表記は、相生市HP「万葉の岬」に従った)
●歌をみていこう。
九四二から九四五歌の題詞は、「過辛荷嶋時山部宿祢赤人作歌一首并短歌」<唐荷(からに)の島を過し時に、山部宿禰赤人が作る歌一首并せて短歌>である。
長歌ならびに反歌三首すべて、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その612)」で紹介している。
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ここでは、長歌(九四二歌)のみふれていく。
◆味澤相 妹目不數見而 敷細乃 枕毛不巻 櫻皮纒 作流舟二 真梶貫 吾榜来者 淡路乃 野嶋毛過 伊奈美嬬 辛荷乃嶋之 嶋際従 吾宅乎見者 青山乃 曽許十方不見 白雲毛 千重尓成来沼 許伎多武流 浦乃盡 徃隠 嶋乃埼ゝ 隈毛不置 憶曽吾来 客乃氣長弥
(山部赤人 巻六 九四二)
≪書き下し≫あぢさはふ 妹(いも)が目離(か)れて 敷栲(しきたへ)の 枕もまかず 桜皮(かには)巻(ま)き 作れる船に 真楫(まかぢ)貫(ぬ)き 我(わ)が漕(こ)ぎ来(く)れば 淡路(あはぢ)の 野島(のしま)も過ぎ 印南都麻(いなみつま) 唐荷(からに)の島の 島の際(ま)ゆ 我家(わぎへ)を見れば 青山(あをやま)の そことも見えず 白雲(しらくも)も 千重(ちへ)になり来(き)ぬ 漕ぎたむる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々(さきざき) 隈(くま)も置かず 思ひぞ我(わ)が来(く)る 旅の日(け)長み
(訳)いとしいあの子と別れて、その手枕も交わしえず、桜皮(かにわ)を巻いて作った船の舷(ふなばた)に櫂(かい)を通してわれらが漕いで来ると、いつしか淡路の野島も通り過ぎ、印南都麻(いなみつま)をも経て唐荷の島へとやっと辿(たど)り着いたが、その唐荷の島の、島の間から、わが家の方を見やると、そちらに見える青々と重なる山のどのあたりがわが故郷なのかさえ定かでなく、その上、白雲までたなびいて幾重にも間を隔ててしまった。船の漕ぎめぐる浦々、行き隠れる島の崎々、そのどこを漕いでいる時もずっと、私は家のことばかりを思いながら船旅を続けている。旅の日数(ひかず)が重なるままに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)あぢさはふ 分類枕詞:①「目」にかかる。語義・かかる理由未詳。②「夜昼知らず」にかかる。語義・かかる理由未詳。(学研) ※ここでは①
(注)しきたへの【敷き妙の・敷き栲の】分類枕詞:「しきたへ」が寝具であることから「床(とこ)」「枕(まくら)」「手枕(たまくら)」に、また、「衣(ころも)」「袖(そで)」「袂(たもと)」「黒髪」などにかかる。(学研)
(注)かには(桜皮):船で使う場合は、木材の接合部分に用い、防水の役目もしていた。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著)
(注)まかぢ【真楫】名詞:楫の美称。船の両舷(りようげん)に備わった楫の意とする説もある。「まかい」とも。(学研)
(注)こぎたむ【漕ぎ回む・漕ぎ廻む】自動詞:(舟で)漕ぎめぐる。(学研)
「鳴島万葉歌碑」から遊歩道を上って行くと、瀬戸内海が見渡せる展望台がある。展望台には、鳥瞰図があり、島々の名前等が記されている。からっと晴れていないため眺望は今一つなのが残念であった。
展望台の海とは反対側に「辛荷島山部赤人万葉歌碑」が建てられている。長歌と反歌三首を記した、花崗岩の一枚板である。その大きさに圧倒される。
相生市HP「万葉の岬」には、この歌碑について、「相生湾口の東突端金ヶ崎を『万葉の岬』と呼ぶ。すぐ眼前の三つの小島が辛荷の島である。歌聖人麻呂と並んで万葉を代表する山部赤人の、舟旅望郷の歌の舞台。瀬戸内万葉の故地を一望におさめる。」と書かれている。
次の目的地、津田天満神社へと向かう。境内社に山部赤人神社がある。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉の岬」 (相生市HP)