万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その702)―和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園―万葉集 巻十七 三九七四

―その702-

●歌は、「山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思う君はしくしく思ほゆ」である。

 

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紀伊風土記の丘万葉植物園万葉歌碑(大伴池主)

●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(6)である。

 ※プレートでは「作者未詳」となっているが、「大伴池主」である。

 

●歌をみていこう。

 

◆夜麻夫枳波 比尓ゝゝ佐伎奴 宇流波之等 安我毛布伎美波 思久ゝゝ於毛保由

              (大伴池主 巻十七 三九七四)

 

≪書き下し≫山吹は日(ひ)に日(ひ)に咲きぬうるはしと我(あ)が思(も)ふ君はしくしく思ほゆ

 

(訳)山吹は日ごとに咲き揃います。すばらしいと私が思うあなたは、やたらしきりと思われてなりません。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)うるはし【麗し・美し・愛し】形容詞:①壮大で美しい。壮麗だ。立派だ。②きちんとしている。整っていて美しい。端正だ。③きまじめで礼儀正しい。堅苦しい。④親密だ。誠実だ。しっくりしている。⑤色鮮やかだ。⑥まちがいない。正しい。本物である。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)ここでは①の意

(注)しくしく(と・に)【頻く頻く(と・に)】副詞:うち続いて。しきりに。(学研)

 

三九七三(長歌)と三七九四、三七九五歌(短歌)の歌群の前には、次の「書簡」が収録されている。書簡ならびに三九七三歌、三九七五歌もみてみよう。

 

 

◆(書簡)昨日述短懐今朝汗耳目 更承賜書且奉不次 死罪ゝゝ 不遺下賎頻恵徳音 英霊星氣逸調過人 智水仁山既韞琳瑯之光彩 潘江陸海自坐詩書之廊廟 騁思非常託情有理 七歩成章數篇満紙 巧遣愁人之重患 能除戀者之積思 山柿歌泉比此如蔑 彫龍筆海粲然得看矣 方知僕之有幸也 敬和歌其詞云

 

≪書簡・書き下し≫昨日短懐(たんくわい)を述べ、今朝耳目(じもく)を汗(けが)す。さらに賜書(ししょ)を承(うけたまは)り、且、不次(ふし)を奉(たてまつ)る。死罪(しざい)死罪。

下賎を遺(わす)れず、頻(しきり)に徳音を恵みたまふ。英霊星気あり、逸調(いつてう)人に過ぐ。智水仁山、すでに琳瑯(りんらう)の光彩を韞(つつ)み、潘江(はんかう)陸海(りくかい)は、おのづからに詩書の廊廟(ろうべう)に坐す。思を非常に騁(は)せ、情を有理(いうり)に託(よ)す。七歩(しちほ)にして章(あや)を成し、數篇紙に満つ。巧(よ)く愁人しうじん)の重患(ぢゆうくわん)を遣(や)り、能(よ)く恋者(れんしゃ)の積思(せきし)を除(のぞ)く。山柿(さんし)の歌泉は、これに比(くら)ぶれば蔑(な)きがごとく、彫龍(てうりゅう)の筆海は、粲然(さんぜん)として看(み)るを得たり。まさに知りぬ、僕(わ)が幸(さきはひ)あることを。敬(つつし)みて和(こた)ふる歌、その詞に云はく、

(注)短懐:三月二日の池主から家持への書簡をさす

(注)賜書:三月三日の家持から池主への書簡をさす

(注)ふじ【不次】文章が順序なく乱れていること。多く自分の手紙をへりくだっていう語(weblio国語辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)死罪死罪:無礼を謝する書簡用語

(注)英霊星気あり:御文筆の才は星の生気に充ち

(注)逸調(読み)いっちょう〘名〙:すぐれた調べ。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)智水仁山:水のごとき智、山のごとき仁

 (注) りんろう【琳瑯】( 名 ):美しい玉。また、美しい詩文などをたとえていう。(コトバンク 三省堂 大辞林 第三版)

(注)潘江陸海:六朝潘岳・陸機に並ぶ文才

(注)廊廟(読み)ろうびょう:《表御殿の意》政務を執る殿舎。廟堂。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)七歩八叉 しちほはっさ:詩文の才能にめぐまれていること。 ⇒魏の曹植は七歩歩く間に詩を作り、唐の温庭インは八回腕を組む間に八韻の賦を作った故事から。「叉」は腕を組むこと。(四字熟語事典オンライン)

(注)愁人(読み)しゅうじん〘名〙: 悲しい心を抱いている人。なやみのある人。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典) 次にでてくる「恋者」とともに池主のことをさす

(注)彫龍(読み)ちょうりゅう〘名〙: (「史記‐荀卿伝」に、斉の鄒奭(すうせき)が「龍を雕る奭」と呼ばれて文才をたたえられたとあるところから) 龍を彫刻するように、弁論、文章をたくみに飾ること。(コトバンク 精選版 日本国語大辞典

(注)筆海(読み)ヒッカイ: 《文字の集まりの意から》文章。詩。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

 

◆憶保枳美能 弥許等可之古美 安之比奇能 夜麻野佐波良受 安麻射可流 比奈毛乎佐牟流 麻須良袁夜 奈迩可母能毛布 安乎尓余之 奈良治伎可欲布 多麻豆佐能 都可比多要米也 己母理古非 伊枳豆伎和多利 之多毛比尓 奈氣可布和賀勢 伊尓之敝由 伊比都藝久良之 餘乃奈加波 可受奈枳毛能曽 奈具佐牟流 己等母安良牟等 佐刀▼等能 安礼迩都具良久 夜麻備尓波 佐久良婆奈知利 可保等利能 麻奈久之婆奈久 春野尓 須美礼乎都牟等 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良婆 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理 己許呂具志 伊謝美尓由加奈 許等波多奈由比

  ▼は「田偏に比」⇒「佐刀▼等能」=「さとびとの」

               (大伴池主 巻十七 三九七三)

 

≪書き下し≫大君(おほきみ)の 命(みこと)畏(かしこ)み あしひきの 山野(やまの)さはらず 天離(あまざか)る 鄙(ひな)も治(をさ)むる ますらをや なにか物思(ものも)ふ あをによし 奈良道(ならぢ)来(き)通(かよ)ふ 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)絶えめや 隠(こも)り恋ひ 息づきわたり 下(した)思(もひ)に 嘆かふ我が背 いにしへゆ 言ひ継ぎくらし 世間(よのなか)は 数なきものぞ 慰(なぐさ)むる こともあらむと 里人(さとびと)の 我(あ)れに告ぐらく 山(やま)びには 桜花(さくらばな)散り かほ鳥(とり)の 間(ま)なくしば鳴く 春の野に すみれを摘むと 白栲(しろたへ)の 袖(そで)折り返し 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 娘女(をとめ)らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋(こひ)すなり 心ぐし いざ見に行かな ことはたなゆひ

 

(訳)大君の仰せを恐れ謹んで、重なる山も野も物とはせず、この遠い鄙の国すらも立派に治めておられる、大丈夫たるあなた、そのあなたが何を今さら物思いなどされることがありましょうか。あおによし奈良の都への遥かな道を往き来するお使い、玉梓の使いが絶えることなど、どうしてありましょう。ひたすら引き籠って恋い焦がれ溜息をつきどおしで、心の思いに嘆きつづけているあなた、今を去る遠い遠い時代から言い継がれてきたはずです、生きてこの世に在る人間というものは定まりなきものであると。気の紛れることもあろうかと、里の人が私に教えてくれるには、山辺には桜の花が咲き散り、貌鳥(かおどり)がひきもきらずに鳴き立てている、その春の野で菫を摘むとて、まっ白な袖を折り返し、色鮮やかな赤裳の裾を引きながら、娘子たちは思い乱れつつ、あなたのお出ましを心待ちに待ち焦がれているということです。気がかりでなりません、さあ一緒に見に行きましょう。事はしっかりとお約束・・・・。(同上)

(注)さはる【障る】自動詞①妨げられる。邪魔される。②都合が悪くなる。用事ができる。(学研) 

(注)たまづさの【玉梓の・玉章の】分類枕詞:手紙を運ぶ使者は梓(あずさ)の枝を持って、これに手紙を結び付けていたことから「使ひ」にかかる。また、「妹(いも)」にもかかるが、かかる理由未詳。(学研)

(注)したおもひ【下思ひ】名詞:心中に秘めた思い。秘めた恋心。「したもひ」とも。(学研)

(注)かほとり【貌鳥・容鳥】名詞:鳥の名。未詳。顔の美しい鳥とも、「かっこう」とも諸説ある。「かほどり」とも。(学研)

(注)おもひみだる【思ひ乱る】自動詞:あれこれと思い悩む。(学研)

(注)うら【心】名詞:心。内心。(学研)

(注)こころぐし【心ぐし】形容詞:心が晴れない。せつなく苦しい。(学研)

(注)たな- 接頭語:動詞に付いて、一面に・十分になどの意を表す。「たな知る」「たな曇(ぐも)る」など。(学研)

(注)ことなたなゆひ:「ゆびきりげんまん」のような当時の呪文か。

 

 

◆和賀勢故迩 古非須敝奈賀利 安之可伎能 保可尓奈氣加布 安礼之可奈思母

              (大伴池主 巻十七 三九七五)

 

≪書き下し≫我が背子(せこ)に恋ひすべながり葦垣(あしかき)の外(ほか)に嘆かふ我(あれ)し悲しも

 

(訳)あなたに恋い焦がれてどうにもしようがないので、葦の垣根の外側に立って嘆くばかりの私、何とも悲しくてなりません。(同上)

(注)-がる 接尾語:〔名詞や形容詞・形容動詞の語幹に付いて動詞をつくる〕①…のように思う。「あやしがる」。②…のように振る舞う。「さかしがる」(学研)

(注)恋ひすべながり:すべもなく恋しがって                        

 

「三月五日 大伴宿祢池主」<三月の五日、大伴宿禰池主>

 

 家持は、天平十九年(747年)越中で初めて迎えた新春に、寒さがこたえ、二月下旬から病に臥せった。この時に、家持は病床から悲しみの長歌や短歌を書簡に添えて、池主に贈ったのである。二月二十日から三月五日のいたるまで、病床に伏した家持にとって幼馴染の池主の励ましはどんなに心強いものであったかを物語る書簡ならびに歌である。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 三省堂 大辞林 第三版」

★「四字熟語事典オンライン」

★「コトバンク 精選版 日本国語大辞典

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉