万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その706,707,708)―和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園―万葉集 巻二 八五、巻三 四三四、巻十一 一八九五

―その706―

●歌は、「君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ」である。

 

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紀伊風土記の丘万葉植物園万葉歌碑(磐姫皇后)

●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(10)にある。

 

●歌をみていこう。

 

この歌は巻二の巻頭歌である。

標題は、「難波高津宮御宇天皇代 大鷦鷯天皇 謚曰仁徳天皇」<難波(なにわ)の高津(たかつ)の宮(みや)に天(あめ)の下(した)知(し)らしめす天皇(すめらみこと)の代(よ)  大鷦鷯(おほさざきの)天皇(すめらみこと) 、謚(おくりな)して仁徳天皇(にんとくてんのう)といふ>である。

 

題詞は、「磐姫皇后思天皇御作歌四首」<磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)、天皇(すめらみこと)を思(しの)ひて作(つく)らす歌四首>である。

 

◆君之行 氣長成奴 山多都祢 迎加将行 待尓可将待

                               (磐姫皇后 巻二 八五)

 

≪書き下し≫君が行き日(け)長くなりぬ山(やま)尋(たづ)ね迎へか行かむ待ちにか待たむ

 

(訳)あの方のお出ましは随分日数が経ったのにまだお帰りにならない。山を踏みわけてお迎えに行こうか。それともこのままじっと待ちつづけようか。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)「尋ぬ」は原則男の行為、「待つ」は普通は女の行為

 

左注は、「右一首歌山上憶良臣類聚歌林載焉」<右の一首の歌は、山上憶良臣が類聚歌林に載(の)す>である。

 八五から八八歌までは、連作として伝えられているが、八五首だけは類聚歌林に載せてあるの意である。八九歌は八七歌の、九〇歌は八五歌の類歌として収録されている。このことは、題詞「磐姫皇后思天皇御作歌四首」は、それぞれ別の歌であったが、万葉集では、磐姫皇后の歌として連作にしてストーリー性を持たせてあった資料を基に収録されたと考えられる。

(八五歌)君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ

(八六歌)かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根し枕きて死なましものを

(八七歌)ありつつも君をば待たむ打ち靡くわが黒髪に霜の置くまでに

(八八歌)秋の田の穂の上に霧らふ朝霞何処辺の方にわが恋ひ止まむ

 

八五歌では、天皇が長らく磐姫のもとへ来ていない状況で、迎えに行こうか、いや、待ち続けていようか、揺れ動く女の人の気持ちを、八六歌では、こんなに恋つづけてに苦しんでいないで、迎えに行こう、途中でのたれ死んでもかまわない、八七歌では、こうやっていつづけて、この黒髪に霜がおくよう白髪まじりになるまでも、あなたを待ち続けよう。そして、八八歌では、秋の田にかかる朝霞のように、東も西もわからない私の恋心なのですよ、とこのように起承転結のストーリーが出来上がっているのである。

 磐姫皇后の歌といえば、万葉集では最も古い歌となるのであるが、宮廷ラブロマンを作り上げる所に万葉集の奥深さが潜んでいるように思えるのである。

 

 

 

―その707―

●歌は、「風早の美穂の浦みの白つつじ見れどもさぶしなき人思へば」である。

 

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紀伊風土記の丘万葉植物園万葉歌碑(河辺宮人)

●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(11)にある。

 

●歌をみていこう。

 

題詞は、「和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首」<和銅四年辛亥(かのとゐ)に、河辺宮人(かはへのみやひと)、姫島(ひめしま)の松原の美人(をとめ)の屍(しかばね)を見て、哀慟(かな)しびて作る歌四首>である。

(注)和銅四年:711年

(注)姫島:ここは、紀伊三穂の浦付近の島

 

◆加座皤夜能 美保乃浦廻之 白管仕 見十方不怜 無人念者 <或云見者悲霜 無人思丹>

               (河辺宮人 巻三 四三四)

 

≪書き下し≫風早(かざはや)の美穂(みほ)の浦みの白(しら)つつじ見れどもさぶしなき人思へば <或いは「見れば悲しもなき人思ふに」といふ>

 

(訳)風早の三穂(みほ)の海辺に咲き匂う白つつじ、このつつじは、いくら見ても心がなごまない。亡き人のことを思うと。<見れば見るほどせつない。亡き人を思うにつけて>(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)かざはや【風早】:風が激しく吹くこと。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

(注)三穂:和歌山県日高郡美浜町三尾

 

他の三首もみてみよう。

 

◆見津見津四 久米能若子我 伊觸家武 礒之草根乃 干巻惜裳

              (河辺宮人 巻三 四三五)

 

≪書き下し≫みつみつし久米(くめ)の若子(わくご)がい触れけむ礒(いそ)の草根(くさね)の枯れまく惜しも

 

(訳)厳めしくりっぱな久米の若子が手で触れたという。この磯辺の草が枯れてしまうのは残念でたまらない。(同上)

(注)みつみつし 分類枕詞:氏族の名「久米(くめ)」にかかる。 ※参考「みつ」は「満つ」であるとも、「御稜威(みいつ)(=激しい威力)」で久米氏の武勇をほめたたえる語ともいうが、語義・かかる理由ともに未詳。(学研)

(注)久米の若子:娘子の相手と見られた男

(注)磯の草根:若子がいとしんだ娘子の譬え

 

◆人言之 繁比日 玉有者 手尓巻持而 不戀有益雄

              (河辺宮人 巻三 四三六)

 

≪書き下し≫人言(ひとこと)の繁きこのころ玉ならば手に巻き持ちて恋ひずあらましを

 

(訳)世間の噂のうるさいこの頃ですが、あなたがもし玉であったなら、いつも手から離さず巻き持っていて、こんな苦しい思いをしないでいられましょうに。(同上)

(注)この歌は、生前の女の立場で歌ったもの

 

◆妹毛吾毛 清之河乃 河岸之 妹我可悔 心者不持

              (河辺宮人 巻三 四三七)

 

≪書き下し≫妹(いも)も我(あ)れも清(きよみ)の川の川岸の妹が悔(く)ゆべき心は持たじ

 

(訳)あなたも私も清らかな仲なのだし、その名の清(きよみ)の川の川岸が崩(く)えるように二人の仲が噂のために壊れてあなたが悔いる、そんな浮ついた気持ちなど私は持ちはすまい。

(注)この歌は、男の立場で歌ったもの

 

左注は、「右案 年紀幷所處乃娘子屍作歌人名已見上也 但歌辞相違是非難別 因以累載於茲次焉」<右は、案(かむが)ふるに、年紀(とし) 幷(あは)せて所処(ところ)、また娘子(をとめ)の屍(しかばね)の歌を作る人の名と、すでに上に見えたり。 ただし、歌辞相(あひ)違(たが)ひ、是非(ぜひ)別(わ)きかたし。よりてこの次(つぎて)に累(かさ)ね載(の)す。

 

二二八、二二九歌の題詞「和銅四年歳次(さいし)辛亥(かのとゐ)に、河辺宮人(かはへのみやひと)、姫島(ひめしま)の松原にして娘子(をとめ)の屍(しかばね)を見て、悲嘆(かな)しびて作る歌二首」と酷似しているが、歌も歌の数も異なっている。

ここの姫島は、淀川河口の島の名といわれる。

 

 

―その708―

●歌は、「春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹」である。

 

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紀伊風土記の丘万葉植物園万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(12)にある。

 

●歌をみていこう。

 

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その494)で詳しく紹介している。

 ➡ こちら494

 

◆春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹

               (柿本朝臣人麿歌集 巻十 一八九五)

 

≪書き下し≫春さればまづさきくさの幸(さき)くあらば後(のち)にも逢はむな恋ひそ我妹(わぎも)

 

(訳)春になると、まっさきに咲くさいぐさの名のように、命さえさいわいであるならば、せめてのちにでも逢うことができよう。そんなに恋い焦がれないでおくれ、お前さん。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)上二句「春去 先三枝」は、「春去 先」が「三枝」を起こし、「春去 先三枝」が、「幸(さきく)」を起こす二重構造になっている。

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。:①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。

参考(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「古代史で楽しむ万葉集」 中西 進 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」