万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その721,722,723)―和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園―万葉集 巻一 五四、巻七 一二一四、巻九 一六七六

―その721―

●歌は、「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」である。

 

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紀伊風土記の丘万葉植物園万葉歌碑(坂門人足

●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(25)にある。

 

●歌をみてみよう。

この歌ならびに奈良県御所市古瀬の阿吽寺の歌碑について、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その441)」で紹介している。  ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

◆巨勢山乃 列ゝ椿 都良ゝゝ尓 見乍思奈 許湍乃春野乎

                (坂門人足 巻一 五四)

 

≪書き下し≫巨勢山(こせやま)のつらつら椿(つばき)つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を

 

(訳)巨勢山のつらつら椿、この椿の木をつらつら見ながら偲ぼうではないか。椿花咲く巨勢の春野の、そのありさまを。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)

(注)こせやま【巨勢山】:奈良県西部、御所(ごせ)市古瀬付近にある山。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉

(注)つらつらつばき 【列列椿】名詞:数多く並んで咲いているつばき。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)しのぶ 【偲ぶ】:①めでる。賞美する。②思い出す。思い起こす。思い慕う。(学研)

 

 題詞は、「大寳元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の秋の九月に、太上天皇(おほきすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌>である。

(注)太上天皇:持統上皇

 

 左注は「右一首坂門人足」<右の一首は坂門人足(さかとのひとたり)>である。

 

 

―その722―

●歌は、「安太へ行く小為手の山の真木の葉も久しく見ねば蘿生しにけり」である。

 

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紀伊風土記の丘万葉植物園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(26)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆安太部去 小為手乃山之 真木葉毛 久不見者 蘿生尓家里

               (作者未詳 巻七 一二一四)

 

≪書き下し≫安太(あだ)へ行く小為手(をすて)の山の真木(まき)の葉も久しく見ねば蘿(こけ)生(む)しにけり

 

(訳)安太(あだ)の地へ通ずる小為手(おすて)の山の杉や檜(ひのき)の葉も、久しく見ないうちに、蘿(こけ)生(む)すほどに茂ってしまった。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)安太、小為手:所在不詳。

 「有田郡」の歴史をみてみると、「紀伊風土記によると、古代は安諦郡(あで)という郡名であったが、平城天皇の諱「安殿(あて)」と音が似て畏れ多いということから在田郡に改称したという。」とある。また、紀伊和歌山藩支配下に「押手村」という村名が見られる。(weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)

 

 グーグルマップで調べて見ると、有田市役所の東、50kmほどのところに、有田川沿いに押手郵便局があり、その西側2kmほどのところに安諦小学校が確認できた。地名は古代へ誘うのである。

 

 

 

―その723―

●歌は、「背の山に黄葉常敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ」である。

 

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紀伊風土記の丘万葉植物園万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑(プレート)は、和歌山市岩橋 紀伊風土記の丘万葉植物園(27)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆勢能山尓 黄葉常敷 神岳之 山黄葉者 今日散濫

             (作者未詳 巻九 一六七六)

                         

≪書き下し≫背(せ)の山(やま)に黄葉(もみち)常敷(つねし)く神岳(かみをか)の山の黄葉(もみち)は今日(けふ)か散るらむ

 

(訳)背の山のもみじが絶えず散り敷いている。神岳の山のもみじは、今日あたりさかんに散っていることであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)背の山:和歌山県伊都群かつらぎ町の山

(注)神岳:明日香橘寺東南のミハ山か。

 

「妹山・背山」については、かつらぎ町HP「万葉の里」に「今からおよそ1350年前『大化の改新』の詔によって、畿内国の南限(朝廷が治める国の南の境)が兄山(かつらぎ町の背山)と定められました。

 兄とは、兄の君(背の君・兄弟)を表し妹も妻・娘への敬称である。兄山(背山)は二つの峰がなかよく並んでいるので、妹山・背山(妹背山)といわれている。

 また、紀の川をはさんで左がわの台地のような山を妹山、それに対して右がわの山を背山と呼び、おたがいに向かい合っている情景から妹背山と見立てている。

 いずれにしても、万葉の旅人は紀伊の国のむつまじい妹背山を眺めて、ふるさと大和の夫婦山・・・『二上山』を思い出させ郷愁に駆られた。長い草枕の道すがら有名な歌枕として万葉歌十五首、とりわけ相聞歌が数多く詠まれた。 十五首も詠まれた歌枕は、全国第2番目である。」と記されている。

 

題詞は、「大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇紀伊國時歌十三首」<大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の冬の十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)・大行天皇(さきのすめらみこと)、紀伊の国(きのくに)に幸(いでま)す時の歌十三首>である。

(注)ここでは太上天皇持統天皇大行天皇文武天皇をさす。

                           

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉

★「万葉の里」 (かつらぎ町HP)

★「weblio辞書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」