万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その732)―和歌山市和歌浦中 玉津島神社鳥居横―万葉集 巻七 一二二二

 紀伊風土記の丘をあとにし玉津島神社へと向かう。約30分のドライブである。国道42号線を交差点「和歌浦」で左方向に鋭角にまわる。左手に海が見えてくる。しばらく進むと右側に神社の駐車場がある。車を止め大鳥居の方向へ歩く。「玉津島神社鹽竈神社HP」の境内案内図で歌碑の位置を調べていたので、まず大鳥居横の歌碑とご対面である。

 

●歌は、「玉津島見れども飽かずいかにして包み持ち行かむ見ぬ人のため」である。

 

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和歌山市和歌浦中 玉津島神社鳥居横万葉歌碑(藤原卿)

●歌碑は、和歌山市和歌浦中 玉津島神社鳥居横にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆玉津嶋 雖見不飽 何為而 褁持将去 不見人之為

               (藤原卿 巻七 一二二二)

 

≪書き下し≫玉津島(たまつしま)見れども飽(あ)かずいかにして包(つつ)み持ち行かむ見ぬ人のため

 

(訳)玉津島はいくら見ても見飽きることがない。どのようにして包んで持って行こうか。まだ見たことがない人のために。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

一二一八から一一九五歌までの歌群の左注は、「右七首者藤原卿作 未審年月」<右の七首は、藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)が作 いまだ年月審(つばひ)らかにあらず>である。

(注)伊藤 博氏の巻七 題詞「羇旅作」の脚注に、「一一六一から一二四六に本文の乱れがあり、それを正した。そのため歌番号の順に並んでいない所がある。」と書かれている。 この歌群もそれに相当している。

 

他の六首もみてみよう。

 

◆黒牛乃海 紅丹穂経 百礒城乃 大宮人四 朝入為良霜

               (藤原卿 巻七 一二一八)

 

≪書き下し≫黒牛(くろうし)の海(うみ)紅(くれなゐ)にほふももしきの大宮人(おおみやひと)しあさりすらしも

 

(訳)黒牛の海が紅に照り映えている。大宮に使える女官たちが浜辺で漁(すなど)りしているらしい。(同上)

(注)黒牛の海:海南市黒江・船尾あたりの海。

(注)あさり【漁り】名詞 <※「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる>:①えさを探すこと。②魚介や海藻をとること。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆若浦尓 白浪立而 奥風 寒暮者 山跡之所念

               (藤原卿 巻七 一二一九)

 

≪書き下し≫若(わか)の浦(うら)に白波立ちて沖つ風寒き夕(ゆうへ)は大和(やまと)し思ほゆ

 

(訳)和歌の浦に白波が立って、沖からの風が肌寒いこの夕暮れ時には、家郷大和が偲ばれる。(同上)

 

 

◆為妹 玉乎拾跡 木國之 湯等乃三埼二 此日鞍四通

               (藤原卿 巻七 一二二〇)

 

≪書き下し≫妹(いも)がため玉を拾(ひり)ふと紀伊の国(きのくに)の由良(ゆら)の岬(みさき)にこの日暮らしつ

 

(訳)家で待つあの子のために美しい玉を拾おうとして、紀伊の国(きのくに)の由良の岬で、今日一日を過ごしてしまった。(同上)

(注)由良の岬:日高郡由良港たり

 

 

◆吾舟乃 梶者莫引 自山跡 戀来之心 未飽九二

               (藤原卿 巻七 一二二一)

             

≪書き下し≫我(わ)が舟の楫(かぢ)はな引きそ大和(やまと)より恋ひ来(こ)し心いまだ飽(あ)かなくに

 

(訳)このわれらの舟の楫(かじ)は動かさないでおくれ。大和からはるばると憧(あこが)れて来た心が、まだ満たされていないから。(同上)

 

◆木國之 狭日鹿乃浦尓 出見者 海人之燎火 浪間従所見

               (藤原卿 巻七 一一九四)

 

≪書き下し≫紀伊の国(きのくに)の雑賀(さひか)の浦に出(い)で見れば、海人(あま)の燈火(ともしび)波の間(ま)ゆ見ゆ

 

(訳)紀伊の国(きのくに)の雑賀(さいか)の浦に出て見ると、海人のともす漁火(いさりび)が波の間から見える。(同上)

(注)雑賀の浦:和歌山市雑賀崎の海岸

(注)ゆ 格助詞:《接続》体言、活用語の連体形に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段〕…で。…によって。④〔比較の基準〕…より。 ※参考 上代の歌語。類義語に「ゆり」「よ」「より」があったが、中古に入ると「より」に統一された。(学研)

 

 

◆麻衣 著者夏樫 木國之 妹背之山二 麻蒔吾妹

               (藤原卿 巻七 一一九五)

 

≪書き下し≫麻衣(あさごろも)着(き)ればなつかし紀伊の国(きのくに)の妹背(いもせ)の山に麻蒔(ま)く我妹(わぎも)

 

(訳)麻の衣を着ると懐かしくて仕方がない。紀伊の国(きのくに)の妹背(いもせ)の山で麻の種を蒔いていたあの子のことが。(同上)

 

この七首は、これまでの万葉歌と違い、さらっとしたどちらかといえば洗練された歌に感じる。抵抗感がない歌である。和歌の浦の近辺の風光がなせる業なのか。

 歌に付ける(注)も地名がほとんどで、言葉使いもどちらかといえば今風でありわかりやすい。万葉集にもこのような世界があるのに驚きを隠せない。だから万葉集なのかもしれない。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「玉津島神社鹽竈神社HP」