紀伊風土記の丘をあとにし玉津島神社へと向かう。約30分のドライブである。国道42号線を交差点「和歌浦」で左方向に鋭角にまわる。左手に海が見えてくる。しばらく進むと右側に神社の駐車場がある。車を止め大鳥居の方向へ歩く。「玉津島神社・鹽竈神社HP」の境内案内図で歌碑の位置を調べていたので、まず大鳥居横の歌碑とご対面である。
●歌は、「玉津島見れども飽かずいかにして包み持ち行かむ見ぬ人のため」である。
●歌をみていこう。
◆玉津嶋 雖見不飽 何為而 褁持将去 不見人之為
(藤原卿 巻七 一二二二)
≪書き下し≫玉津島(たまつしま)見れども飽(あ)かずいかにして包(つつ)み持ち行かむ見ぬ人のため
(訳)玉津島はいくら見ても見飽きることがない。どのようにして包んで持って行こうか。まだ見たことがない人のために。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
一二一八から一一九五歌までの歌群の左注は、「右七首者藤原卿作 未審年月」<右の七首は、藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)が作 いまだ年月審(つばひ)らかにあらず>である。
(注)伊藤 博氏の巻七 題詞「羇旅作」の脚注に、「一一六一から一二四六に本文の乱れがあり、それを正した。そのため歌番号の順に並んでいない所がある。」と書かれている。 この歌群もそれに相当している。
他の六首もみてみよう。
◆黒牛乃海 紅丹穂経 百礒城乃 大宮人四 朝入為良霜
(藤原卿 巻七 一二一八)
≪書き下し≫黒牛(くろうし)の海(うみ)紅(くれなゐ)にほふももしきの大宮人(おおみやひと)しあさりすらしも
(訳)黒牛の海が紅に照り映えている。大宮に使える女官たちが浜辺で漁(すなど)りしているらしい。(同上)
(注)黒牛の海:海南市黒江・船尾あたりの海。
(注)あさり【漁り】名詞 <※「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる>:①えさを探すこと。②魚介や海藻をとること。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
◆若浦尓 白浪立而 奥風 寒暮者 山跡之所念
(藤原卿 巻七 一二一九)
≪書き下し≫若(わか)の浦(うら)に白波立ちて沖つ風寒き夕(ゆうへ)は大和(やまと)し思ほゆ
(訳)和歌の浦に白波が立って、沖からの風が肌寒いこの夕暮れ時には、家郷大和が偲ばれる。(同上)
◆為妹 玉乎拾跡 木國之 湯等乃三埼二 此日鞍四通
(藤原卿 巻七 一二二〇)
≪書き下し≫妹(いも)がため玉を拾(ひり)ふと紀伊の国(きのくに)の由良(ゆら)の岬(みさき)にこの日暮らしつ
(訳)家で待つあの子のために美しい玉を拾おうとして、紀伊の国(きのくに)の由良の岬で、今日一日を過ごしてしまった。(同上)
◆吾舟乃 梶者莫引 自山跡 戀来之心 未飽九二
(藤原卿 巻七 一二二一)
≪書き下し≫我(わ)が舟の楫(かぢ)はな引きそ大和(やまと)より恋ひ来(こ)し心いまだ飽(あ)かなくに
(訳)このわれらの舟の楫(かじ)は動かさないでおくれ。大和からはるばると憧(あこが)れて来た心が、まだ満たされていないから。(同上)
◆木國之 狭日鹿乃浦尓 出見者 海人之燎火 浪間従所見
(藤原卿 巻七 一一九四)
≪書き下し≫紀伊の国(きのくに)の雑賀(さひか)の浦に出(い)で見れば、海人(あま)の燈火(ともしび)波の間(ま)ゆ見ゆ
(訳)紀伊の国(きのくに)の雑賀(さいか)の浦に出て見ると、海人のともす漁火(いさりび)が波の間から見える。(同上)
(注)ゆ 格助詞:《接続》体言、活用語の連体形に付く。①〔起点〕…から。…以来。②〔経由点〕…を通って。…を。③〔動作の手段〕…で。…によって。④〔比較の基準〕…より。 ※参考 上代の歌語。類義語に「ゆり」「よ」「より」があったが、中古に入ると「より」に統一された。(学研)
◆麻衣 著者夏樫 木國之 妹背之山二 麻蒔吾妹
(藤原卿 巻七 一一九五)
≪書き下し≫麻衣(あさごろも)着(き)ればなつかし紀伊の国(きのくに)の妹背(いもせ)の山に麻蒔(ま)く我妹(わぎも)
(訳)麻の衣を着ると懐かしくて仕方がない。紀伊の国(きのくに)の妹背(いもせ)の山で麻の種を蒔いていたあの子のことが。(同上)
この七首は、これまでの万葉歌と違い、さらっとしたどちらかといえば洗練された歌に感じる。抵抗感がない歌である。和歌の浦の近辺の風光がなせる業なのか。
歌に付ける(注)も地名がほとんどで、言葉使いもどちらかといえば今風でありわかりやすい。万葉集にもこのような世界があるのに驚きを隠せない。だから万葉集なのかもしれない。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」