万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その738)―和歌山市和歌浦南 片男波公園・万葉の小路(2)―万葉集 巻七 一二一五

●歌は、「玉津島よく見ていませあをによし奈良なる人の待ち問はばいかに」と

    「玉津島見てしよけくも我れはなし都に行きて恋ひまく思へば」である。

 

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片男波公園・万葉の小路万葉歌碑(二首とも作者未詳)

●歌碑は、和歌山市和歌浦南 片男波公園・万葉の小路(2)にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆玉津嶋 能見而伊座 青丹吉 平城有人之 待問者如何

               (作者未詳 巻七 一二一五)

 

≪書き下し≫玉津島(たまつしま)よく見ていませあをによし奈良なる人の待ち問はばいかに

 

(訳)玉津島をよくよくご覧になっていらっしゃいませ。奈良のお家(うち)の方が、待ち構えて様子を尋ねたら、どうお答えになりますか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)います【坐す・在す】補助動詞:〔動詞の連用形に付いて〕…ていらっしゃるようにさせる。…おいでにならせる。▽尊敬の意を表す。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)旅先である玉津島の娘子の歌か。

 

 

◆玉津嶋 見之善雲 吾無 京徃而 戀幕思者

               (作者未詳 巻七 一二一七)

 

≪書き下し≫玉津島見てしよけくも我(わ)れはなし都に行きて恋ひまく思へば

 

(訳)玉津島の景色を見ても、嬉(うれ)しい気持ちに私はとてもなれない。都に帰ってから恋しくてならないだろうと思うと。(同上)

(注)よけく【良けく・善けく】:よいこと。 ※派生語。上代語。 ⇒なりたち形容詞「よし」の上代の未然形+接尾語「く」(学研)

(注)まく:…だろうこと。…(し)ようとすること。 ※派生語。語法活用語の未然形に付く。 ⇒なりたち推量の助動詞「む」の古い未然形「ま」+接尾語「く」(学研)

 

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歌碑の歌の解説案内碑

 一二一五歌は、玉津島の娘子の歌と思われるが、一二一六歌も含め、どのような経緯で万葉集に収録されるにいたったのだろうか。この娘子なるものは、貴人の酒席に侍り、歌を誦している。いわば教養の高い芸の女たちであったと思われる。彼女たちが宴席等で古歌を披露したり、宴席殿の歌を記憶し、何らかの機会にそれを、結果的に、口誦し伝える役目をになっていたとも考えられる。男の立場であれば、この手の歌を披歴するのは憚れる側面が強いと思われる。まして自分の妻を歌材的にした場合はなおさらである。

 

 地方での宴席での歌群では、作者名とアンマッチな場合がある。

次の山辺赤人の場合をみてみよう。

 

 

塩干去者 玉藻苅蔵 家妹之 濱▼乞者 何矣示

        ※ ▼は「果」の下に「衣」で「づと」

               (山部赤人 巻三 三六〇)

 

≪書き下し≫潮干(しほひ)なば玉藻刈りつめ家の妹(いも)が浜づと乞(こ)はば何を示さむ

 

(訳)潮が引いたらせっせと玉藻を刈り集めておきなさい。家に待ついとしい子が浜の土産を乞い求めたなら、この玉藻のほかに何も見せるものはないのだから。(同上)

(注)つむ【集む】他動詞:集める。(学研)

(注)つと【苞・苞苴】名詞:①食品などをわらで包んだもの。わらづと。②贈り物にする土地の産物。みやげ。(学研) ※ここでは②の意

 

◆秋風乃 寒朝開乎 佐農能岡 将超公尓 衣借益矣

              (山部赤人 巻三 三六一)

 

◆秋風の寒き朝明(あさけ)を佐農(さぬ)の岡(おか)越ゆらむ君に衣(きぬ)貸さましを

 

(訳)秋風の吹くこんな寒い明け方なのに、佐農の岡を今頃は越えているであろうあなた、そのあなたに私の着物をお貸ししておけばよかった。(同上)

(注)佐農の岡:所在未詳

 

 この三六一歌は、陸行の歌。旅先で出会った優しい心根の女の歌として披露したものか。

 参考:宇治間山朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに(巻一 七五 長屋王

 

◆美沙居 石轉尓生 名乗藻乃 名者告志弖余 親者知友

               (山部赤人 巻三 三六二)

 

≪書き下し≫みさご居(ゐ)る磯(いそ)みに生(お)ふるなのりその名は告(の)らしてよ親は知るとも

 

(訳)みさごの棲んでいる荒磯に根生えているなのりそではないが、名告ってはいけない名前、その名は大切だろうが名告っておくれ。たとえ親御は気付いても。(同上)

(注)みさご【鶚・雎鳩】名詞:鳥の名。猛禽(もうきん)で、海岸・河岸などにすみ、水中の魚を捕る。岩壁に巣を作り、夫婦仲がよいとされる。(学研)

(注)上三句は序。「名」を起こす。

(注)なのりそ 名詞:海藻のほんだわらの古名。正月の飾りや、食用・肥料とする。(学研)➡「勿告りそ」の意を懸ける。

(注)名は告らしてよ:旅先の女に求婚したことを意味する。三六一歌を承けたかたち。

 

 三六〇歌では、都の妻が歌材となっており、三六一歌は、「娘子」の歌と思われる。このような心根の優しい娘子だったと、娘子の気持ちでつくったのかもしれない。三六二歌は、宴席での戯言的(あわよくば的感覚も込めて)に詠って場を盛り上げていると考えられる。同様に一二一七歌もしかりである。

 

 三五七から三六三歌の歌群の題詞は、「山辺宿禰赤人が歌六首」である。三六三歌は、三六二歌の異伝として収録している。

この「山辺宿禰赤人が歌六首」については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その614)」で紹介している。 ➡ こちら614

 

 万葉集には、藤原広嗣と娘子の贈答歌(一四五六、一四五七歌)、石川丈夫に贈った播磨娘子の歌(一七七六、一七七七歌)や、藤井連と娘子の贈答歌(一七七八、一七七九歌)等が収録されている。

 万葉集は相聞歌が主流である。歌物語的要素も強いと思われるのもこの娘子による要素も強いのではないだろうか。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」