万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その743)―海南市黒江 中言神社―萬葉集巻九 一七九八

●歌は、「いにしへに妹と我が見しぬばたまの黒牛潟を見れば寂しも」である。。

 

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海南市黒江 中言神社万葉歌碑(柿本人麻呂歌集)

●歌碑は、海南市黒江 中言神社にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆古家丹 妹等吾見 黒玉之 久漏牛方乎 見佐府下

               (柿本人麻呂歌集 巻九 一七九八)

 

≪書き下し≫いにしへに妹と我(わ)が見しぬばたまの黒牛潟(くろうしがた)を見れば寂(さぶ)しも

 

(訳)過ぎしその日、いとしい人と私と二人で見た黒牛潟、この黒牛潟を、今たった一人で見ると、寂しくて仕方がない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 

題詞は、「紀伊國作歌四首」<紀伊の国(きのくに)にして作る歌四首>である。

 

他の三首もみてみよう。

 

◆黄葉之 過去子等 携 遊礒麻 見者悲裳

               (柿本人麻呂歌集 巻九 一七九六)

 

≪書き下し≫黄葉(もみちば)の過ぎにし子らと携はり遊びし礒(いそ)を見れば悲しも

 

(訳)もみじの散るようにこの世を去ったあの子と手を取り合って遊んだ磯、思い出のこの磯を見ると、悲しくて仕方がない。(同上)

(注)もみぢばの【紅葉の・黄葉の】分類枕詞:木の葉が色づいてやがて散るところから「移る」「過ぐ」にかかる。 ※上代では「もみちばの」。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たづさはる【携はる】:①手を取り合う。②連れ立つ。③かかわり合う。関係する。(学研)

 

 

◆塩氣立 荒礒丹者雖在 徃水之 過去妹之 方見等曽来

               (柿本人麻呂歌集 巻九 一七九七)

 

≪書き下し≫潮気(しほけ)立つ荒礒(ありそ)にはあれど行く水の過ぎにし妹(かたみ)が形見(かたみ)とぞ来(こ)し

 

(訳)潮の香の漂う荒涼とした磯ではあるけれど、流れ行く水のようにこの世を去った人、そのいとしい人の形見の地として私はここにやって来たのだ。(同上)

(注)しほけ【潮気】名詞:潮風の湿り気や香り。(学研)

(注)ゆくみずの【行く水の】[枕]:水の流れ去るさまから、「過ぐ」「とどめかぬ」にかかる。(goo辞書)

 

 

◆玉津嶋 礒之裏未之 真名子仁文 尓保比去名 妹觸險

               (柿本人麻呂歌集 巻九 一七九九)

 

≪書き下し≫玉津島(たまつしま)礒の浦(うら)みの真砂(まなご)にもにほひて行かな妹も触れけむ

 

(訳)玉津島の磯辺の浦の白砂、この白砂にたっぷり染まって行きたい。亡きあの人もこの砂に触れたはずなのだから。(同上)

(注)にほふ【匂ふ】自動詞:①美しく咲いている。美しく映える。②美しく染まる。(草木などの色に)染まる。③快く香る。香が漂う。④美しさがあふれている。美しさが輝いている。⑤恩を受ける。おかげをこうむる。(学研) ここでは②の意

 

左注は、「右五首柿本朝臣人麻呂之歌集出」<右の五首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ>である。

 

この四首の前の一七九五歌を含めて五首としている。一七九五歌もみておこう。

この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その232)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

題詞は、「宇治若郎子宮所歌一首」<宇治若郎子(うぢのわきいらつこ)の宮所(みやところ)の歌一首>である。

 

◆妹等許 今木乃嶺 茂立 嬬待木者 古人見祁牟

                                  (柿本人麻呂歌集 巻九 一七九五)

 

≪書き下し≫妹らがり今木(いまき)の嶺(みね)に茂り立つ夫松(つままつ)の木は古人(ふるひと)見けむ

 

(訳)いとしい子の家に今来た、という今木の峰に枝葉を茂らせてそそり立つ松、夫の訪れを待つように今も立っている松の木は、いにしえの人もきっと見たことであろう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)いもがり 【妹許】名詞:愛する妻や女性のいる所。 ※「がり」は居所および居る方向を表す接尾語。

 

 

 巻九の部立「挽歌」の先頭歌群は、みてきた「柿本人麻呂歌集」の五首が収録されており、一八〇〇から一八〇六歌の七首は「田辺福麻呂歌集」、一八〇七から一八一一歌の五首は「高橋虫麻呂歌集」となっている。

 巻九はこのように「柿本人麻呂歌集」を核としながら個人の名を冠した歌集を中心に構成されているのという特徴をもって編纂されているのである。

 

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中言神社

 和歌山県神社庁HP「中言神社」の由緒によると、「万葉の太古より歌枕として『萬葉集』に詠まれている黒牛潟は当神社の境内周辺の地で、『紀伊風土記』にこの地古海の入江にてその干潟の中に牛に似たる黒き石あり、満潮には隠れ、干潮には現る 因りて黒牛潟と呼ぶ とあり。この小高い丘の上に、嵯峨天皇弘仁3(813)年に紀伊国司が鎮守の神として八王子命を祀り(中略)中言と称するは、『中は中臣と同しく言は即事なり名草の国造として神と君との御中を執持て事を執行う職なれば中言と称する』とされており(後略)」とある。

 境内には、「黒牛の水」と呼ばれる名水が湧き出している。紀の国の名水50選のひとつである。

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「黒牛の水」の碑

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中言神社社殿



 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集をどう読むか―歌の『発見』と漢字世界」 神野志隆光 著 (東京大学出版会

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「goo辞書」

★「和歌山県神社庁HP」