―その744―
●歌は、「黒牛の海紅にほふももしきの大宮人しあさりつらしも」である。
●歌碑は、海南市日方 海南消防署北側にある。
●歌をみていこう。
◆黒牛乃海 紅丹穂経 百礒城乃 大宮人四 朝入為良霜
(藤原卿 巻七 一二一八)
≪書き下し≫黒牛(くろうし)の海(うみ)紅(くれなゐ)にほふももしきの大宮人(おおみやひと)しあさりすらしも
(訳)黒牛の海が紅に照り映えている。大宮に使える女官たちが浜辺で漁(すなど)りしているらしい。(同上)
(注)黒牛の海:海南市黒江・船尾あたりの海。
(注)あさり【漁り】名詞 <※「す」が付いて他動詞(サ行変格活用)になる>:①えさを探すこと。②魚介や海藻をとること。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
一二一八から一一九五歌までの歌群の左注は、「右七首者藤原卿作 未審年月」<右の七首は、藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)が作 いまだ年月審(つばひ)らかにあらず>である。
(注)伊藤 博氏の巻七 題詞「羇旅作」の脚注に、「一一六一から一二四六に本文の乱れがあり、それを正した。そのため歌番号の順に並んでいない所がある。」と書かれている。 この歌群もそれに相当している。
この歌群の歌すべては、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その732)」で紹介している。
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中言神社からほぼ南下するかたちで約10分で海南消防本部海南消防署に着く。日方川左岸、消防署の北側のポケットパーク的なスペースに万葉歌碑が設置されている。あらかじめストリートビューで見つけておいたのですぐに確認できた。
―その745―
●歌は、「紫の名高の浦の真砂地袖のみ触れて寝ずかなりなむなりけむ」である。
●歌碑は、海南市築地 海南医療センター筋向いにある。
●歌をみていこう。
◆紫之 名高浦之 愛子地 袖耳觸而 不寐香将成
(作者未詳 巻七 一三九二)
≪書き下し≫紫(むらさき)の名高(なたか)の浦(うら)の真砂地(まなごつち)袖のみ触れて寝ずかなりなむ
(訳)名高の浦の細かい砂地には、袖が濡れただけで、寝ころぶこともなくなってしまうのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)紫の(読み)ムラサキノ[枕]:① ムラサキの根で染めた色の美しいところから、「にほふ」にかかる。② 紫色が名高い色であったところから、地名「名高(なたか)」にかかる。③ 濃く染まる意から、「濃(こ)」と同音を含む地名「粉滷(こがた)」にかかる。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)まなご【真砂】名詞:「まさご」に同じ。 ※「まさご」の古い形。上代語。 ⇒まさご【真砂】名詞:細かい砂(すな)。▽砂の美称。 ※古くは「まなご」とも。「ま」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)真砂土は、愛する少女の譬えか。
この歌ならびに一三九三歌の題詞は、「寄浦沙」<浦の沙(まなご)に寄す>である。
一三九三歌もみてみよう。
◆豊國之 聞之濱邊之 愛子地 真直之有者 何如将嘆
(作者未詳 巻七 一三九三)
≪書き下し≫豊国(とよくに)の企救(きく)の浜辺(はまへ)の真砂地(まなごつち)真直(まなほ)にしあらば何か嘆かむ
(訳)豊国の企救の浜辺の細かい砂地、その砂地が、名のとおり平らかであったなら、何で嘆くことなどありましょうか。(同上)
(注)豊国の企救の浜辺:北九州市企救半島の付け根あたりの海岸。
(注)上三句は相手の男の譬え
(注)まなほ【真直】( 形動ナリ ):正しくいつわりのないさま。まっすぐなさま。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)
この二首が、「寄浦沙」として巻七に収録されたことに驚かされる。どのようなフィルターにかけここに至ったのか。万葉集の編纂能力に脱帽である。
海南消防署から海南医療センターまでは約5分である。グーグルマップに医療センターの筋向いに「万葉歌碑(巻7-1392)」と表示があったので、すぐに確認できた。事前に確認ができるとスムーズに歌碑めぐりができるのである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」