751から758までの歌碑(プレート)は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その742)」で紹介した海南市黒江 名手酒造駐車場にある。当日巡った他の歌碑の歌と重複しているものが多いので、ここで紹介することにしたものである。
―その751―
●歌は、「いにしへに妹と我が見しぬばたまの黒牛潟を見れば寂しも」である。
●歌碑(プレート)は、海南市黒江 名手酒造駐車場にある。
●歌をみてみよう。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その743)」で紹介している。
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◆古家丹 妹等吾見 黒玉之 久漏牛方乎 見佐府下
(柿本人麻呂歌集 巻九 一七九八)
≪書き下し≫いにしへに妹と我(わ)が見しぬばたまの黒牛潟(くろうしがた)を見れば寂(さぶ)しも
(訳)過ぎしその日、いとしい人と私と二人で見た黒牛潟、この黒牛潟を、今たった一人で見ると、寂しくて仕方がない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
題詞は、「紀伊國作歌四首」<紀伊の国(きのくに)にして作る歌四首>である。
この挽歌をみていると、大伴旅人の、題詞「天平二年庚午冬十二月大宰帥大伴卿向京上道之時作歌五首」<天平二年庚午(かのえうま)の冬の十二月に、大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、京に向ひて道に上る時に作る歌五首>の歌が頭に浮かんでくる。
次の歌である。
◆与妹来之 敏馬能埼乎 還左尓 獨之見者 涕具末之毛
(大伴旅人 巻三 四四九)
≪書き下し≫妹(いも)と来(こ)し敏馬(みぬめ)の崎を帰るさにひとりし見れば涙(なみた)ぐましも
(訳)行く時にあの子と見たこの敏馬の埼を、帰りしなにただ一人で見ると、涙がにじんでくる。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)敏馬に「見ぬ妻」を匂わせる
もう一首もみておこう。
◆去左尓波 二吾見之 此埼乎 獨過者 情悲喪 <一云見毛左可受伎濃>
≪書き下し≫行くさにはふたり我(あ)が見しこの崎をひとり過ぐれば心(こころ)悲しも
<一には「見もさかず来ぬ」といふ>
(訳)行く時には二人して親しく見たこの敏馬の崎なのに、ここを今一人で通り過ぎると、心が悲しみでいっぱいだ。<遠く見やることもせずにやって来てしまった。>
最愛の妻と一緒に見た景色を、今一人で見ているというなんとも切ない心情があふれ出ている。時間軸、空間軸を超越して共感しうる心情である。
―その752―
●歌は、「紫の名高の浦の真砂地袖のみ触れて寝ずかなりなむ」である。
●歌碑(プレート)は、海南市黒江 名手酒造駐車場にある。
●歌をみてみよう。
この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その748)」で紹介している。
➡ こちら748
◆紫之 名高浦之 愛子地 袖耳觸而 不寐香将成
(作者未詳 巻七 一三九二)
≪書き下し≫紫(むらさき)の名高(なたか)の浦(うら)の真砂地(まなごつち)袖のみ触れて寝ずかなりなむ
(訳)名高の浦の細かい砂地には、袖が濡れただけで、寝ころぶこともなくなってしまうのであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)紫の(読み)ムラサキノ[枕]:① ムラサキの根で染めた色の美しいところから、「にほふ」にかかる。② 紫色が名高い色であったところから、地名「名高(なたか)」にかかる。③ 濃く染まる意から、「濃(こ)」と同音を含む地名「粉滷(こがた)」にかかる。(コトバンク 小学館デジタル大辞泉)
(注)まなご【真砂】名詞:「まさご」に同じ。 ※「まさご」の古い形。上代語。 ⇒まさご【真砂】名詞:細かい砂(すな)。▽砂の美称。 ※古くは「まなご」とも。「ま」は接頭語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)真砂土は、愛する少女の譬えか
この歌の題詞は「浦の沙(まなご)に寄す」である。
万葉集では、このように景物に寄せて思いを述べる歌が多い。また相聞歌に多いのは、景物に託して自分の心情を述べるからで、恋する男女の直接的でないはにかみのような感情も入って来るからであろう。
自然物と人の思い、譬喩の巧みさ、機智と笑いなど様々な要素を組み合わせ万葉びとは、おおらかさも持ち合わせ、今も共感を呼ぶ歌を残したのである。
歌碑(プレート)は9枚あるが、この1枚は、名手酒造駐車場の歌碑の歌のプレートである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」