万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その760)―有田糸我町 得生寺―万葉集 巻七 一二一二

●歌は、「足代過ぎて糸鹿の山の桜花散らずもあらなむ帰り来まで」である。

 

f:id:tom101010:20200929102345j:plain

有田糸我町 得生寺万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、有田糸我町 得生寺にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆足代過而 絲鹿乃山之 櫻花 不散在南 還来万代

                  (作者未詳 巻七 一二一二)

 

≪書き下し≫足代(あて)過ぎて糸鹿(いとか)の山の桜花(さくらばな)散らずもあらなむ帰り来(く)るまで

 

(訳)足代を通り過ぎてさしかかった糸鹿の山、この糸鹿の山の桜花よ、散らないでいておくれ。私が帰って来るその時まで。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)足代:もと安諦群。今の有田市

(注)糸鹿の山:有田市糸我町の南の山

(注)糸我(読み)いとが:「和歌山県北西部、有田(ありだ)市の一地区。旧糸我村。有田川の南岸に位置し、背後には『万葉集』によく詠まれる糸鹿山(いとがのやま)がある。熊野街道が通り、『中右記(ちゅうゆうき)』に1109年(天仁2)伊止賀坂(いとがのさか)を登るとある。謡曲『雲雀山(ひばりやま)』で知られる中将姫の旧跡とされる得生寺(とくしょうじ)があり、5月に行われる来迎会式は県の無形民俗文化財に指定されている。(コトバンク 小学館 日本大百科全書《ニッポニカ》)

 

f:id:tom101010:20200929105319j:plain

歌碑の歌の解説歌碑案内板

 一二一二から一二一七歌までは一つの歌群を形成している。この六首の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その739)」で紹介している。

 ➡ こちら739

 

歌のみあげてみる。

◆足代過而 絲鹿乃山之 櫻花 不散在南 還来万代

               (作者未詳 巻七 一二一二)

◆名草山 事西在来 吾戀 千重一重 名草目名國

               (作者未詳 巻七 一二一三)

◆安太部去 小為手乃山之 真木葉毛 久不見者 蘿生尓家里

               (作者未詳 巻七 一二一四)

◆玉津嶋 能見而伊座 青丹吉 平城有人之 待問者如何

               (作者未詳 巻七 一二一五)

◆塩滿者 如何将為跡香 方便海之 神我手渡 海部未通女等

               (作者未詳 巻七 一二一六)

◆玉津嶋 見之善雲 吾無 京徃而 戀幕思者

               (作者未詳 巻七 一二一七)

 

 この六首に出て来る主な地名をひろって、明日香から押手、糸我、紀三井寺、玉津島とグーグルマップを徒歩で検索してみると、130km強、28時間とでる。片道である。山の中は獣道に毛が生えた程度であろう。万葉びとの体力、精神力に驚かされる。

 

思い出されるのは、山上憶良筑前守に任命され九州に赴任したのは六十七歳の時である。太宰帥として大伴旅人が任に着いたのは六十四歳である。あらためて万葉びとの体力、精神力に敬意をはらいたいものである。

 

 

 白崎万葉公園から得生寺までは約40分のドライブである。こじんまりとした手入れの行き届いたお寺である。

 

f:id:tom101010:20200929104749j:plain

有田糸我町 得生寺名碑

「ありだの観光情報」(有田市公式ウェブサイト)によると、得生寺は、「『中将姫の寺』として有名で、本堂、開山堂、庫裡、鐘堂、宝物庫などがあります。天平19年(747年)に右大臣藤原豊成の娘として、生まれた姫が13才のとき継母のため奈良の都から糸我の雲雀山に捨てられ、3年の間に称賛浄土経一千巻を書写したと伝えられています。また、姫の従臣伊藤春時(剃髪して得生という)が姫を養育した所に草庵を結び、安養院と号したのが始めといわれます。(中略)毎年5月14日の会式には近在からの参詣者で賑わいます。会式の際に行われる二十五菩薩の渡御は、昭和43年に県の無形文化財に指定されています。

寺には中将姫の作という蓮糸縫三尊、中将姫の筆という紺地金泥三部経及び称賛浄土経のほか、国の重要美術品に認定された絹本着色の当麻曼陀羅図などがあり、開山堂には中将姫及び春時夫妻の座像が安置されています。これは永禄元年(1558年)に大和の当麻寺から贈られたものです。境内には昭和47年に建てた万葉歌碑があります。」とある。

 

f:id:tom101010:20200929104925j:plain

「中将姫ゆかり」得生寺名案内板

 中将姫の名前は聞いたことがあったが、このような物語があったことは記憶になかった。現地を訪れることは、いろいろな意味で刺激になる。

f:id:tom101010:20200929105136j:plain

得生寺由来案内板

f:id:tom101010:20200929105456j:plain

得生寺境内



 

万葉歌碑を見て境内をのんびり散策して、次の目的地「立神社」へ向かった。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「太陽 №168 特集 万葉集」 (平凡社

★「ありだの観光情報」(有田市公式ウェブサイト)

★「コトバンク 小学館 日本大百科全書《ニッポニカ》」