万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その762)―海南市下津町大崎―万葉集 巻六 一〇二三

●歌は、「大崎の神の小浜は狭けども百舟人も過ぐと言はなくに」である。

 

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海南市下津町大崎万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、海南市下津町大崎にある。

 

●歌をみていこう。

 この歌は、題詞「石上乙麻呂卿配土左國之時歌三首幷短歌」<石上乙麻呂卿(いそのかみのおとまろのまへつきみ)土佐の国(とさのくに)に配(なが)さゆる時の歌三首 幷せて短歌>の一〇一九から一〇二三歌の歌群のうちの反歌である。

この歌群の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その761)」で紹介している。

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◆大埼乃 神之小濱者 雖小 百船純毛 過迹云莫國

               (作者未詳 巻六 一〇二三)

 

≪書き下し≫大崎(おほさき)の神の小浜(をばま)は狭(せば)けども百舟人(ももふなびと)も過ぐと言はなくに

 

(訳)ここ大崎の神の小浜は狭い浜ではあるけれど、どんな舟人も楽しんで、この港を素通りするとは言わないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)大崎:和歌山県海南市下津町大崎。近世までここから四国に渡った。

(注)もも【百】接頭語:数の多いことをさす。「もも枝(え)」「もも度(たび)」。 ※多くの場合、「百」は実数ではなく、比喩(ひゆ)的に用いられる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

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歌碑の歌の解説歌碑案内板

 

 明日香村からこの辺りまでをグーグル地図でルート検索してみると、約85km、徒歩17時間30分とでる。

ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その761)」でも書いたが、浮気して流罪に問われた夫を紀州まで見送りに行き、神に祈り「急 令變賜根 本國部尓(どうか一日も早くお帰えしください。もともとの国大和の方に)」(一〇二〇歌)と願う妻のいじらしさ。夫の方は妻の気持ちをどのように思っているいるのだろう。

 本人の立場での歌とはいえ、一〇二二歌(長歌)では、「父公尓 吾者真名子叙 妣刀自尓 吾者愛兒叙」と詠うも、妻に対しては一言もないのである。

  歌碑の解説案内板にあるように、「大崎はその頃から舟人の必ず立ち寄るという風光明媚な地であった。」のである。この短歌も、風光明媚な小浜を素通りする悲嘆を述べており妻への気持ちは微塵もないのである。

石上乙麻呂は、天平十一年(739年)、従四位下左大弁の時に、藤原宇合の未亡人久米若売に通じた罪で土佐に流されたのである。二年後の天平十三年頃許されている。

 

得生寺からは、有田川にそってほぼ西に進み、有田市宮崎交差点を右折、国道42号線を下津方面に向かう。下津町の上交差点を左折海岸に沿う形で現地に。

 下津港は、紀伊国屋文左衛門船出の地といわれ、みかん及び材木などの集散地として栄えたところである。今回は立ち寄らなかったが、「紀伊国屋文左衛門船出の碑」がある。そこから海岸線を約3分ほど行くとY字型の三叉路にでる。この三叉路の左手に海を背に万葉歌碑がある。

この歌碑のあるポケットパーク的なところに「和歌山県の朝日・夕陽100選」の碑が建てられている。選定ポイントとして、「大崎万葉歌碑から望む大崎湾に沈む夕陽は、あたり一面を深紅に包み込みきれいである。さらに、農道大崎線から見る夕陽を浴びた海・山が絶景。」と書かれている。昼間の光景でも絶景である。

 

 ここからは、シモツピアーランド入口近くの歌碑を求めて、三叉路の右手、山側への登り坂のルートをとるのである。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「和歌山県の朝日・夕陽100選」

★「紀伊国屋文左衛門船出の碑」 (海南観光ナビ)