万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その766)―奈良県吉野郡大淀町今木 蔵王権現堂(泉徳寺)仁王門横―万葉集 巻十 一九四四

●歌は、「藤波の散らまく惜しみほととぎす今城の岡を鳴きて越ゆなり」である。

 

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奈良県吉野郡大淀町今木 蔵王権現堂(泉徳寺)仁王門横万葉歌碑(作者未詳)

●歌碑は、奈良県吉野郡大淀町今木 蔵王権現堂(泉徳寺)仁王門横にある

 

●歌をみていこう。

 

◆藤浪之 散巻惜 霍公鳥 今城岳▼ 鳴而越奈利

   ▼「口(くちへん)+リ」である。「今城岳▼」=今城の岡を

               (作者未詳 巻十 一九四四)

 

≪書き下し≫藤波の散らまく惜しみほととぎす今城の岡を鳴きて越ゆなり

 

(訳)藤の花の散るのを惜しんで、時鳥が今城の岡の上を鳴きながら越えている。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ふぢなみ【藤波・藤浪】名詞:藤の花房の風に揺れるさまを波に見立てていう語。転じて、藤および藤の花。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注 参考)ふぢなみの【藤波の・藤浪の】( 枕詞 )① 藤のつるが物にからまりつくことから「(思ひ)まつはる」にかかる。 ② 「ただ一目」にかかる。かかり方未詳。枕詞とはしない説もある。③ 波の縁語で、「たつ」にかかる。(weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版)

 

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歌碑説明案内板

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泉徳寺

 渡り鳥であるホトトギスは初夏にわたって来る。田植えの季節である。田植えの時を告げる鳥というのだろう。このような季節的な組み合わせで藤と時鳥が詠まれているのは、万葉集では六首収録されている。

 他の五首もみてみよう。

 

◆霍公鳥 来鳴動 岡邊有 藤浪見者 君者不来登夜

               (作者未詳 巻十 一九九一)

 

≪書き下し≫ほととぎす来(き)鳴(な)き響(とよ)もす岡辺(をかへ)なる藤波(ふぢなみ)見には君は来(こ)じとや

 

(訳)時鳥が来てしきりに声を響かせている岡辺の藤の花、この花を見にさえ、あなたはおいでにならないというのですか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

◆布治奈美波 佐岐弖知理尓伎 宇能波奈波 伊麻曽佐可理等 安之比奇能 夜麻尓毛野尓毛 保登等藝須 奈伎之等与米婆・・・(長歌

               (大伴池主 巻十七 三九九三)

≪書き下し≫藤波は 咲きて散りにき 卯(う)の花は 今ぞ盛りと あしひきの 山にも野にも ほととぎす 鳴きし響(とよ)めば・・・

 

(訳)“藤の花房は咲いてもう散ってしまった、卯の花は今が真っ盛りだ”とばかりに、あたりの山にも野にも時鳥がしきりに鳴き立てているので・・・(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

◆敷治奈美能 佐伎由久見礼婆 保等登藝須 奈久倍吉登伎尓 知可豆伎尓家里

               (田辺福麻呂 巻十七 4042

 

≪書き下し≫藤波の咲きゆく見ればほととぎす鳴くべき時に近(ちか)づきにけり

 

(訳)藤の花房が次々と咲いてゆくのを見ると、季節は、時鳥の鳴き出す時にいよいよちかづいたのですね。(同上)

 

 

◆霍公鳥 鳴羽觸尓毛 落尓家利 盛過良志 藤奈美能花  <一云 落奴倍美 袖尓古伎納都 藤浪乃花也>

               (大伴家持 巻十九 四一九三)

 

≪書き下し≫ほととぎす鳴く羽触れにも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花  <一には「散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花>

 

(訳)時鳥が鳴き翔ける羽触れにさえ、ほろほろと散ってしまうよ。もう盛りは過ぎているらしい、藤波の花は。<今にも散りそうなので、袖にしごき入れた、藤の花を>(同上)

 

◆敷治奈美乃 志氣里波須疑奴 安志比紀乃 夜麻保登等藝須 奈騰可伎奈賀奴

               (久米広縄 巻十九 四二一〇)

 

≪書き下し≫藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山ほととぎすなどか来鳴かぬ

 

(訳)藤の花の盛りはもう過ぎてしまった。なのに、山の時鳥よ、お前はどうしてここへ来て鳴かないのか。(同上)

 

 

 藤と時鳥、季節の組み合わせ、そして組み合わせのずれに惑う心情、しかし、自然に対する優雅なゆとりさえ感じさせる。

 

 

 今回から「吉野方面シリーズ」である。

大淀町HPによると、「今木地区の蔵王権現堂(泉徳寺) を中心とした一帯は、中世から近世にかけての修験道の歴史と、民間信仰のかたちを残している貴重な場所です。

山上の山門には延宝5年(1677年)の棟木が残っています。もと本寺にあった梵鐘の銘には、「権現応(堂?)跡 小角(おづぬ)草創 洪基歳雋再興至維時(持)明暦3年(1653年)本願海雄」とあって、この頃の住職・海雄さんが山門の整備とあわせて権現堂を再興したようです。

山門口に建つ一対の石灯籠には、『天狗山聖大権現』『宝暦6年(1756年)』の銘があります。この石灯籠は、今木の地域の『神仏習合』(神社と寺院が融合した信仰のかたち)の風習を残す貴重なものです。このころ、権現堂のあたりを指して『てんぐ山』という名前がついていたこともわかります。」と解説されている。

 

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仁王門


 

 そこだけが時が止まったような古びた仁王門に向かって左手に万葉歌碑、右手に斉明天皇の歌碑「今城なる小むれが上に雲たにも著(しる)くし立てば何か嘆かむ(書記歌謡一一六)」がある。

 山門の左右に仁王像がにらみを利かしている。山門の上部中央には天狗が団扇を持って坐している。

 

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斉明天皇の歌碑

 

※※※ 吉野万葉歌碑めぐり ※※※

 

 9月24日「吉野万葉歌碑めぐり」に出かけた。

ルートは、蔵王権現堂(泉徳寺)➡鈴ヶ森行者堂➡近鉄吉野駅➡葛上白石神社➡老人福祉センター中荘温泉➡宮滝野外学校➡河川交流センター➡吉野歴史資料館➡桜木神社➡菜摘十二社神社➡喜佐谷公民館➡下市中央公園、である。

 

 吉野町のHPの「吉野宮のイメージと国文学」のところにある「宮滝周辺の万葉歌碑」のマップと資料を参考に上記のルートを計画した。先達のブログや記録写真なども参考にさせてもらった。

 吉野は万葉集の一つのメッカである。コロナ禍でも桜の時期の交通規制等もあり、これまで躊躇してきたが、思い切って行くことにしたのである。あこがれの吉野である。吉野の万葉歌碑、よしと良く見ての気持ちである。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂 大辞林 第三版」

★「吉野町HP」

★「吉野郡大淀町HP」