万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その769)―吉野町千股 葛上白石神社―万葉集 巻一 七五

●歌は、「宇治間山朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに」である。

 

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吉野町千股 葛上白石神社万葉歌碑(長屋王

●歌碑は、吉野町千股 葛上白石神社にある。

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葛上白石神社


 

●歌をみていこう。

 

◆宇治間山 朝風寒之 旅尓師手 衣應借 妹毛有勿久尓

               (長屋王 巻一 七五)

 

≪書き下し≫宇治間山(うぢまやま)朝風寒し旅にして衣貸(ころもかす)すべき妹(いも)もあらなくに

 

(訳)宇治間山、ああ、この山の朝風は寒い。旅先にあって、衣を貸してくれそうな女(ひと)もいないのに。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)          

(注)宇治間山:吉野への途中、奈良県吉野郡吉野町上市東北の山。

(注)衣貸す:共寝をしてくれそうな、の意。

(注)あらなくに:ないことなのに。あるわけではないのに。 ※文末に用いられるときは詠嘆の意を含む。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

この歌は、題詞「大行天皇幸于吉野宮時歌」<大行天皇(さきのすめらみこと)、吉野の宮に幸(いでま)す時の歌>の二首の一首である。

 

 左注は、「右一首長屋王」<右の一首は長屋王(ながやのおほきみ)>である。

 

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歌の解説案内板

 

 長屋王は、「衣貸(ころもかす)すべき妹(いも)もあらなくに」と嘆いているが、山部赤人は旅先で出会った優しい心根の女の歌として次の歌を披露している。こちらもみてみよう。

 

◆秋風乃 寒朝開乎 佐農能岡 将超公尓 衣借益矣

              (山部赤人 巻三 三六一)

 

≪書き下し≫秋風の寒き朝明(あさけ)を佐農(さぬ)の岡(おか)越ゆらむ君に衣(きぬ)貸さましを

 

(訳)秋風の吹くこんな寒い明け方なのに、佐農の岡を今頃は越えているであろうあなた、そのあなたに私の着物をお貸ししておけばよかった。(同上)

(注)佐農の岡:所在未詳

  

 

題詞「大行天皇幸于吉野宮時歌」のもう一首の方もみてみよう。

 

◆見吉野乃 山下風之 寒久尓 為當也今夜毛 我獨宿牟

               (文武天皇 巻一 七四)

 

≪書き下し≫み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜(こよひ)も我(あ)が独り寝む

 

(訳)み吉野の山おろしの風がこんなにも肌寒いのに、ひょっとして今夜も、私はたった独りで寝ることになるのであろうか。(同上)

(注)はたや【将や】副詞:もしかしたら。ひょっとして。▽疑い・危惧(きぐ)の念を強く表す。 ※副詞「はた」に疑問の係助詞「や」が付いて一語化したもの。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

左注は、「右一首或云 天皇御製歌」<右の一首は、或(ある)いは「天皇の御製歌」といふ>である。

 

 

長屋王の歌は万葉集には五首収録されている。

他の四首をみてみよう。

 

◆吾背子我 古家乃里之 明日香庭 乳鳥鳴成 嬬待不得而

               (長屋王 巻三 二六八) 

 

≪書き下し≫我(わ)が背子(せこ)が古家(ふるへ)の里の明日香(あすか)には千鳥鳴くなり妻待ちかねて

 

(訳)あなたの古家(ふるえ)の残る里の、ここ明日香では、千鳥がしきりに鳴いています。我が妻を待ちかねて・・・(同上)

 

左注は、「右今案 従明日香遷藤原宮之後作此歌歟」<右は、今案(かむが)ふるに、明日香より藤原の宮に遷(うつ)りし後に、この歌を作るか>である。

 

 題詞は、「長屋王故郷歌一首」<長屋王が故郷(ふるさと)の歌一首>である。

(注)故郷:694年の藤原遷都後、明日香を訪れての歌らしい。

 

 

次の歌の題詞は、「長屋王駐馬寧楽山作歌二首」<長屋王(ながやのおほきみ)、馬を奈良山に駐(と)めて作る歌二首>である。

 

◆佐保過而 寧樂乃手祭尓 置幣者 妹乎目不離 相見染跡友

               (長屋王 巻三 三〇〇)

 

≪書き下し≫佐保ずぎて奈良の手向けに置く幣へいは妹(いも)を目離(めか)れず相見(あひみ)しめとぞ

 

(訳)佐保を通り過ぎて奈良山の手向けの神に奉る幣は、あの子に絶えず逢わせたまえという願いからなのです。(同上)

(注)佐保:奈良市法蓮町・法連寺町一帯

(注)たむけ【手向け】名詞:神仏に供え物をすること。また、その供え物。旅の無事を祈る場合にいうことが多い。②「手向けの神」の略。③旅立つ人に贈る餞別(せんべつ)。はなむけ。

※参考 本来は、旅人が旅の無事を祈って塞の神に幣を供えることで、旅人は、幣として木綿(ゆう)・布や五色の紙などを細かく切ったものを携行し、神前にまいた。「たむけ」をする場所は、海路にもあったが、多くは陸路の山道を登りつめた所が多かった。中世以降、「たむけ」が「たうげ」へとウ音便化し、「とうげ(峠)」になった。(学研)

 

◆磐金之 凝敷山乎 超不勝而 哭者泣友 色尓将出八方

               (長屋王 巻三 三〇一)

 

≪書き下し≫岩が根のこごしき山を越えかねて音(ね)には泣くとも色に出(い)でめやも

 

(訳)根を張る岩のごつごつした山、そんな山を越えるに越えかねて、つい声に出して泣くことはあっても、あの子を思っていることなど、そぶりに出したりはすまい。(同上)

(注)こごし 形容詞:凝り固まってごつごつしている。(岩が)ごつごつと重なって険しい。 ※上代語。(学研)

(注)めやも 分類連語:…だろうか、いや…ではないなあ。 ※ なりたち⇒推量の助動詞「む」の已然形+反語の係助詞「や」+終助詞「も」 (学研) 

 

 

◆味酒 三輪乃祝之 山照 秋乃黄葉乃 散莫惜毛

                (長屋王 巻八 一五一七)

 

≪書き下し≫味酒(うまさけ)三輪(みわ)の社(やしろ)の山照らす秋の黄葉(もみぢ)の散らまく惜しも

 

(訳)三輪の社(やしろ)の山を照り輝かしている秋のもみじ、そのもみじの散ってしまうのが惜しまれてならぬ(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)うまさけ【味酒・旨酒】分類枕詞:味のよい上等な酒を「神酒(みわ)(=神にささげる酒)」にすることから、「神酒(みわ)」と同音の地名「三輪(みわ)」に、また、「三輪山」のある地名「三室(みむろ)」「三諸(みもろ)」などにかかる。「うまさけ三輪の山」

参考⇒枕詞としては「うまさけの」「うまさけを」の形でも用いる。(学研)

 

長屋王は、「コトバンク 小学館デジタル大辞泉」によると、「[684~729]奈良前期の政治家。天武天皇の孫。高市皇子の子。聖武天皇のもとで左大臣となり、藤原氏を抑えて皇親政治を推進したが、讒言(ざんげん)により、自殺に追い込まれた。」と記されている。

 

飛鳥から吉野宮滝までグーグルマップで検索してみると、南東方向にほぼ一直線、葛上白石神社は、ほぼ中間点となる。万葉びとの行動力には頭が下がる。

こちらは文明の利器をつかって、次なる目的地、吉野町老人福祉センター中荘温泉をめざす。

 

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拝殿

 

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拝殿と社殿

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 一」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「コトバンク 小学館デジタル大辞泉