●歌は、「滝の上の三船の山ゆ秋津辺に来鳴き渡るは誰れ呼子鳥」である。
●歌をみていこう。
題詞は、「幸芳野離宮時歌二首」<吉野(よしの)の離宮(とつみや)に幸(いでま)す時の歌二首>である。
◆瀧上乃 三船山従 秋津邊 来鳴度者 誰喚兒鳥
(作者未詳 巻九 一七一三)
≪書き下し≫滝(たき)の上(うへ)の三船(みふね)の山ゆ秋津辺(あきづへ)に来鳴き渡るは誰(た)れ呼子(よぶこ)鳥(どり)
(訳)滝の上の三船の山から、ここ秋津のあたりに鳴き渡って来るのは、いったい誰を呼ぶ、呼子鳥なのか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)三船の山:奈良県吉野郡吉野町の宮滝付近の山。舟岡山とも。
(注)よぶこどり【呼子鳥・喚子鳥】名詞:鳥の名。人を呼ぶような声で鳴く鳥。かっこうの別名か。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
もう一首の方もみてみよう。
◆落多藝知 流水之 磐觸 与杼賣類与杼尓 月影所見
(作者未詳 巻九 一七一四)
≪書き下し≫落ちたぎち流るる水の岩に触(ふ)れ淀める淀に月の影見ゆ
(訳)落ちたぎって逆巻き流れる水が岩に当たって堰き止められ、淀んでいる淀みに、月の影がくっきり映っている。(同上)
どちらも、動きの中の静寂な広がりを切り取って絵画にしたためたような歌である。作者未詳とあるが、歌垣等の歌謡から生まれた口誦歌と明らかに異なっている、
呼子鳥は万葉集では、九首で詠われている。他の八首もみてみよう。
◆大和(やまと)には鳴きてか来(く)らむ呼子鳥象(さき)の中山呼びぞ越ゆなる
(高市黒人 巻一 七〇)
(訳)故郷大和には、今はもう来て鳴いていることであろうか。ここ吉野では、呼子鳥が象の中山を、妻を呼び立てながら飛び越して行く。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
◆神(かむ)なびの石瀬(いはせ)の社(もり)の呼子鳥いたくな鳴きそ我(あ)が恋まさる
(鏡王女 巻八 一四一九)
(訳)神なびの石瀬の森の呼子鳥よ、そんなにひどくは鳴かないでおくれ。私のせつない思いがつのるばかりだ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
◆世の常に聞けば苦しき呼子鳥声なつかしき時にはなりぬ
(大伴坂上郎女 巻八 一四四七)
(訳)ふだんなら聞くと身につまされてせつなくなってくる呼子鳥、そんな呼子鳥の声が妙に懐かしく思われる時期とはなった。(同上)
◆我(わ)が背子(せこ)を莫越(なこし)の山の呼子鳥君呼び返(かへ)せ夜(よ)の更(ふ)けぬとに
(作者未詳 巻十 一八二二)
(訳)我が背子を越えさせないでと願う、その莫越(なこし)の山の呼子鳥よ、我が君を呼び戻しておくれ、夜の更けないうちに。(同上)
(注)わがせこを【我が背子を】:[枕]我が夫を我が待つの意から、「我が待つ」と同音を含む地名「あが松原」にかかる。一説に「我が背子を我が」までを、松を導く序詞とする。(weblio辞書 デジタル大辞泉) 莫越(なこし)の山(所在未詳)も枕詞。
◆春日(かすが)なる羽(は)がひの山ゆ佐保(さほ)の内へ鳴き行くなるは誰(た)れ呼子鳥
(作者未詳 巻十 一八二七)
(訳)春日の羽がいの山を通って佐保の里の内へ鳴いていくのは、いったい誰を呼ぶ呼子鳥なのか。(同上)
(注)羽買之山・羽易之山(読み)はがいのやま:[一] 奈良市の春日山の北側に連なる若草山のこととも、また西側に連なる三笠山、南側に連なる高円山、それに若草山を加えた三山のことともいわれるなど、諸説がある。※万葉(8C後)一〇・一八二七「春日なる羽買之山(はがひのやま)ゆ佐保の内へ鳴き行くなるは誰れ呼子鳥」
[二] 奈良県桜井市穴師にある巻向山につづく龍王山か。※万葉(8C後)二・二一〇「大鳥の羽易乃山(はかひノやま)に吾が恋ふる妹はいますと人の言へば」(コトバンク 精選版 日本国語大辞典)
◆答へぬにな呼び響(とよ)めそ呼子鳥佐保の山辺(やまへ)を上(のぼ)り下(くだ)りに
(作者未詳 巻十 一八二八)
(訳)誰も答えもしないのに、そんなに呼び立てないでおくれ。呼子鳥よ、佐保の山辺を高く飛んだり低く飛んだりして。(同上)
◆朝霧(あさぎり)にしののに濡れて呼子鳥三船みふね)の山ゆ鳴き渡る見ゆ
(作者未詳 巻十 一八三一)
(訳)朝霧にぐっしょり濡れて、呼子鳥が、今しも三船の山を鳴き渡っている。(同上)
(注)しののに 副詞:しっとりと。ぐっしょりと。(学研)
◆朝霧(あさぎり)の八重山(やへやま)越えて呼子鳥鳴(な)きや汝(な)が来る宿もあらなくに
(訳)立ちこめる朝霧のように幾重にも重なる山を越えて、呼子鳥よ、鳴きながらお前はやって来たのか。宿るべき所もないのに(同上)
(注)あさぎりの【朝霧の】分類枕詞:朝霧が深くたちこめることから「思ひまどふ」「乱る」「おほ(=おぼろなようす)」などにかかる。(学研)
呼子鳥とは、歌の題材にもってこいの名前の鳥である。
葛上白石神社から老人福祉センターまでは約10分のドライブである。国道169号線を吉野川を右手に見ながら走る。
大きな看板が見えて来る。右折し道路から下る感じで駐車場へ。早かったせいか駐車場入り口にはチェーンがかかっていた。少し広めのスペースに車を止め、歌碑を探そうと歩いて建物を目指す。
暫く行くと、後ろから声を掛けられる。てっきり叱られるのかと思って車の方に戻る。朝の挨拶と万葉歌碑を見に来ました、と告げる。
すると、チェーンを外しながら、案内しますとおっしゃっていただく。
老人センター入口の吉野川側に歌碑はあった。
その方は、玄関入口の扉を開け、どうぞ休んで行ってくださいと親切に案内していただく。丁度トイレも探していたところだったので甘えることに。
老人福祉センターの概要も説明いただく。建屋も建て替え、吉野町からの委託で運営をスタートさせた矢先のコロナ騒動で、今は吉野町民の利用に限定しているとか苦労話もお伺いする。
館内を案内していただく。風呂場も浴場まで入らせていただき、吉野川を眺めながら楽しめますと丁寧にご説明いただく。さらに大広間、クラブ活動スペース、食堂まで。
なんだか申し訳ない気分になる。今はコロナ問題で吉野町民に限られているが、落ち着いたら是非とパンフレットもいただく。
コロナ禍であるが、万葉歌碑めぐりで出会った方たちはどなたも親切で、こころ優しく対応していただいている。有難いことである。
駐車場を出るとき一旦車をとめ、建物に向かって頭を下げた。
次の目的地は、吉野歴史館である。近くまで行ったが、左折すべきところを通り過ぎてしまったので、次の信号を右折してからUターンするところを探そうと進むと前方の橋が工事中である。車を左端によせUターンしようと、きょろきょろ 辺りを見回す。何と右手が吉野宮滝野外学校であり左手が河川交流センターであった。驚きである。当然予定を変更し歌碑を探すことに。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」