万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その778)―吉野町喜佐谷 喜佐谷公民館駐車場―巻六 九二二

●歌は、「皆人の 命もわれも み吉野の滝の常磐の 常ならぬかも」である。

 

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吉野町喜佐谷 喜佐谷公民館駐車場万葉歌碑(笠金村)

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歌碑裏面歌の解説


●歌碑は、吉野町喜佐谷 喜佐谷公民館駐車場にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆人皆乃 壽毛吾母 三吉野乃 多吉能床磐乃 常有沼鴨

               (笠金村 巻六 九二二)

 

≪書き下し≫皆人(みなひと)の命(いのち)も我(わ)がもみ吉野の滝の常磐(ときは)の常(つね)ならぬかも

 

(訳)皆々方の命も、われらの命も、ここみ吉野の滝の常磐(ときわ)のように永久不変であってくれないものか。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)ときは【常磐・常盤】名詞:永遠に変わることのない(神秘な)岩。 ※参考「とこいは」の変化した語。巨大な岩のもつ神秘性に対する信仰から、永遠に不変である意を生じたもの。(Weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)ぬかも分類連語:〔多く「…も…ぬかも」の形で〕…てほしいなあ。…てくれないかなあ。▽他に対する願望を表す。 ※上代語。 なりたち⇒打消の助動詞「ず」の連体形+疑問の係助詞「か」+詠嘆の終助詞「も」(学研)

 

 

 九二〇から九二二歌の歌群の題詞は、「神龜二年乙丑夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首幷短歌」<神亀(じんき)二年乙丑(きのとうし)の夏の五月に、吉野の離宮(とつみや)に幸(いでま)す時に、笠朝臣金村が作る歌一首并せて短歌>である。

 

 長歌ともう一首の短歌もみてみよう。

 

◆足引之 御山毛清 落多藝都 芳野河之 河瀬乃 浄乎見者 上邊者 千鳥數鳴 下邊者 河津都麻喚 百礒城乃 大宮人毛 越乞尓 思自仁思有者 毎見 文丹乏 玉葛 絶事無 萬代尓 如是霜願跡 天地之 神乎曽禱 恐有等毛

                               (笠金村 巻六 九二〇)

 

≪書き下し≫あしひきの み山もさやに 落ちたぎつ 吉野の川の 川の瀬の 清きを見れば 上辺(かみへ)には 千鳥しば鳴く 下辺(しもへ)には かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人(おほみやひと)も をちこちに 繁(しじ)にしあれば 見るごとに あやにともしみ 玉葛(たまかづら) 絶ゆることなく 万代(よろづよ)に かくしもがもと 天地(あまつち)の 神をぞ祈(いの)る 畏(かしこ)くあれども

 

(訳)在り巡るみ山もすがすがしく渦巻き流れる吉野の川、この川の瀬の清らかなありさまを見ると、上流では千鳥がしきりに鳴くし、下流では河鹿(かじか)が妻を呼んで盛んに鳴く。その上、大君にお仕えする大宮人も、あちこちいっぱい往き来しているので、ここみ吉野のさまを見るたびにただむしょうにすばらしく思われて、玉葛(たまかづら)のように絶えることなく、万代(よろずよ)までもこのようにあってほしいものだと、天地の神々に切にお祈りする。恐れ多いことではあるけれども。(同上)

(注)をちこち【彼方此方・遠近】名詞:あちらこちら。(学研)

(注)しじに【繁に】副詞:数多く。ぎっしりと。びっしりと。(学研)

(注)あやに【奇に】副詞:①なんとも不思議に。言い表しようがなく。②むやみに。ひどく。(学研)

(注)ともしぶ 動詞:羨うらやましく思う。<「ともしむ」に同じ。(weblio辞書 デジタル大辞泉

(注)たまかづら【玉葛・玉蔓】分類枕詞:つる草のつるが、切れずに長く延びることから、「遠長く」「絶えず」「絶ゆ」に、また、つる草の花・実から、「花」「実」などにかかる。(学研)

(注)かくしもがも【斯くしもがも】分類連語:こういうふうであってほしい。こうでありたい。 ⇒なりたち 副詞「かく」+副助詞「し」+終助詞「もがも」(学研)

 

◆萬代 見友将飽八 三芳野乃 多藝都河内乃 大宮所

               (笠金村 巻六 九二一)

 

≪書き下し≫万代(よろづよ)に見(み)とも飽(あ)かめやみ吉野のたぎつ河内(かふち)の大宮(おほみや)ところ

 

(訳)万代ののちまでに見つづけても飽きるなどということがあろうか。み吉野の激流渦巻く河内の、この大宮所は。(同上)

 

 九二一歌にある「河内」については、「万葉神事語事典」(國學院大學デジタルミュージアム)に詳しく書かれているので、一部引用させていただく。

「河内」とは、「名詞。川を中心とする山に囲まれた一帯の地。カハ=ウチの約。(中略)『吉野川激つ河内』(1-38)、『み吉野の清き河内』(6-908)、『み吉野の瀧の河内』(6-910)、『み吉野の激つ河内』(6-921)などとうたわれる。人麻呂にはじまる吉野讃歌では山川を対比してその美をうたうことが伝統となり、『山川の清き河内』(1-36)が吉野の聖性を象徴する表現として定着した。吉野讃歌が山川対比構成をとることについて『釈注』は<聖地には、国土形成、五穀豊穣の二大要素である『土』(山)と『水』(川)とが相ともに充ち足りているのでなければならぬという思想がはたらいている>と説く。中国の山川望祀(『礼記』)の制からの影響も考慮されよう。『河内』の清浄さは形容詞『清し』『さやけし』のほか、『激つ』(奔流する、渦巻き流れる)の語によって強調される。」

 

 吉野の万葉歌は、壬申の乱という時代の激流と、吉野の当地の情景、時間軸と空間軸を合わせて総合的に勘案し味あう必要性を痛感させられた。もっともっと掘り下げて行かないと歌の真髄には到達しえないことを思い知らされたのであった。

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉神事語事典」(國學院大學デジタルミュージアム

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉