万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その790,791)―吹田市垂水町 垂水神社―万葉集 巻八 一四一八、巻七 一一四二 

―その790―

●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」である。

 

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吹田市垂水町 垂水神社万葉歌碑(志貴皇子


●歌碑は、吹田市垂水町 垂水神社にある。

 

●歌をみていこう。

 この歌は、これまでも何回か紹介している。ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その28改)」では、歌と共に、志貴皇子の田原西陵前の歌碑や田原西陵の写真も紹介している。

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◆石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨

               (志貴皇子 巻八 一四一八)

 

≪書き下し≫石走(いはばし)る垂水(たるみ)の上(うへ)のさわらびの萌(も)え出(い)づる春になりにけるかも

 

(訳)岩にぶつかって水しぶきをあげる滝のほとりのさわらびが、むくむくと芽を出す春になった、ああ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

注)いはばしる【石走る・岩走る】分類枕詞:動詞「いはばしる」の意から「滝」「垂水(たるみ)」「近江(淡海)(あふみ)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)たるみ【垂水】名詞:滝。(学研)

 

この歌は、万葉集巻八の巻頭歌である。

 題詞は、「志貴皇子懽御歌一首」<志貴皇子(しきのみこ)の懽(よろこび)の御歌一首>とある。

 

 奈良県HP「はじめての萬葉集 vol.36」に、この歌についての解説が詳しく書かれているので引用させていただく。

「寒い冬が終わり、日差しが暖かく感じられるようになると、人間だけでなく動植物たちもどこかほっとしているような気がします。冬眠から目覚めたり、新芽が出たりすることから、そう感じるのかもしれません。

 この歌は、そんな春の訪れを祝福するような歌です。滝のほとりでワラビを見つけ、ああ、もう春になったんだなあ、と実感し感動したようです。

 ワラビはシダ植物の一種で、まだ葉が開く前の若芽を摘んで、春の山菜として食用にします。わらびもちも、もともとはワラビの根から採ったデンプンで作ったことからその名が付きました。ただし、ワラビのデンプンは精製に手間がかかり原料も少ないことから、現代では本ワラビ粉を使ったわらびもちはなかなか味わえない高級品といえます。

 この歌の題には『志貴皇子の懽(よろこ)びの御歌』とあります。『懽』という文字は、平安時代の辞書である『類聚名義抄(るいじゅうみょうぎしょう)』にヨロコフとよまれていて、春の到来を喜ぶ歌であったとみられます。歌を詠んだ時の状況はよく分かっていませんが、新春を祝う宴席で詠まれたのではないかともいわれています。

 志貴皇子は、天智天皇の皇子の一人で、政治的な面では目立った活躍はしませんでしたが、そのぶん歌の名手として高く評価されていたといわれます。七七〇年に六男の白壁王(しらかべのおおきみ)が天皇光仁(こうにん)天皇)になったことから、死後五十年以上たって※春日宮御宇天皇と追尊されました。

 この歌が巻八の冒頭に位置しているのは、『万葉集』が編さんされた奈良時代から見て古い時代の春の名歌だからというだけでなく、そんな時代背景も影響を及ぼしていたのかもしれません。

※『かすがのみやにあめのしたしらしめししすめらみこと』と読みます (本文 万葉文化館 井上さやか)」

 

 中西 進氏は、その著「万葉の心(毎日新聞社)」の中で、志貴皇子の歌に関して「清澄で高貴な歌」と評されこの歌については、「とりわけ清冽な一首」と書かれている。

 

 淡々とした歌の文言であるが、その内なるエネルギーはとてつもないものを秘めている。

 

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垂水神社社殿

 垂水神社は、千里丘陵南端に位置し、参道石段を登った崖の上に社殿がある。社殿に向かって左手方向に「垂水の滝」がある。残念ながら「滝」といえる代物ではない。「垂水」の表現の方がしっくりくる感じである。「垂水の滝」の側に歌碑は立っている。

 

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「垂水の滝」の案内

 

 

―その791―

●歌は、「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(志貴皇子

「命をし幸くよけむと石走る垂水の水をむすびて飲みつ」(作者未詳)である。

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吹田市垂水町 垂水神社由緒の碑中の万葉歌(志貴皇子、作者未詳)


 

●歌は、吹田市垂水町 垂水神社由緒の碑でその文中にある。

 

●歌をみていこう

志貴皇子の歌は、前稿と同じであるのでここでは省略する。

 

作者未詳歌をみていこう。

この歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その558)」で紹介している。

 

◆命 幸久吉 石流 垂水ゝ乎 結飲都

             (作者未詳 巻七 一一四二)

 

≪書き下し≫命(いのち)をし幸(さき)くよけむと石走(いはばし)る垂水(たるみ)の水を結びて飲みつ

 

(訳)我が命がすこやかで無事であれかしと、激しく飛び散る滝の水、その水を両手ですくってぐいぐいと飲んだよ、私は。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

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垂水神社名碑

 駐車場から社務所を回り込むと参道石段がある。その手前の鳥居の側に垂水神社の由緒が書かれた石碑がある。この由緒文のなかにこの二首が掲載されている。

 

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垂水神社参道石段

 万葉集で「垂水」を詠んだ歌は三首収録されているが、もう一首は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その557)で紹介している。

神戸市垂水区平磯 平磯緑地には、この三首それぞれの歌碑があり、556から558で掲載している。 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉の心」 中西 進 著 (毎日新聞社

★「はじめての萬葉集」 (奈良県HP)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」