●歌は、「住吉の波豆麻の君が馬乗衣さひづらふ漢女を据ゑて縫へる衣ぞ」
●歌をみていこう。
◆住吉 波豆麻公之 馬乗衣 雑豆臈 漢女乎座而 縫衣叙
(作者未詳 巻七 一二七三)
≪書き下し≫住吉(すみのえ)の波豆麻(はづま)の君が馬乗衣(うまのりころも)さひづらふ漢女(あやめ)を据(す)ゑて縫(ぬ)へる衣(ころも)ぞ
(訳)住吉の波豆麻(はずま)の君の馬乗りの服。ああこれは、わざわざ漢女(あやめ)を雇って縫わせた服なんだな。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)波豆麻(はづま):地名?
(注)さひづらふ【囀らふ】分類枕詞:外国人の言葉が鳥のさえずる声に似て聞こえるところから「漢(あや)(=日本に渡来した漢民族)」にかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
(注)漢女(あやめ):古代、大陸からの渡来人のうち、機織り・裁縫などに従事した女性。(goo辞書 小学館デジタル大辞泉)
当時の粋な若者を囃した歌である。
◇◇◇越中万葉歌碑巡り◇◇◇
万葉歌碑を巡り、ブログを書いていると、越中万葉、大宰府万葉に心が傾く。何とか機会をみて行って見たいという気持ちが強くなってくる。
コロナ禍の閉塞感漂う中ではあるが、思い切ってゴーツートラベルを利用して越中万葉に触れてみようと11月4日から6日、2泊3日で行ってきた。
高岡市伏木気象資料館が建っている「越中国守館跡」、高岡市万葉歴史館、1858年に建てられたという「つまま公園の万葉歌碑(巻十九 四一五九)」は、はずせない気持ちで計画をたてた。実際に行ってきた先をあげてみると次のようになった。
11月4日
阿尾榊葉乎布神社➡八幡神社➡日名田「臼が峰往来」入口➡上庄川(流慶橋)左岸排水機構➡湊川中の橋➡十二町潟水郷公園➡日宮神社➡稲荷社(矢崎の大フジ前)➡布勢神社➡泉の社公園➡田子浦藤波神社
11月5日
高岡市伏木気象資料館(越中国守館跡)➡勝興寺寺内町ポケットパーク➡勝興寺➡寺井の跡➡高岡市万葉歴史館➡「万葉歴史館口」交差点➡「伏木一宮」バス停➡「氣多神社口」交差点➡伏木中学校正門➡「伏木国府」交差点➡氣多神社➡旧二上山郷土資料館➡二上山大伴家持像➡二上まなび交流館➡高岡いわせの郵便局➡藪波神社
11月6日
新湊小学校➡放生津八幡宮➡大楽寺➡奈児の浦大橋➡つまま公園➡道の駅「雨晴」
全走行距離919km、随分欲張ったものである。
万葉歴史館では、資料はもちろん、説明もしていただき、中庭にも入れていただいた。二上まなび交流館は3月で閉館となり、館内の整理などバタバタされている中、お願いしたところ快く中庭に案内していただいた。感激の連続であった。
後日、それぞれの歌碑をブログで順次紹介していく予定にしている。
ここでは、巻十九 四一五九歌(つまま公園の万葉歌碑)をみていこう。
題詞は、「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠幷興中所作之歌
過澁谿埼見巌上樹歌一首 樹名都萬麻」
<季春三月の九日に、出挙(すいこ)の政(まつりごと)に擬(あた)りて、古江(ふるえ)の村に行く道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しよくもく)する詠(うた)、幷(あは)せて興(きよ)の中(うち)に作る歌
澁谿(しぶたに)の崎(さき)を過ぎて、巌(いはほ)の上(うへ)の樹き)を見る歌一首 樹の名はつまま>である。
(注)題詞前段の「季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠幷興中所作之歌」は、この四一五九歌から四一六五歌の七首に対する総題となっている。
(注)すいこ【出▽挙】:古代、農民へ稲の種もみや金銭・財物を貸し付け、利息とともに返還させた制度。国が貸し付ける公出挙(くすいこ)と、私人が貸し付ける私出挙(しすいこ)とがある。すいきょ。(weblio辞書 デジタル大辞泉)
(注)物花:美しい風物
◆礒上之 都萬麻乎見者 根乎延而 年深有之 神佐備尓家里
(大伴家持 巻十九 四一五九)
≪書き下し≫礒(いそ)の上(うへ)のつままを見れば根を延(は)へて年深(ふか)く神(かむ)さびにけり
(訳)海辺の岩の上に立つつままを見ると、根をがっちり張って、見るからに年を重ねている。何という神々しさであることか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
「つまま」は、マツ、タブノキ、イヌツゲなど諸説がある。現在は、海岸地に自生し、常緑で大木ともなるタブノキがそれとみられている。タブノキは越中・能登の地に多い。(「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域事務組合)