万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その794-16)―住吉区住吉 住吉大社反り橋西詰め北―万葉集 巻七 一二七四 

●歌は、「住吉の出見の浜の柴刈りそね娘子らが赤裳の裾の濡れて行かむ見む」

 

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住吉大社反り橋西詰め北万葉歌碑<角柱碑正面下部下段左から二番目>(作者未詳)

●歌碑は、住吉区住吉 住吉大社反り橋西詰め北にある。

 

●歌をみていこう。

 

◆住吉 出見濱 柴莫苅曽尼 未通女等 赤裳下 閨将往見

               (作者未詳 巻七 一二七四)

 

≪書き下し≫住吉(すみのえ)の出見(いでみ)の浜の柴(しば)な刈りそね 娘子(をとめ)らが赤裳(あかも)の裾(すそ)の濡(ぬ)れて行かむ見む

 

(訳)住吉の出見の浜の柴を刈らないでおくれ、娘子たちの赤裳の裾が濡れたまま行き来するのをそっとみたいからさ。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)出見の浜:住吉大社西方。当時は海であった。

(注)そ 終助詞:《接続》動詞および助動詞「る」「らる」「す」「さす」「しむ」の連用形に付く。ただし、カ変・サ変動詞には未然形に付く。

①〔穏やかな禁止〕(どうか)…してくれるな。しないでくれ。▽副詞「な」と呼応した「な…そ」の形で。②〔禁止〕…しないでくれ。▽中古末ごろから副詞「な」を伴わず、「…そ」の形で。 ※参考(1)禁止の終助詞「な」を用いた禁止表現よりも、禁止の副詞「な」と呼応した「な…そ」の方がやわらかく穏やかなニュアンスがある。(2)上代では「な…そね」という形も併存したが、中古では「な…そ」が多用される。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

この歌に関して、筑摩書房の教科書サイト「ちくまの教科書」のコンテンツ「万葉樵話―万葉こぼれ話(多田一臣氏)」の「第六回『旋頭歌はおもしろい』に楽しく書かれているので抜粋させていただく。「『住吉の出見の浜』は、大阪市住吉大社の西の浜辺というが、よくわからない。『出見の浜』には、あるいは『出て見る』という意が含まれているのかもしれない。ここでは、前句で『柴を刈らないでくれ』と要求している。これも状況の提示になる。後句は、その理由を、『娘子おとめたちが赤裳(あかも)の裾を濡らして通るのを、柴に隠れてこっそり見ようと思うからだ。』と説明している。『赤裳』は、もともと官女の装いであり、住吉は行幸の地とされたから、『娘子ら』も浜遊びをする官女の像が意識されているのだろう。潮に濡れた赤裳の裾を下半身にまとわりつかせている光景は、肌が透けて見えるから、すこぶる官能的であるとともに、美女の理想的な姿とされた。なかなかエロティックであるが、その陰に隠れてのぞき見するから柴を刈らないでくれというのは、ずいぶんと卑俗な理由づけになる。前句の禁止の理由を、後句で説明しているのだが、その落差がおもしろい。ここにも聴き手の意表を突く仕掛けがある。(後略)」

 

 「赤裳」を詠んでいる高橋虫麻呂の歌をみてみよう。こちらも「赤裳」に惹かれ「欲我妹」という感情がむらむらと湧き起る歌である。赤色は様々な欲求を刺激する色と言われるが、こればっかりは、時間軸は関係なさそうである。

 この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その453)」で紹介している

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

 

◆級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳數十引 山藍用 摺衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久

                 (高橋虫麻呂 巻九 一七四二)

 

≪書き下し≫しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ丹(に)塗(ぬ)りの 大橋の上(うへ)ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾引(すそび)き 山藍(やまあゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の ひとりか寝(ぬ)らむ 問(と)はまくの 欲(ほ)しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

 

(訳)ここ片足羽川のさ丹塗りの大橋、この橋の上を、紅に染めた美しい裳裾を長く引いて、山藍染めの薄青い着物を着てただ一人渡って行かれる子、あの子は若々しい夫がいる身なのか、それとも、橿の実のように独り夜を過ごす身なのか。妻どいに行きたいかわいい子だけども、どこのお人なのかその家がわからない。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

 

 「さ丹塗り」、「紅」、「赤裳」と煽情的な「赤色」の語がつかわれ、「ただひとり い渡らす子」、「ひとりか寝(ぬ)らむ」と情景から女性に関する想像をはたらかせている。

 理性的、冷静観できれいな色彩感あふれる情景を詠っているが、潜む煽情的、欲情観が調和している一見危うい歌でもある。

 

 もう一首みてみよう。この歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その742)」で淡々と紹介している。

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tom101010.hatenablog.com

 

◆黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裾須蘇延 徃者誰妻

               (作者未詳 巻九 一六七二)

 

≪書き下し≫黒牛潟(くろうしがた)潮干(しほひ)の浦を紅(くれない)の玉裳(たまも)裾引(すそび)き行くは誰が妻

 

(訳)黒牛潟の潮の引いた浦辺、この浦辺を、紅染(べにぞ)めのあでやかな裳裾を引きながら行く人、あれはいったい誰の妻なのか。(同上)

(注)黒牛潟:海南市黒江海岸

 

 万葉集万葉集らしさというところか。

 

 

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 三」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「万葉樵話―万葉こぼれ話(多田一臣氏)の第六回『旋頭歌はおもしろい』」 (筑摩書房の教科書サイト「ちくまの教科書」)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」