万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その801)―倉敷市児島駅前 児島駅西口広場―万葉集 巻六 九六六 

●歌は、「大和道は雲隠りたりしかれども我が振る袖をなめしと思ふな」(娘子)と

「大和道の吉備の児島を過ぎて行かば筑紫の児島思おえむかも」(大伴旅人)である。

 

f:id:tom101010:20201118195742j:plain

児島駅西口広場万葉歌碑(娘子ならびに大伴旅人

●歌碑は、倉敷市児島駅前 児島駅西口広場にある。

 

 ●歌をみていこう。

 

◆倭道者 雲隠有 雖然 余振袖乎 無礼登母布奈

               (娘子 巻六 九六六)

 

≪書き下し≫大和道(やまとぢ)は雲隠(くもがく)りたりしかれども我(わ)が振る袖をなめしと思(も)ふな

 

(訳)大和への道は雲の彼方にはるばる続いております。しかしあなたがその向こう遠くへ行ってしまわれるのにこらえきれずに振ってしまう袖、この私の振る舞いを、どうか無礼だとお思い下さいますな。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)

(注)なめし 形容詞:無礼だ。無作法だ。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 

◆日本道乃 吉備乃兒嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香聞

               (大伴旅人 巻六 九六七)

 

≪書き下し≫大和道(やまとぢ)の吉備(きび)の児島(こしま)を過ぎに行かば筑紫(つくし)の児島(こしま)思ほえむかも

 

(訳)大和へ行く道筋の、吉備の児島を通り過ぎる時には、筑紫娘子(をとめ)の児島のことが思われて仕方がないだろうな。(同上)

(注)吉備の児島:岡山市南方の海上にあった島。

 

 

f:id:tom101010:20201118200330j:plain

歌碑説明案内板

 九六五ならびに九六六歌の題詞は、「冬十二月大宰帥大伴卿上京時娘子作歌二首」<冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京(みやこ)に上(のぼ)る時に、娘子(をとめ)が作る歌二首>である。

 九六五歌もみてみよう。

 

◆凡有者 左毛右毛将為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞

              (娘子 巻六 九六五)

 

≪書き下し≫おほならばかもかもせむを畏(かしこ)みと振りたき袖(そで)を忍(しの)びてあるかも

 

(訳)あなた様が並のお方であられたなら、別れを惜しんでああもこうも思いのままに致しましょうに、恐れ多くて、振りたい袖も振らにでこらえております。

(注)おほなり【凡なり】形容動詞:①いい加減だ。おろそかだ。②ひととおりだ。平凡だ。(学研)

(注)かもかも>かもかくも 副詞:ああもこうも。どのようにも。とにもかくにも。(学研)

 

 左注は、「右大宰帥大伴卿兼任大納言向京上道 此日馬駐水城顧望府家 于時送卿府吏之中有遊行女婦 其字曰兒嶋也 於是娘子傷此易別嘆彼難會 拭涕自吟振袖之歌」<右は、大宰帥大伴卿、大納言(だいなごん)を兼任し、京に向かひて道に上(のぼ)る。この日に、馬を水城(みづき)に駐(とど)めて、府家(ふか)を顧(かへり)み望(のぞ)む。時に、卿を送る府吏(ふり)の中に、遊行女婦(うかれめ)あり、その字(あざな)を児島(こしま)といふ。ここに、娘子(をとめ)、この別れの易(やす)きことを傷(いた)み、その会(あ)ひの難(かた)きことを嘆き、涕(なみた)を拭(のご)ひて自(みづか)ら袖を振る歌を吟(うた)ふ>である。

(注)水城:堤を築き水を湛えた砦。大宰府市水城にその一部が残る。

(注)府家:大宰府

(注)ゆうこうじょふ〔イウカウヂヨフ〕【遊行女婦】:各地をめぐり歩き、歌舞音曲で宴席をにぎわした遊女。うかれめ。(weblio辞書 デジタル大辞泉) ここでは貴人に侍した教養のある遊女。

 

 

 九六七ならびに九六八歌の題詞は、「大納言大伴卿和歌二首」<大納言大伴卿が和(こた)ふる歌二首>である

 九六八歌もみてみよう。

 

◆大夫跡 念在吾哉 水莖之 水城之上尓 泣将拭

               (大伴旅人 巻六 九六八)

 

≪書き下し≫ますらをと思へる我(わ)れや水茎(みづくき)の水城(みづき)の上(うへ)に涙(なみた)拭(のご)はむ

 

(訳)ますらおだと思っているこの私たるものが、別れに堪えかねて水城の上で涙を拭(ぬぐ)ったりしてよいものか。(同上)

(注)みづくきの【水茎の】分類枕詞:①同音の繰り返しから「水城(みづき)」にかかる。②「岡(をか)」にかかる。かかる理由は未詳。 ※参考 中古以後、「みづくき」を筆の意にとり、「水茎の跡」で筆跡の意としたところから、「跡」「流れ」「行方も知らず」などにかかる枕詞(まくらことば)のようにも用いられた。(学研)

 

 娘子の九六六歌の初句「大和道」を承けて、旅人は九六七歌の初句に「大和道」とし、娘子の字「児島」から、「吉備の児島」と詠っている。

 娘子の九六五歌で「並のお方でない」とされたのを承け、旅人は九六八歌で「ますらをと思へる我(わ)れや」と詠っているのである。

 

 「大納言」と「卿を送る府吏(ふり)の中の遊行女婦」の送別贈答歌を万葉集は収録している。ある意味、身分とか等に縛られず、歌を歌としてみる姿勢が貫かれているところにも万葉集万葉集たる所以が見えてくるのである。

 

 九六七歌で詠われた「吉備の児島」の児島は、島であり、近世に干拓され、本州と陸続きになったそうである。現在、児島地域は「国産ジーンズ発祥の地」として名をはせている。 

f:id:tom101010:20201118200017j:plain

西広場ポケットパーク

 万葉歌碑は、児島駅の東西連絡通路の西口側の先、左手のポケットパークにある。西口側通路はアーケードになっており、国産ジーンズ発祥の地と言われるだけあって、たくさんのジーンズがぶら下げられている。それだけで衣服モニュメントになっている、

 

f:id:tom101010:20201118200137j:plain

ジーンズのファッションモニュメント

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫)

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 デジタル大辞泉