―その805
●歌は、「縄の浦に塩焼く煙夕されば行き過ぎかねて山になびく」である。
●歌をみていこう。
◆縄乃浦尓 塩焼火氣 夕去者 行過不得而 山尓棚引
(日置少老 巻三 三五四)
≪書き下し≫縄(なは)の浦に塩(しお)焼く煙(けぶり)夕されば行き過ぎかねて山になびく
(訳)縄の浦で塩を焼いている煙、その煙は、夕なぎの頃になると、流れもあえず山にまつわりついてたなびいている。(伊藤 博 著 「万葉集 一」 角川ソフィア文庫より)
(注)火氣:「ほのけ」とも読む。
題詞は、「日置少老歌一首」<日置少老(へきのをおゆ)が歌一首>である。
(注)日置少老(へきのをおゆ):伝未詳
歌碑の説明案内プレートに「都も遠く、播磨の国も過ぎて、いよいよ西辺の海に入る旅愁を、山にたゆとう塩焼く煙に託した歌」とある。
カーナビの案内に従って川沿いを進むが、公園らしい入口が見当たらない。「相生市立図書館・資料館への方向指示案内板」があるが、裏通りの細い上り道で公園らしくない。しかし、ここしかなさそうと上って行く。しばらく行くと突然公園らしく開け、図書館の前に出て来る。歴史民俗資料館が目の前に見え、左手の小高い丘の上に歌碑が見えた。裏道からアクセスしたようである。歌碑が確認できたので目的は果たせた。
―その806―
●歌は、「玉藻刈る唐荷の島に島廻する鵜にしもあれや家思はずあらむ」である。
●歌をみていこう。
◆玉藻苅 辛荷乃嶋尓 嶋廻為流 水烏二四毛有哉 家不念有六
(山部赤人 巻六 九四三)
≪書き下し≫玉藻(たまも)刈る唐荷(からに)の島に島廻(しまみ)する鵜(う)にしもあれや家(いへ)思はずあらむ
(訳)この私は、玉藻を刈る唐荷の島で餌を求めて磯をめぐっている鵜ででもあるというのか、鵜ではないのだから、どうして家のことを思わずにいられよう。(伊藤 博 著 「万葉集 二」 角川ソフィア文庫より)
(注)しもあれ 分類連語:全く…もあるというのに。 ※なりたち:副助詞「しも」+ラ変動詞「あり」の已然形(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典
(注)や 係助詞《接続》種々の語に付く。活用語には連用形・連体形(上代には已然形にも)に付く。文末に用いられる場合は活用語の終止形・已然形に付く。〔反語〕…(だろう)か、いや、…ない。(学研)
九四二から九四五歌の題詞は、「過辛荷嶋時山部宿祢赤人作歌一首并短歌」<唐荷(からに)の島を過し時に、山部宿禰赤人が作る歌一首并せて短歌>である。
この歌群の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その612)で紹介している。
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藻振鼻は、国道250号線から約1.5kmの海に突き出た文字通り鼻先にある。車数台を停められそうなスペースがあり。藻振観音堂跡の碑や東屋も建っている。そのならびに歌碑が建っている。足元は崖っぷちであり、波打ち際近くに下りて行って、磯釣りを楽しんでいる人がいる。検索すると釣り情報に関した記事も散見された。
―その807―
●歌は、「稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ」である。
●歌碑は、加古川市木村宮本 泊神社にある。
●歌をみてみよう。
二四九から二五六歌の題詞は、「柿本朝臣人麿羈旅歌八首」<柿本朝臣人麻呂が羈旅(きりょ)の歌八首>である。この歌群の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その561)」で紹介している。
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◆稲日野毛 去過勝尓 思有者 心戀敷 可古能嶋所見 一云湖見
(柿本人麻呂 巻三 二五三)
≪書き下し≫稲日野(いなびの)も行き過ぎかてに思へれば心恋(こころこひ)しき加古(かこ)の島そ見ゆ 一には「水門(みと)見ゆ」といふ
(訳)印南野(えなみの)も素通りしがてに思っていたところ、行く手に心ひかれる加古の島が見える。(同上)
(注)稲日野 分類地名:「印南野(いなみの)」に同じ。(学研)明石から加古川にかけての平野
(注)かてに 分類連語:…できなくて。…しかねて。 ➡なりたち可能等の意の補助動詞「かつ」の未然形+打消の助動詞「ず」の上代の連用形(学研)
(注)加古の島:加古川河口の島
歌碑は、泊神社前駐車場の端、神社を背にした右手橋のたもとにある。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「相生市中央公園歌碑説明案内プレート」
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」