●歌は、「英遠の浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来東風をいたみかも」である。
●歌碑は、氷見市阿尾 榊葉乎布神社参道にある。
●歌をみていこう。
題詞は、「行英遠浦之日作歌一首」<英遠(あを)の浦に行く日に作る歌一首>である。
◆安乎能宇良尓 餘須流之良奈美 伊夜末之尓 多知之伎与世久 安由乎伊多美可聞
(大伴家持 巻十八 四〇九三)
≪書き下し≫英遠(あを)の浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来(く)東風(あゆ)をいたみかも
(訳)英遠の浦にうち寄せる白波、この白波は、いよいよ立ち増さって、あとからあとから寄せてくる。東風(あゆのかぜ)が激しいからであろうか。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)英遠の浦:氷見市の北端、阿尾の海岸。
(注)あゆ【東風】名詞:東風(ひがしかぜ)。「あゆのかぜ」とも。 ※上代の北陸方言。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
左注は、「右一首大伴宿祢家持作之」<右の一首は、大伴宿禰家持作る>である。
榊葉乎布神社鳥居をくぐると登り坂の参道である。少し登った右手に歌碑が建てられている。しばらく上ると、社殿への道と阿尾城址へ向かう道とに分かれる。城址の見学はスキップし社殿へ。社殿は、雪国特有のガラスの雪囲いに覆われていた。
この歌の前後、左注によると、四〇九二歌は五月十日、四〇九四歌は五月十二日に作られている。家持は、このころに英遠(あを)の浦を訪れ、季節特有の「東風(あゆ)」を詠んだのであろう。
◆◆◆越中万葉歌碑巡り◆◆◆
令和2年11月4日・5日、ゴーツートラベルを利用して、「越中万葉歌碑巡り」をおこなったのである。
資料や先達のブログなど目を通し、グーグルマップのストリートビューを駆使、できるだけ事前に歌碑の位置を確認し、効率よく回れるようにと計画をたてていく。
確認がとれず現地任せにしたものはやはり難航し、予想以上に時間がかかったもの、結局諦めたものもあった。
万葉歌碑が建てられているところは、現地でもマイナーなところが多いせいか、地元の方に尋ねても、「そのようなところがあるのですか」と逆質されることも。
行って見ないとわからないケースは「二上山まなび交流館」のケースであった。
二上山まなび交流館は、今年の3月に閉館が決まり、要所要所は金網のフェンスが張りめぐらされ立ち入り禁止になっている。事前検索ではキャッチできなかったのである。
しかし事務所の灯りは点いており、トイレの使用は可能との貼り紙がしてある。インターフォンによる連絡ができるようになっている。ダメもととボタンを押してみる。女性の方が出てこられた。資料を見せ、中庭の歌碑を見られないかと頼んでみる。確認してみますと、一旦事務所に戻られたが、嬉しいことに、見せていただけるとのことであった。これらの歌碑の行方はどうなるのだろうと思いながら撮影させていただいた。
氣多神社・大伴神社の場合は、ナビ通り進むが、結局目的地に到達できず、仕切り直すがダメで、同じ道を行ったり来たりの繰り返しであった。あきらめて、二上山山頂を目指すべく二上山万葉ラインを上って行った。かなり上がって来たところで、「氣多神社へ900m」の矢印案内板が目に飛び込んできた。方向を変え、細い山道を慎重に進み、目的地に到達できたのである。家持卿のお導きかも、ありがたいことである。
一つ一つの歌碑にミニドラマが。
実際の行程は次の通りである。
11月5日の行程(氷見市)
榊葉乎布神社➡八幡神社➡臼が峰往来入口➡上庄川排水機場➡湊川中の橋➡十二町潟水郷公園➡日宮神社➡稲荷社(大フジ前)➡布勢神社(御影社)➡泉の社公園➡田子浦藤波神社
11月6日(高岡市)
伏木気象資料館(越中国守館址)➡勝興寺前ポケットパーク➡勝興寺➡寺井の跡➡高岡市万葉歴史館➡415号線交差点➡伏木中学校➡氣多神社・大伴神社➡旧二上山郷土資料館➡二上山山頂➡旧二上山まなび交流館➡いわせ野郵便局➡高岡駅➡荊波神社
11月7日(射水市他)
新湊小学校前➡放生津八幡宮➡大楽寺➡奈呉の浦大橋➡雨晴海岸・つまま公園➡道の駅「雨晴」
それぞれの歌碑については、順次紹介していきます。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域事務組合)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」