万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その810)―氷見市日名田 臼が峰往来入口―万葉集 巻十八 四一一三

●歌は、長歌「大王の遠の朝廷と任きたまふ官のまにまみ雪降る越に下り来・・・」である。

 

f:id:tom101010:20201123114700j:plain

氷見市日名田 臼が峰往来入口万葉歌碑(大伴家持

●歌碑は、氷見市日名田 臼が峰往来入口にある。

 

●歌をみていこう。

この歌の題詞は、「庭中花作歌一首并短歌」<庭中の花を見て作る歌一首并せて短歌>である。長歌(四一一三)と反歌二首(四一一四、四一一五歌)からなっている。

 この歌群の歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その357)」で紹介している。

 ➡ 

tom101010.hatenablog.com

  

◆於保支見能 等保能美可等ゝ 末支太末不 官乃末尓末 美由支布流 古之尓久多利来安良多末能 等之能五年 之吉多倍乃 手枕末可受 比毛等可須 末呂宿乎須礼波 移夫勢美等 情奈具左尓 奈泥之故乎 屋戸尓末枳於保之 夏能ゝ 佐由利比伎宇恵天 開花乎 移弖見流其等尓 那泥之古我 曽乃波奈豆末尓 左由理花 由利母安波無等 奈具佐無流 許己呂之奈久波 安末射可流 比奈尓一日毛 安流へ久母安礼也

               (大伴家持 巻十八 四一一三)

 

≪書き下し≫大王(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 任(ま)きたまふ 官(つかさ)のまにま み雪降る 越(こし)に下(くだ)り来(き) あらたまの 年の五年(いつとせ) 敷栲の 手枕(たまくら)まかず 紐(ひも)解(と)かず 丸寝(まろね)をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを やどに蒔(ま)き生(お)ほし 夏の野の さ百合(ゆり)引き植(う)ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻(はなづま)に さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢(あ)はむと 慰むる 心しなくは 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に一日(ひとひ)も あるべくもあれや

 

(訳)我が大君の治めたまう遠く遥かなるお役所だからと、私に任命された役目のままに、雪の深々と降る越の国まで下って来て、五年もの長い年月、敷栲の手枕もまかず、着物の紐も解かずにごろ寝をしていると、気が滅入(めい)ってならないので気晴らしにもと、なでしこを庭先に蒔(ま)き育て、夏の野の百合を移し植えて、咲いた花々を庭に出て見るたびに、なでしこのその花妻に、百合の花のゆり―のちにでもきっと逢おうと思うのだが、そのように思って心の安まることでもなければ、都離れたこんな鄙の国で、一日たりとも暮らしていられようか。とても暮らしていられるものではない。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

(注)手枕:妻の手枕

(注)まろね【丸寝】名詞:衣服を着たまま寝ること。独り寝や旅寝の場合にいうこともある。「丸臥(まろぶ)し」「まるね」とも。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

(注)いぶせむ( 動マ四 )〔形容詞「いぶせし」の動詞化〕心がはればれとせず、気がふさぐ。ゆううつになる。(weblio辞書 三省堂大辞林第三版)

 

 大君の命とはいえ、なぜにこのようなあまざかる鄙の越中に飛ばされ、五年も辛抱せねばならないのか、というやるせない気持ちが、そして、今でいう単身赴任であるから、「敷栲の手枕もまかず」と妻への悲痛な思いを、「一日もあるべくもあれや」と、ぶちまけているのである。

 

f:id:tom101010:20201123115156j:plain

歌碑裏面に歌の解説がされている

 「臼が峰往来」とは、歌碑近くにたてられている説明案内板によると、「江戸時代には、御上使往来(ごじょうしおうらい)と呼ばれ、将軍の代替わりなどに諸国巡察のため派遣された巡見使が通る道でした。能登から臼が峰を越えた巡見使が関谷出(せきやで 日名田)へ下り、田江の御上使宿本陣の安達家で昼食をとり上庄川に沿うように泉大橋に向かい、そこを過ぎると今の道と同じ経路で氷見に達しました。」とある。「歴史の道百選」に選ばれている。

 

f:id:tom101010:20201123114841j:plain

「臼が峰往来」説明案内板

 

f:id:tom101010:20201123115031j:plain

臼が峰往来の入口の万葉歌碑

 

(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「weblio辞書 三省堂大辞林第三版」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域事務組合)