●歌は、「もののふの八十娘子らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花」である。
●歌をみていこう。
この歌については、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その333)」で紹介している。
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◆物部乃 八十▼嬬等之 挹乱 寺井之於乃 堅香子之花
(大伴家持 巻十九 四一四三)
※▼は「女偏に感」⇒「▼嬬」で「をとめ」
≪書き下し≫もののふの八十(やそ)娘子(をとめ)らが汲(う)み乱(まが)ふ寺井(てらゐ)の上の堅香子(かたかご)の花
(訳)たくさんの娘子(おとめ)たちが、さざめき入り乱れて水を汲む寺井、その寺井のほとりに群がり咲く堅香子(かたかご)の花よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)
(注)もののふの【武士の】分類枕詞:「もののふ」の「氏(うぢ)」の数が多いところから「八十(やそ)」「五十(い)」にかかり、それと同音を含む「矢」「岩(石)瀬」などにかかる。また、「氏(うぢ)」「宇治(うぢ)」にもかかる。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)
「堅香子」については、「大伴家持が来た越の国 高岡市万葉歴史館HP」によると、「カタクリの花のこととされています。雪が解けて、程なくすると向かいあった二枚の葉を出し、葉の間からつぼみを一個だけつけた花茎が伸び、サクラより少し早く、薄い紅紫色をした六弁の小さな花を咲かせます。
自然の姿では多くが群生し、家持が『大勢の乙女たち』と詠んでいるのは、かたかごの花そのもののことではないかという 説もあります。(後略)」とある。
ユリ亜科の多年草で、その鱗茎は良質の澱粉を含む。「片栗」は当て字で「かたかご」「かたこゆり」が古いという。
題詞は、「攀折堅香子草花歌一首」<堅香子草(かたかご)の花を攀(よ)ぢ折る歌一首>である。
「かたかごの花」を詠っているのは万葉集ではこの一首だけである。
犬養 孝氏は「万葉の人びと」(新潮文庫)のなかで、「家持の歌の中で、「の」、「の」、「の」とつづけて、最後を名詞で止めるというのはこの一首だけなのです。(中略)家持はこの歌で極めて新しい試みを打ち出しているのですね。(中略)まことに家持生涯の中でも珍しい歌といえましょう。」と書かれている。
◆◆◆勝興寺➡寺井の跡◆◆◆
勝興寺境内の二つの歌碑を見て廻ったので「寺井の跡の碑」の場所を窓口で尋ねる。
かたかご幼稚園の前の道を左へ行けばすぐですと教えてもらった。歩きはじめてしばらく行くと、「すぐです」という感覚のギャップに悩まされる。もう少し、もう少しと信じながら坂を上って行く。
ようやく前方左手に歌碑らしきものが見えて来た。途端に足も軽くなる。歌碑と歌碑の説明案内板と「寺井の跡」の碑がある、ちょっとした広場にたどり着いたのである。
歌碑説明案内板には、「寺井の跡については諸説がある。越中国庁推定地とされる勝興寺の西南に御亭角廃寺跡があり、一説に当時このあたりに国分寺があり、寺井が掘られていたのではないかとされている。」と書かれている。
ちょうど、修学旅行か遠足か、中学生の1クラスの学生たちが高岡市万葉歴史館あたりから、こちらに向かってくる。男女混合であるが、わいわいがやがやと、楽しそうに。この歌の雰囲気にピッタリの感じである。
(参考文献)
★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)
★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫)
★「植物で見る万葉の世界」 國學院大學 萬葉の花の会 著 (同会 事務局)
★「大伴家持 波乱にみちた万葉歌人の生涯」 藤井一二 著 (中公新書)
★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」
★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)
★「高岡市万葉歴史館HP」