万葉集の歌碑めぐり

万葉歌碑をめぐり、歌の背景等を可能な限り時間的空間的に探索し、万葉集の万葉集たる所以に迫っていきたい!

万葉歌碑を訪ねて(その825)―高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館入口―万葉集 巻十九  四一三九

●歌は、「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子」である。

 

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高岡市万葉歴史館入口家持・大嬢ブロンズ像と歌碑

●歌碑は、高岡市伏木一宮 高岡市万葉歴史館入口にある。

 

●歌をみていこう。

この歌はブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その495)」他で紹介している。

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◆春苑 紅尓保布 桃花 下照道尓 出立▼嬬

               (大伴家持 巻十九  四一三九)

     ※▼は、「女」+「感」、「『女』+『感』+嬬」=「をとめ」

 

≪書き下し≫春の園(その)紅(くれなゐ)にほふ桃の花下照(したで)る道に出で立つ娘子(をとめ)

 

(訳)春の園、園一面に紅く照り映えている桃の花、この花の樹の下まで照り輝く道に、つと出で立つ娘子(おとめ)よ。(伊藤 博 著 「万葉集 四」 角川ソフィア文庫より)

 

この歌はの題詞は、「天平勝寳二年三月一日之暮眺曯春苑桃李花作二首」<天平(てんぴやう)勝宝(しようほう)二年の三月の一日の暮(ゆうへ)に、春苑(しゆんゑん)の桃李(たうり)の花を眺曯(なが)めて作る歌二首>である。

 

この歌は、巻十九の巻頭歌である。 

題詞の三月の一日の暮(ゆふへ)から四一五一~四一五三歌の歌群の題詞は、「三日に、守(かみ)大伴宿禰家持が館(たち)にして宴(うたげ)する歌三首」まで十五首を、三月一日から三日の間に作っているのである。

 越中生活で家持が作った歌は二百二十首と、生涯で作った歌四百八十五首の半分に近い数になっている。三日間で十五首というのはいかにハイペースであるか、

 

家持の越中生活というものは、当時の越中は、まさに『天ざかる鄙(ひな)』『しな座借る越(こし)』で、そこに五か年間も暮らすのですから、やりきれない思いが強かったのは言うまでもない。当然望郷の思いが、そして妻への恋しい気持ちがいかほどであったことか。しかし家持は、いわば逆境に立ち向かい、そのお強い思いをまぎらわせるために歌を作る。歌の勉強をし、あるいは中国の文学の勉強もしたのであろう。そうして歌人としての家持は成長していくのである。

中国文学の要素を取り入れ、長歌を「賦」となぞらえ、「越中三賦」(二上山の賦、立山の賦、布勢水海に遊覧する賦)を作ったり、都を離れていることで権力争いにしばられないために、苦悩や苦労とかけ離れた別の世界の歌の美の極致をつくりだしたといえる。

特に巻十九の巻頭歌以降の三日間の十五首はそのピークである。

 

その背景にあったこととして、天平勝宝元年(749年)六月から同二年二月中旬の間のある時期に家持の妻の坂上大嬢が越中に来たのではないかと言われている。

 したがって、翌年には都に帰れるという気持ちと妻が越中にやってきたことで心の充実感が相乗効果となって、この一連の歌が作られたのであろう。

 

 高岡市万葉歴史館の入口の家持と坂上大嬢の夫婦のブロンズ像と四一三九歌は、まさにこのことを語りかけているように思えるのである。

そういった意味でも、微笑ましい像である。

 

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高岡市万葉歴史館エントランス

 家持の女性遍歴は有名であるが、(十六名と関わったといわれている)最初に知りあった女性が、叔母坂上郎女の娘坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)である。遍歴の後に初恋の女性を正妻として迎えたのである。

 

 初恋の思いを詠った、叔母の「若月(みかづき)の歌」(九九三歌)に和した次の歌がある。

 

題詞は、「大伴宿祢家持初月歌一首」<大伴宿禰家持が初月(みかづき)の歌一首>である。

 

◆振仰而 若月見者 一目見之 人乃眉引 所念可聞

                    (大伴家持 巻六 九九四)

 

≪書き下し≫振り放(さ)けて三日月(みかづき)みれば一目(ひとめ)見し人の眉引(まよび)き思ほゆるかも

 

(訳)遠く振り仰いで三日月を見ると、一目見たあの人の眉根がしきりに思われます。(「万葉集 二」 伊藤 博 著 角川ソフィア文庫より)

(注)まよびき【眉引き】名詞:眉墨(まゆずみ)でかいた眉。 ※後には「まゆびき」とも。上代語。(weblio古語辞典 学研全訳古語辞典)

 

 九九三、九九四歌の二首は巻第六 雑歌に分類されている。大伴坂上郎女とその甥大伴家持が、 「初月(みかづき)」を詠題とする席で歌ったものと考えられる。家持が当時十六才であったことを考えれば、このような席を坂上郎女は家持の歌の教育の場としていたのかもしれない。

 「一目(ひとめ)見し人の眉引(まよび)き思ほゆるかも」に叔母の家に居る、坂上大嬢を意識していると考えられるのである。

 

 この九九三、九九四歌は、ブログ拙稿「万葉歌碑を訪ねて(その7改、8改)」に紹介している。

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(参考文献)

★「萬葉集」 鶴 久・森山 隆 編 (桜楓社)

★「万葉集 二」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「万葉集 四」 伊藤 博 著 (角川ソフィア文庫

★「萬葉集相聞の世界」 伊藤 博 著 (塙 書房)

★「万葉の人びと」 犬養 孝 著 (新潮文庫

★「weblio古語辞典 学研全訳古語辞典」

★「万葉歌碑めぐりマップ」 (高岡地区広域圏事務組合)